過去のオピニオン・エッセイ
エッセイ
パシフィック・パートナーシップ2016 軍事フォトジャーナリスト 菊池雅之氏
2020-10-01
防衛協会会報第152号(2.10.1)
海外任務の中に「パシフィック・パートナーシップ」というものがあります。これは、米軍が中心となり数か国の軍隊が協力して、太平洋に面した発展途上国等を回り、医療支援や建設工事、文化交流を行っていく活動です。英語の頭文字を取って「PP」と略して呼ばれています。
日本は、2010年から参加しており、部隊を派遣し、現地で様々な活動を行ってきました。私もいつか取材に行こうと思いながらも、なかなか行けず仕舞いでした。
2016年のある日、統合幕僚監部副報道官(海)から、「輸送艦「しもきた」が、海自として初めてパラオに入港します。それも、…戦艦武蔵と同じコロール島沖に錨を打ちますよ」との誘い文句を投げかけら
れ、見事ハートがつかまれました。さらに「LCACを使って資機材を運ぶのですが、戦中に我々の“先輩たち”が作った飛行艇用のスベリを使います」と畳みかけてきました。もう行かない理由が見つかりません。
PP16では、東チモール(6月13日~6月19日)、ベトナム(7月15日~7月28日)、パラオ(7月29日~8月15日)、インドネシア(8月22日~8月24日)を巡りました。「しもきた」乗員の他、陸海空自衛隊医療要員約30名、陸自施設科隊員約30名、調整要員約10名、民間医療機関の医師等19名も参加し、各国で医療支援を行いました。
私は、8月8日にグアム経由でパラオに入りました。早速翌9日から取材を開始しました。
現在はパラオ最高裁判所となった旧南洋庁舎前を自衛官が歩いている姿はまるでタイムスリップしたかのようです。その庁舎と道路を挟んだ向かいにあるパラオ高校では、陸自第1施設団を中心とした隊員たちが、建物の屋根をペンキで塗っていました。
そして、現地で「スコージョウ(飛行場がなまったと思われる)」と呼ばれる帝国海軍により作られた飛行艇用のスベリに行きました。コンクリートがいたるところで剥げ落ちてはいましたが、当時のままであることの証であり、ボロボロなのに素敵で、輝いて見えました。そこへ船体に自衛艦旗を描いたLCACが上陸してくるシーンは実に感慨深いものでした。
さらに、LCACの快進撃は続きます。12日にペリリュー島で行われる慰霊祭への移動手段としても使われました。私も参列する隊員と一緒にLCACに乗って、コロール島からペリリュー島へと向かいました。
青い空と青い海が広がるペリリュー島は実に美しい島でした。しかし、約1万1千人の将兵の内1万695人が戦死した玉砕の島でもあります。日本人としてこの島にやって来られたことを誇りに思いながら、感謝の気持ちを込めて大地を踏みしめました。そして英霊の皆さんの“後輩たち”と「海ゆかば」のラッパ吹奏が流れる中、しっかりと手を合わせてきました。
この日以降、私は終戦記念日にPP16でパラオを訪問した時のことを思い出すようになりました。訪問できてよかったと心から思っています。