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過去の望映鏡

このページにおいては、当連合会機関紙「防衛協会会報」の連載記事「望映鏡」の過去掲載分【初回掲載(76号)以降】を紹介しております。
※下表の暦年をクリックすると、当該年の記事にリンクします。

令和6年

                          防衛協会会報第168号(6.10.1)掲載

日本を「真っ当な国」にするために

滋賀県防衛協会 会長  

河本 英典
 
 防衛協会会員の皆様、日々の「防衛意識の普及高揚」、「自衛隊への激励支援」などの各種活動に深く感謝するとともに深甚なる敬意を表します。さて、令和6年は元日から能登半島地震が発生するなど、激動の始まりとなりました。自衛隊は陸上自衛隊中部方面隊を主体に迅速に現場に急行し、数日後には統合任務部隊が編成され、陸海空自衛隊の各々能力を相互補完・相乗効果を発揮し、被災者に寄り添いながら的確に対応されました。
 わが国を取巻く安全保障環境は、ロシアによるウクライナへの侵略行為は2年以上経過しても終わりの状況は見えず、北朝鮮は度重なるミサイル発射実験を実施し、核・ミサイル開発を急速に進展しているなど、「わが国は、戦後、最も厳しく複雑な安全保障環境に直面している」ということを何度も耳にします。
 米国では今年11月に米大統領選挙がありますが、もしトランプ氏が大統領となれば、「米国第一主義」の傾向が強まるものと予測します。そうなれば、日米同盟を基軸としつつも、やはり「自分の国は自分で守る」との意識・覚悟を全日本人が持つべきだと考えます。ロシアによるウクライナ侵略でも、戦力差がありながらもウクライナが善戦している要因の一つは「自分の国は自分で守る」との意識が強くあるからではないでしょうか。  
 日本において、昭和30・40年の時代は、「自衛隊反対」、「自衛官は税金泥棒」、「憲法が日本を守る」

等の主張が世の中に一定数あったものと思います。そんな中でも自衛隊は地道に訓練を重ね、国内外の災害時には速やかに献身的に対応し、今ではそのような主張は一部であり、多くの国民は自衛隊の活動を理解・信頼しているように思います。しかし、一部の左翼的な知識人などによる、いわゆる反戦活動が未だにあるのが極めて残念であります。是非とも自衛隊の皆さんにはこれらの活動等に負けることなく、国家防衛という崇高な任務を有する気概と自信をもって日々の訓練に励んで頂きたいと思います。

 防衛協会会員皆様におかれましては、地域住民に対し引き続き、自衛隊の存在意義や魅力の普及を行って頂き、世界の先進国同様、国家を守る実力組織として自衛隊が国民から感謝され相応しい処遇が与えられるよう、日本が「真っ当な国」となるよう会員皆様の各々の立場で応援・ご尽力して頂きたいと思います。

 滋賀県は古代より、東海道・東山道(中山道)・北陸道が合流する陸上交通の要衝にあり、日本一の琵琶湖を有し、住みやすく穏やかな県であります。滋賀県防衛協会は、引き続き、県内自衛隊の活動を支援・協力し、ここ滋賀の地から「日本を真っ当な国」になるように活動していく所存であります。

 最後に、全国防衛協会の益々の発展と会員皆様方のご健勝とご多幸を祈念申し上げます。


                          防衛協会会報第167号(6.7.1)掲載

「紛争・宗教と自国の防衛について」

全国防衛協会連合会 副会長

宮城県防衛協会 会長  

藤﨑 三郎助


  世界で紛争が止みません。

 その主な要因は、「宗教の違い」「民族や文化の違い」「政権への不満」「領土・資源の奪い合い」と大きく4つが挙げられるのではないでしょうか。

 先日、シリアにおいてイスラエルがイラン大使館を空爆し、その報復としてイランが初めてイスラエルに直接的な攻撃を行い世界に大きなインパクトを与えました。この問題の大変懸念すべきところは、両国の報復攻撃がエスカレートすることで戦争へ発展し、中東や世界情勢に更なる緊張や混乱を与えるのではとの懸念です。両国は半世紀前までは国交を結び交流のあった時期もありましたが、1979年イランで起きたイスラム革命をきっかけにイランの親米王政が倒され、宗教を厳格に解釈したイスラム体制が樹立されると両国間の対立は決定的となりました。現在、各国が両国に対し自制を求めている状況ですが、その対立の根底には宗教・民族・文化の違いからくる長い歴史的背景があります。殊に、イランをはじめ、アラブ・イスラム諸国からすればイスラエルは聖地エルサレムを奪った「イスラムの敵」と位置付けられ両国は相容れない状況です。

 また、ロシアのウクライナへの軍事侵略は2年を経過し未だ先行きを見通すことが難しい状況です。この侵略の背景には、2018年にウクライナ正教会が誕生しロシアとの宗教上の対立激化など様々な要因が挙げられますが、ロシアはウクライナとの圧倒的な軍事力の差をもって「力による一方的な侵略」で優位な立場になることを目論んでいたはずです。このように、高い軍事力を持った国が国際秩序を顧みずに行動に移すという、脅威が顕在化した事例を我々は目の当たりにしました。日本も自国の防衛をより強固にし、力による制圧が困難であることを相手に強く認識させて侵略を抑止するという、断固とした意思表示が今まで以上に求められています。日米同盟を核とした国際的な連帯や情報共有体制も一層重要になりました。

 近年、中国や北朝鮮、インド太平洋地域において益々緊張が増しており、またサイバーテロ、激甚化する自然災害など、日々進化する脅威に対する効果的な防衛には技術革新も大きな武器になるはずです。新たな脅威に対応するためには、最先端の技術を駆使し人口知能、サイバーセキュリティ、宇宙技術など、様々な分野において研究と開発に積極的に取り組み、これらの技術を活用したより効果的な防衛戦略を遂行し、日本国民の生命・身体・財産を守らなければ国家の安全と繁栄を築けないでしょう。

 このような我が国を取り巻く厳しい安全保障環境下にあって、日夜最前線で任務にご尽力されている隊員の皆さまには心より敬意を表すとともに、宮城県防衛協会一同、自衛隊の皆さまへの支援・協力を力強く行ってまいります。


                          防衛協会会報第166号(6.4.1)掲載

「防衛力の強化と自衛隊の重要性」

岡山県防衛協会 会長 松田 久


 2019年12月31日中国湖北省武漢市から始まったCOⅤIT―19(コロナ禍)は世界を沈鬱に落とし込みました。4年の歳月を経て、日本では2023年5月から5類感染症に移行され、集団での生活を取り戻し、移動も集会も自由に行うことができるようになりました。

  そのさなか、2022年2月にはロシアがウクライナに侵攻し世界に衝撃が走りました。戦いは終焉を見ないまま底なしの戦いが続いています。また、2023年10月にはパレスチナのガザ地区を支配するハマスが突如としてイスラエルを攻撃し、終わりなき戦いが続いています。

  2024年1月1日16時10分、能登半島を中心とするM7.6の地震と津波は多くの人命を奪い未だ行方不明の方を含み災害は広がりを見せました。この震災は激甚災害と指定されましたが、約一万人の自衛隊員が派遣されています。地盤の隆起、地滑り、液状化など当初は考えもしなかった被害が次々に明らかになり、凄まじいエネルギーが半島を襲ったことが分かってきました。自衛隊員の懸命な救出活動に加え水、食料、暖房器具、生活必需品の供給、風呂の提供など、被災された方々にとって頼みの綱であり、自衛隊あっての災害復旧活動です。未だインフラの回復も儘ならない地域が点在する半島ならではの事情もあり、支援活動はまだまだ継続されることでしょう。

  一方で2024年は世界各国で大統領、総統選挙が予定されており、国際的にも落ち着いた状況になるまでには相当な時間を要すると考えられます。この投稿をしているさなか、台湾では総統選挙が行われ、民進党の頼清徳氏が勝利し、3期連続で同じ党が政権を担うことになりました。選挙期間中には中国からのAIを使ったフエィク映像が頻発したと聞いていますが、コンピュータ技術の目覚ましい進歩は、戦争でも選挙でも当たり前に使われるようになりました。最も注目されるアメリカの大統領選挙ですが、世界平和を維持できる体制を選挙で確立していただきたいと切に願います。他国による選挙妨害などは許されることではありませんが、おそらく防げないでしょう。

 2024年1月には北朝鮮は韓国との統一政策を転換し鉄道の線路を完全に切断するとの宣言をしました。ミサイルを発射するたびに技術力を改善しており、危険度を増しています。

 中国は「反スパイ法」を制定し、いわれなき罪で多くの日本人が拘束されています。また、水産物の輸入全面禁止など常軌を逸する政策で日本に立ち向かい、東シナ海での一方的進出、領有権の主張などは外交上許されるべき問題ではありません。更に近年の宇宙開発の急激な進展は覇権主義の象徴であり、決して許してはなりません。

 多くの困難を抱えて2024年が始まりました。我が国を取り巻く安全保障環境を鑑みれば、防衛力の強化は必須であります。岡山県防衛協会は民間団体として全力で自衛隊を応援して参ります。

                          防衛協会会報第165号(6.1.1)掲載

『きのえたつとし』
山口県防衛協会 会長 清原 生郎

 明けましておめでとうございます。謹んで新年のお慶びを申し上げます。

 さて今年の干支は(きのえ)(たつ)、木の芽が成長して徐々に姿を整えていく様を云うと聞きます。前回甲辰年は昭和39年(1964年)、東京五輪が開催された年でした。開会式の日、真っ青な秋空に見事に五色の五輪マークを描いた自衛隊機の編隊を、今でも誇らしく思い起こします。当時は東西冷戦の時代、ベトナムでは眞に資本主義と社会主義が泥沼の戦いを繰広げていました。日本はと云えば、五輪開催に合わせて新幹線を筆頭に各種インフラ整備を大幅に進めて愈々本格的な高度経済成長期へ向かおうとする時期。そして昭和45年(1970年)に向けての、日米安保改定、沖縄返還、大学紛争、大阪万博等々、大きな時代の嵐が一挙に吹き抜けようとする、そんな年でもありました。

 あれから60年、この間ソ連邦の崩壊に依り東西冷戦は終結、しかし新たな脅威も顕著に現れ直近ではロシアのウクライナ侵攻、イスラエルとパレスチナ・ハマス政権の紛争が勃発、台湾有事もその可能性は否定できない情勢です。当然、日本の安全保障環境も劇的に変化を遂げました。気が付けば普遍的価値観を共有し得ない中国・北朝鮮・ロシアの核保有三国に囲まれるに至り、日本の安全保障環境は世界一悪いとまで云われるようになっています。

 平成27年の平和安全法制の制定により、必要な自衛のための措置として集団的自衛権の行使は可能となりましたが、まだまだ限定的です。

 令和4年末には『国家安全保障戦略』・『国家防衛戦略』・『防衛力整備計画』の戦略三文書が策定されました。この策定に当たり中心的に係わられた元防衛事務次官・前内閣官房参与の島田和久氏は自著でこう述べています。

 「我国はこれまでは防衛力整備と法整備を中心とした制度の構築に力を注ぎ、戦略三文書はひとつの集大成とも言えるが、これからは現実の事態において制度を機能させることが求められる。決定的に必要なのは、政府、とりわけ政治指導者の意思決定である。防衛力をいくら強化し、法制度を整備しても、政治指導者の判断がなければ、自衛隊は一兵たりとも動かすことはできず、国民保護もおぼつかない」。 

 相次ぐ大規模災害の現場には、危険を顧みずいつも自衛隊の姿が、それもいち早くありました。東日本大震災を契機に、自衛隊の認知度・好感度は格段に上がりました。しかしその自衛隊の憲法への明記ですら、未だ実現に至ってないのが現実です。ことに臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓う自衛隊員を、いつまでも違憲のままにしておいていい筈がありません。雑駁な知識でありますが、主権の最高度の発動が憲法制定である筈、であるなら日本に主権のない時代に創られた現憲法の正当性を問うことも大事ではないかと思う次第です。

 今年、甲辰年が果たしてどういう年になるのか。蒔かれた種が芽を吹き、すくすく成長して、だんだん姿を整え、真っ直ぐ雄々しく育っていく。そんな年であることを心から祈念して、新年の挨拶と致します。

令和5年

                          防衛協会会報第164号(5.10.1)掲載

「自分の国は自分で守る」という気概が日本の将来を築く

茨城県防衛協会 会長 関 正夫

2022年2月、ロシア軍がクライナに対する軍事侵攻に踏み切りました。ウクライナは劣性に立たされましたが、欧米諸国の支援を受け、激しい攻防が続くなか戦況は膠着し、戦争は長期化するとの見方が強まっています。圧倒的な軍事力を誇るロシア軍は、短期決戦で終えられると高をくくっていたようです。

しかし、現実は違いました。それを阻んだのは、欧米による武器をはじめとした強力な物的支援ですが、それだけでしょうか。それは、ウクライナ人の死闘の根底にある「自分たちの国を守りぬく」という気概であり、これは決して軽視できないものだと思っています。

仮に、同じ事態が日本に起きた場合、果たして敵から日本を守ることができるのでしょうか。昨年末、雑誌MAMORが10~30代の国民に向け、国防意識を問うアンケート調査を実施しました。「もし日本が侵略されたら戦いますか」という設問に、約7割が「戦わない」と回答しました。そして、「日本が侵略されたら戦う」と答えた人に、どのような態度をとるかを聞いたところ「自衛隊に入隊する。自衛隊を支援する」と回答した人が約6割もいたそうです。日本の若者は、戦争の実体験を持たず平和な社会で暮らしてきたため、戦争に対する意識が薄いのかもしれません。更に、歴史教育やメディアを通じて戦争の犠牲や悲劇について学ぶ機会もあり、平和と人道主義の価値を重視し、戦争を避けることを強く支持するのでしょう。

一方で、国の安全保障や国益を重視し、必要に応じては武力行使を容認する立場をとる若者もいました。きっと彼らは、国防や自衛の重要性を強調し、時には戦争が不可避な場合もあると考え、日本の安全と繫栄を守るために自衛隊に参加したいという強い意欲を持っているのです。

このアンケートにより、日本の若者にも「自分の国は自分で守る」という気概を持つ者が多くいることを知りました。彼らは主体性を重んじ、自らの行動によって国の安全を守る使命感を持っているのでしょう。このような気概を持つ若者の一部は自衛隊へ入隊し、自国を守るという意欲を胸に高い志を持ち、厳しい訓練に日夜取り組んでいます。「自分の国は自分で守る」という表現は意志を表すもので、けして戦争を肯定するつもりはありません。日本の憲法は、戦争放棄をうたった平和主義の原則を採っており、自衛のための最小限の武力行使は認めています。自衛官をはじめとする一人でも多くの若者が、外部の脅威に対して譲れない強い気概を持っていれば、国の安全と繁栄は続くことでしょう。

 茨城県防衛協会は、自衛隊の皆さまが士気高く任務に邁進できるよう、支援・協力を更に進めていかなければならないと考えています。

防衛協会会報第163号(5.7.1)掲載

徳島県内防衛協力団体の中核として部隊との
交流や激励活動を強化    

  

全国防衛協会連合会 副会長

徳島県防衛協会 会長 近藤 宏章


我が国の平和と安全、独立の維持のため日々任務にご尽力されている自衛隊員の皆様に対しまして、深く感謝申し上げますとともに、深甚なる敬意を表す次第でございます。

世界の安全保障環境は、特に昨年のロシアによるウクライナ侵略以来根本的に激変しました。世界平和を統制すべき国際連合とりわけ安全保障理事会は機能不全に陥っており、改善の兆候の端緒すら見えないまま今日を迎えております。

この明確なロシアの侵略に対しても、インドやアフリカ諸国を中心とするグローバルサウスの国々は、必ずしもロシアを支援する中国や北朝鮮、イランなどの活動に厳しい態度を取っている訳でもなく、世界の安全保障は、平和の方向に統一されてもおらず、国連の平和安全保障機能は、残念ながら混沌としています。

我が国周辺においても、近隣のロシアによる北方領土等での軍事行動、中国の南シナ海や台湾周辺での海軍力の飛躍的増強による力の誇示や示威行動、北朝鮮の度重なる弾道ミサイル等の発射や核兵器増産保持等の力による世界秩序の変更への行動は着々と進行しつつあり、台湾有事の危惧までも生じております。

益々緊迫度を増す我が国周辺に対し、我が国が防衛戦略3文書の抜本的改正を実行し、防衛体制の増強や運用の変更等の整備を急いでいる現状は、我が国の平和安全保障の観点から誠に悦ばしい限りです。

徳島県には、12年前までは海上自衛隊と地方協力本部の2個部隊でしたが誘致活動の成果が実り、現在は陸上自衛隊第14旅団所属の2個部隊が駐屯地と分屯地を開設し、4個の陸海部隊が所在しております。私共の徳島防衛協会を始めとして、徳島県隊友会や徳島県家族会と各部隊の協力会、OB会等合計10個の協力団体が連携を取りながら防衛環境の整備や部隊等への支援・協力を実施しております。

防衛協会の目的は「防衛意識の普及高揚と、自衛隊を激励支援し、自衛隊と県民との相互理解の向上を図る。」ことであり、徳島県防衛協会においても、ここ3年間は、世界的なコロナ禍により活動等に制限を受け、部隊の皆さんとの交流や激励活動も各種制約の中で実施しましたが、この間にあっても、徳島県内防衛協力団体の中核として、他の協力団体を牽引しつつ防衛意識の普及向上、入隊・入校予定者の激励会の実

施、可能な部隊行事等への参加や激励等を実行して参りました。

令和5年度以降の今後は、新たなわが国の防衛力強化への環境情勢の向上に更なる努力を傾注するとともに、制限が解除される部隊との交流や激励活動を強化して参りたいと思っております。

  全国防衛協会連合会の益々のご発展と会員皆様のご健勝とご多幸を祈念申し上げます。

防衛協会会報第162号(5.4.1)掲載

  「防衛力強化には健全な社会の発展と強い経済力が必須」                
福岡県自衛隊協力会連絡協議会
会長 谷川 浩道
 

福岡県は、中国大陸や朝鮮半島に近接する地理的条件により、古来、アジアと我が国との交流の玄関口として、また九州の政治経済の中枢としての役割を担っております。

当県には、陸上自衛隊第4師団司令部、航空自衛隊西部航空方面隊司令部をはじめ、陸上・航空の各部隊や地方協力本部、病院を含め、総勢約9万6千人の自衛隊の皆様が、それぞれの地域と密接に連携しながら、国民の平和と安全を守るために日々厳しい訓練に励み、様々な任務にあたっておられます。

また、当県は、平成29年以降、5年連続で6度の自然災害に見舞われましたが、そのたびに、自衛隊の皆様がいち早く現場に駆け付け、人命救助や物資輸送など、多岐に渡る任務に懸命に取り組まれたたおかげで多くの命が救われました。近年は、全国的に自然災害が頻発化、激甚化し、毎年のように人々の生活や命が脅かされる事態が相次いでおりますが、その現場には、いつも自衛隊の姿があり、各地で身を粉にして救助活動に従事しておられる様子を目にし、深い感銘を覚えます。

さて、世界はいま、パワーバランスの均衡が綻び、国家間の対立構図が鮮明となる異常な状況が生じています。昨年2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻は、国際社会を震撼させ、我々人類が長きに渡り築き上げた国際秩序を根底から揺るがす事態となりまし

た。また、今回の戦争は、銃やミサイルなど火器による攻撃だけでなく、プロパガンダやフェイクニュースでの情報操作、支援国も対象とするサイバー攻撃など、「ハイブリッド戦争」が展開されている点で、これまでの戦争と大きく異なっていると感じております。 

一方、我が国の周辺に目を向けると、核・ミサイル能力の開発・強化や急激な軍備増強、あるいは力による一方的な現状変更の試みなどの動きが先鋭化し、一層厳しさを増しております。

このような状況下で、昨年末には新たな防衛3文書が閣議決定され、今後5年間で防衛力を抜本的に強化する施策が打ち出されました。しかし、国の防衛力というのは、決して軍事力だけで強くなれるものではありません。自分の国は自分で守るという意識がしっかりと根付いた健全な社会の発展と、強い経済力の裏付け、国民一人一人の理解と支持があって成り立つものです。

 福岡県自衛隊協力会連絡協議会は、自衛隊の皆様が多様な任務に邁進できるよう、これからも自衛隊の活動に対する支援・協力を惜しまず、地方から我が国経済の発展に貢献し、ひいては国防力の強化に資するという強い意識をもって活動を推進してまいります。


  

防衛協会会報第161号(5.1.1)掲載

「激動する国内外情勢における自衛隊の活動について」
香川県防衛協会 会長 千葉 昭

  明けましておめでとうございます。皆様におかれましては

ご家族ともどもお健やかに、佳き新年をお迎えのことと、心からお慶びを申し上げます。 

新型コロナウイルス感染症による政治・経済・社会への影響も落ち着きを取り戻しつつあり、今年こそ、その終息を切に願っているところです。

一方で、国際社会は、今、戦後最大の試練の時を迎えていると言われています。ロシアによるウクライナ侵略は世界を震撼させ、今もなお罪のない多くの民間人の命を奪っています。  

このような力による一方的な現状変更は、武力の行使を禁ずる国際法と国連憲章の深刻な違反であり、欧州のみならず、アジアを含む国際秩序全体の根幹を揺るがしていると考えられま

す。

我が国周辺においても、中国は、尖閣諸島周辺において力を背景とした一方的な現状変更の試みを執拗に継続していますし、北朝鮮はICBM級を含む弾道ミサイル発射を繰り返して挑発を強化している現状で

す。 

このように厳しさを増す安全保障環境のもと、我が国は、質・量ともに優れた他国の軍事的脅威に対し、実効的な抑止や対処を可能とするため、真に実効的な防衛力として、「多次元統合防衛力」の構築を目指すとともに、自衛隊は日夜、警戒・監視や訓練等に従事されているところであります。

また、近年、国内では大規模災害が頻発し、自衛隊の災害派遣活動は、その規模や形態を変化させつつ、被災者や国民に寄り添うことで、多くの国民からより一層の信頼を得ています。

  私自身も、四国電力株式会社で社長を務めておりました平成26年には、陸自中部方面隊や海自呉地方総監部と電力会社との連携に関する協定の締結に携わり、同年の徳島県大雪害での停電復旧において陸自第14旅団から多大なるご支援をいただいたことで、自衛隊の活動に対する尊敬と感謝の念をより強く抱いたことが思い出されます。

昨年のロシアによるウクライナ侵略をはじめ、益々激動している国内外情勢の中、今こそ我が国の防衛の在り方について、憲法改正を含めた国民議論を活発化させる時ではないでしょうか。香川県防衛協会といたしましても、県所在の陸自第14旅団司令部や香川地方協力本部との連携を密にし、「国土防衛に寄与するため、防衛思想の普及並びに自衛隊の健全な育成発展に協力する」という目的をしっかり果たすため、時代の趨勢に応じた活動を実施したいと考えています。

  本年も全国防衛協会連合会が益々ご発展されることを願いますとともに、会員皆様のご健勝とご多幸をご祈念申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。

令和4年

防衛協会会報第160号(4.10.1)掲載


「ウクライナの教訓

島根県防衛協会 会長 久保田 一朗


  今年2月24日早朝から始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、国際社会に極めて大きな動揺をもたらした。

このロシアによる前時代的な特別軍事作戦は、軍事施設、港湾施設への攻撃に留まらず、住居、病院、原発などの社会インフラまで無差別に被害を拡大させている。この暴挙に対してウクライナ国民は、ゼレンスキー大統領のもと国を守るため必死の抵抗を行っており、西側諸国の支援も得て、ロシア軍の侵攻を食い止め南部地域では反転攻勢に出ている。戦線は泥沼化し、その出口は全く見通せない状況である。

 このウクライナ戦争は、我々日本国民に多くの教訓を与えた。「自分の国は自分で守る」という気概と相応の軍事力がなければ、日米安保は、実効性を伴わないであろうし、他国の支援も期待できない。また、いかなる国も核戦争を覚悟してまで、他国の戦争に介入することはないということである。

また、「今のウクライナは明日の日本だ」という発言が端的に表しているが、この戦争は我が国の地政学的リスクである「台湾有事」をも想起させた。

その後、8月上旬の米国ペロシ下院議長の台湾訪問によって中台間の緊張関係はワンランクレベルが高まることとなった。中国はペロシ氏の訪台に反発し、台湾周辺で数日間これ迄にない大規模な軍事演習を実施、また弾道ミサイルを日本のEEZに着弾させるという無謀な行動に出た。今後もこのような軍事演習を継続していくと表明している。

 このような我が国を取り巻く安全保障環境の激変は、我々日本国民を大いに覚醒させた。岸田首相は、5年以内に日本の防衛費を2倍に増額し、防衛力を抜本的に強化すると約束した。これには我が国の安全保障リスクに目覚めた多くの国民が支持することとなろう。

 私ども防衛協会は、これ迄も防衛意識の高揚と自衛隊への支援・協力を目的として活動しているが、現下の情勢のもと全国防衛協会連合会が決定した「防衛問題に関する要望」にある

①憲法改正:国防に関する記述が欠落している憲法をできるだけすみやかに改正して、国防の中核たる自衛隊の位置づけを明確化すること

②国防意識の高揚を図るための各種施策の充実:学校教育の場ほか

③自衛官の処遇向上:自衛官の特殊性を十分考慮した各般の処遇改善と自衛官募集の問題解決、という3つの項目について、市民の立場からあらゆる機会を捉えて大いに声をあげていく必要性を感じている。

防衛協会会報第159号(4.7.1)掲載


「コロナ禍における自衛隊の活動と防衛協会」

栃木県防衛協会 会長 青木 勲


   盛夏の候、全国防衛協会連合会会員の皆様には、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
 新型コロナウイルス感染症拡大が始まり2年以上が経ち、度重なる緊急事態宣言やまん延防止等重点措置実施の中、皆様もご苦労されているとことと拝察いたします。
 このような中、自衛隊の活動も各種行事などは、中止もしくは縮小開催を余儀なくされ、栃木県防衛協会の行事も同様に中止をせざるを得ないこととなりました。
 しかしながら、自衛隊は感染拡大の脅威の中においても、日々任務を誠実に遂行しております。
本年に入り、度重なる北朝鮮からの弾道ミサイル発射などにおける警戒監視任務など、昼夜を問わず365日休むことなく継続して国土防衛に邁進しております。
   また、我が栃木県において発生した、足利市での林野火災においては、宇都宮駐屯地に所在する第12特科隊が中心となり、消火活動に貢献し、那須塩原市において発生した豚熱による災害派遣など度重なる災害派遣活動を行いました。
   更に、国際貢献活動において、こちらも宇都宮駐屯地に所在する中央即応連隊は、毎年アフリカのジプチへ、派遣海賊対処行動支援隊等の派遣任務を、整斉と遂行されています。
また、昨年度は、アフガニスタンにおける邦人等輸送支援任務が発出され、中央即応連隊長指揮の下、任務を完遂されました。
   このように、連日連夜の警戒活動、迅速な対応を求められる災害派遣、国際貢献など、コロナ禍における過酷な状況下においても、適切な対応行動を行い任務を達成しています。
   これは、日ごろからの弛まぬ努力と、直向きに訓練に取り組んでいる成果であることに違いありません。
自衛隊と国民の懸け橋となる我々防衛協会会員といたしましても、このような自衛隊の活動を、国民に深く浸透させるため、自衛隊への理解促進と防衛意識の普及高揚に取り組み、自衛隊の活動しやすい環境を作るとともに、防衛協会の活動の活性化に力を注いでまいります。
   最後に、全国防衛協会連合会の益々のご発展と、皆様のご健勝をご祈念いたします。

防衛協会会報第158号(4.4.1)掲載

新領域防衛システムの確立と憲法改正

群馬県防衛協会 会長 町田錦一郎

上州雷と空っ風、義理と人情に厚い群馬県防衛協会長の町田錦一郎でございます。寄稿に際して、長年に渡り自衛隊を望映鏡から見続けてきた一人として所感を一筆啓上申し上げます。  

1963年(昭和36年)に設立された群馬県自衛隊協力会や自衛隊員と経済人の交流を目的とした群馬国防会議厩衛会等の自衛隊支援活動は我人生のなかで60年が過ぎようとしております。若き日のころは血気盛んな隊員と共に日本の防衛と自衛隊の過酷な責務と崇高な志を語りあった日々も今では懐かしく思います。当時は国民からの自衛隊に対する認識は低く、国防意識の高揚どころか、先ずは経済成長に国民の関心が向けられ、平和や安全は当たり前の様な風潮が蔓延し、自衛隊の存在意義を論ずる国民は少数に留まっている時代でした。自衛隊に対して国民の意識が変わったのは2011年東日本大震災の災害派遣から近年地球温暖化により毎年発生している自然災害の災害派遣の報道により変化をもたらしました。自衛隊の主たる任務は、日本の平和と独立を守ることです。その役割として①国の防衛②災害派遣③国際平和協力があります。今こそ平和と安全を守り独立国家として発展していく、崇高な責務を遂行している自衛隊の存在を我々国民は認識するべきと私は日々思っています。

 我が国を取り巻く安全保障環境は、昨今様々な課題や不安定要因が増し、より一層厳しい状況下にあります。この20年で急激な軍事力を背景に経済成長してきた中国と米国の米中対立、台湾問題や北朝鮮の極超音速ミサイル発射等の現状にどのように対応していくのか緊急の課題が山積しております。

 新たに宇宙・サイバー・電磁波といった新領域における能力、多様な経空脅威へ対処する総合ミサイルの構築に必要な防衛力を大幅に強化することが急務であります。今や衛生通信システムやサイバー防衛システム等に予算と人材を増強することが正しく求められています。

 我が国は現在DX改革を政府や企業も推進していますが、何よりも早く防衛システムの最新デジタル強化を備え、従来の防衛システムをより確実に運用する事が肝要であると思います。最新の軍事戦略・戦術の変化に対応できる環境を整備した上で人事を強化し、自衛隊は国民の負託に応える事が出来るのです。そして自衛隊員の崇高な志に国民は敬意を証すと共にその存在意義を認識し、日本国憲法に明記する事が今こそ重要であると考えます。

 国民の生命・自由・財産を守る為に日夜任務遂行している自衛隊に対して、一日も早く憲法改正の国民的議論を重ね、GHQが関与した昭和22年5月3日に施行された日本国憲法を独立国家に相応しい憲法に改正すべきと私は強く願います。

防衛協会会報第157号(4.1.1)掲載

自衛隊活動への理解を深める

埼玉県防衛協会 会長 池田一義

   明けましておめでとうございます。皆様には、穏やかな新年をお迎えのことと心からお慶び申し上げます。
 今年こそは新型コロナウイルス感染症が終息し、社会経済活動が本格的に回復する明るい年であることを切に願っております。
 日本の平和と安全、独立の維持のため、日々任務にご尽力されている隊員の皆様に対しまして、深く感謝申し上げますとともに深甚なる敬意を表する次第でございます。
 さて、2020年より拡大した新型コロナウイルス感染症は、世界での死者数が累計で500万人を超えました。ワクチン接種の進展により死亡率は低下してきていますが、感染者数の完全な沈静化にはまだ時間がかかると思われ、予断を許さない状況にあります。
 厳しい状況のなか昨年開催されました東京オリンピックパラリンピックは、異例の無観客となりましたが、テレビの前で応援した者に数々のドラマと感動を与えてくれました。
 埼玉県では4か所が会場となりましたが、そのうちの1か所は陸上自衛隊朝霞訓練場が射撃の会場となりました。
 自衛官アスリートの活躍も目覚ましく、柔道・フェンシング・レスリング・ボクシングの4種目で5個のメダル獲得と非常に大きな成果となりました。これも日々の厳しい訓練を通じ、体を作り技術を磨き上げ、強い精神力を養った結果であるとあらためて感心しました。
 埼玉県防衛協会においても、感染症拡大に伴い各種会合やイベントについて、中止や開催規模の縮小など余儀なくされました。そのような中、昨年11月に時局講演会・名刺交換会と題した会合を開催しました。講演会には河野克俊前統合幕僚長にお越しいただき、大変興味深いお話を拝聴することができました。ご自身の経験を踏まえたリーダーシップに関する話題もあり、経済界に身を置く立場としましても大変参考になりました。また、柔道個人で金メダル、団体で銀メダルを勝ち取った自衛官アスリートの濵田尚里選手にもお越しいただき、目の前でメダルを拝見することができたことは貴重な経験となりました。
 いま、日本を取り巻く環境は複雑で厳しさを増しており、VUCAの時代と言われて久しい状況が続いています。世界各地で格差が広がり分断が起きています。地震や台風などの災害も多発しています。さらに感染症への対応など、自衛隊に対する期待は今まで以上に高くなっていると感じます。
 私ども防衛協会としては、「防衛意識の普及高揚と、自衛隊を激励支援し、自衛隊と県民との相互理解の向上を図る」という目的をしっかり果たすことで少しでも力になりたいと考えています。

 本年も全国防衛協会連合会の益々のご発展と、会員の皆様のご健勝とご多幸を心からご祈念申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。 

令和3年

防衛協会会報第156号(3.10.1)掲載

「県民と自衛隊の架け橋となる防衛協会」

愛媛県防衛協会 会長 大塚岩男


 四国の北西に位置する愛媛県は、日本一細長い佐田岬半島を境に瀬戸内海と宇和海に面し、南には西日本で最も高い石鎚山(1982m)を中心とする四国山地が連なっています。
 県都松山市にある「道後温泉」は、西暦596年に聖徳太子が来浴された日本で最も古い温泉であり、映画「千と千尋の神隠し」の「油屋」を描く際の参考となった道後温泉本館は、昔ながらの温泉情緒を楽しみながら、源泉かけ流しの「美人の湯」を満喫できます。
 また、現存12天守の「松山城」や「宇和島城」、松山出身の軍人秋山好古・真之兄弟や俳人正岡子規ゆかりの品々等を展示した「坂の上の雲ミュージアム」、江戸から明治の歴史的建造物が立ち並ぶ大洲や内子の街並みなど、全国に誇れる観光名所がたくさんあります。
 さらに、自転車で瀬戸内海を渡る「しまなみ海道サイクリング」や、松野町の滑床渓谷のキャニオニングなど、豊かな自然を生かしたアウトドアスポーツが盛んで、「みかん」や「真鯛(マダイ)」など山海の食べ物も豊富な県ですので、コロナ禍が落ち着いた際にはご来県いただき、愛媛の魅力を存分に堪能していただければ幸いです。
 さて、我が国の安全保障環境は、周辺国による核・ミサイル開発や領空領海侵犯、さらには一方的な現状変更を目指した海洋進出の激化など、不安定要因が顕在化し一段と厳しさを増しています。また、国内においても、全国各地で豪雨や地震による大規模災害が頻発するとともに、南海トラフ地震への備えも急務となっております。
 こうした中で、自衛隊の皆様におかれましては、国土の防衛という崇高な任務をはじめ、大規模災害時の救援・救護、国際平和協力活動など、国の内外において極めて重要な役割を果たされており、衷心より敬意を表する次第であります。
 本県の陸上自衛隊松山駐屯地においても、隊員の皆様が厳しい訓練を積み重ね、香川県善通寺市の第14旅団等と連携して、こうした任務を着実に遂行されております。
 また、愛媛県に甚大な被害をもたらした平成30年7月の西日本豪雨災害では、発災直後から被災地に赴
き、全国各地から派遣された陸・海・空の自衛隊とともに、土砂災害や河川の氾濫等で孤立した被災者の救出や、道路啓開、給水・入浴支援などの復旧活動等に、昼夜を問わず取り組んでいただき、改めて感謝と御礼を申し上げます。
 さらに、駐屯地周辺での清掃奉仕活動や、夏の納涼祭、創立記念行事等を通して、地域との交流促進にも積極的に取り組まれており、こうした活動を通じ、県民の自衛隊に対する信頼と期待は年々高まっております。
愛媛県防衛協会では、県民と自衛隊との架け橋となる組織として、自衛隊の活動の理解促進と防衛意識の普及高揚に取り組むとともに、隊員の皆様が「愛媛で勤務して良かった。」と思っていただけるような環境整備など、  
 今後とも、自衛隊の活動支援に全力で取り組んでまいりたいと考えております。




防衛協会会報第155号(3.7.1)掲載

「軍都広島と平和都市広島」
広島県防衛協会 会長 池田晃治
 
 明治維新以降、日本の首都は「東京」に置かれることとなりましたが、明治27(1894)年9月から明治28(1895)年5月にかけて、首都機能が一時「広島」にあったことはあまり知られていない事実です。
 当時勃発した日清戦争の指揮のために、東京の皇居内にあった大日本帝国軍の最高統帥機関である「大本営」が広島に設置されました。その理由は、一説によると、広島が東京を起点とする鉄道網の西端であったこと、大型船が運用できる港が整備されていたことだと考えられています。
 大本営移転後は、明治天皇も広島城へと移り、また、帝国議会が広島で開催されたことで、一時的とはいえ立法・行政・軍事の最高機関が広島市に集約され臨時の首都機能を担うことになりました。これは明治維新以降では、首都機能が東京を離れた唯一の事例です。
 その後、昭和20(1945)年8月6日に一発の原子爆弾により広島市街は一瞬にして倒壊し、灰燼に帰しました。広島が第一目標とされたのは、複数の目標都市の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所がないとされていたためだと言われています。
 戦後、広島は平和を希求する「国際平和文化都市」として世界中に認知されるとともに、自動車産業を中心としたものづくり都市として復興を成し遂げました。
 こうした歴史の中で、広島は現在も自衛隊と繋がりを深く持ち続けています。
 広島市に隣接する海田町の「陸上自衛隊第13旅団司令部」では、中国地方5県の防衛警備や災害派遣、民生協力に当たられており、呉市の「海上自衛隊呉地方総監部」では、東京都所属の沖ノ鳥島を含む1都1府12県に及ぶ広大な陸・海域の防衛警備に従事されています。
 自衛隊による国土防衛で戦後の平和が維持されてきたことにより、我が国の経済発展の礎を築くことに大きく貢献されてこられましたが、現在、周辺国による領海侵犯やミサイル実験など安全保障上の課題が山積しており、これまで以上に活動の重要性を増してきております。
 また、近年多発している地震・豪雨などの大規模災害時においても、人命救助や被災者の生活支援をはじめとした自衛隊の支援活動に対し、国民から感謝の言葉とともに、今後の活動に大きな期待が寄せられております。
 我々、広島県防衛協会としても、これまでの自衛隊との縁を大切にし、協会活動を通じて積極的に支援を行うことで、更なる県民の自衛隊の重要性の認識と国土防衛意識の高揚を図って参りたいと考えております。

防衛協会会報第154号(3.4.1)掲載

自衛隊員の皆様が活動しやすい環境を作るために注力していく
静岡県防衛協会 会長 鈴木与平
 
 世界で新型コロナウィルスの感染拡大が始まってから1年以上が経ち、多くの方が感染症に苦しんでいるだけでなく、経済的な打撃を受けている方も多く、世の中の常識が大きく変わってしまいました。全国防衛協会連合会会員の皆様におかれましても色々なご苦労に直面されておられるのではないかと拝察申し上げます。
 東西に長い県土を持つ静岡県内には航空自衛隊の浜松基地、陸上自衛隊の富士駐屯地をはじめ多数の自衛隊の基地や駐屯地があり、多くの自衛隊員の皆様が勤務をされています。また、国際港湾である清水港には毎年多くの海上自衛隊の艦艇にも寄港戴いております。私共静岡県防衛協会は広く静岡県民に自衛隊の理解を深めて戴くため、県民と自衛隊の懸け橋として活動を続けて参りました。しかしながら昨年は感染を防止するため、当協会の行事・イベントの多くも中止を余儀なくされてしまい、十分な活動を行うことが出来ず残念に思っております。
 自衛隊の活動は予期せぬ事態に備える国防に関する任務や、自然が引き起こす災害による被災者の救助や被災地の支援など、こうした状況の中でも中止や延期というわけにはまいりません。隊員の方々が通常の任務以上に気を使い、一段と難しい状況の中で活動をされているという事を我々は十分理解しサポートをしていかなければなりません。
 ようやくワクチンの接種が開始されましたが、世界中の人々が接種できるようになり、感染拡大が完全に収束するにはもう少し時間がかかることでしょう。現在も感染の波が繰り返さ れ、まだまだ先行きは不透明ではありますが、ウィルスに対して、しっかりとした対策を取ったうえで行事なども開催できるようになってくると思います。
 感染の脅威の中、多くの自衛隊員が昼夜を問わず過酷な任務に取り組んでいます。国民がその活動についてしっかりと認識し、理解をし、応援することが隊員の皆様の士気高揚に繋がるのではないかと思っております。静岡県防衛協会と致しましても、これまでの行事を一日も早く再開し、隊員の皆様が活動しやすい環境を作るために注力して参りますので引き続きご支援、ご協力をお願い申し上げます。
 早くこのような状況がよくなり,これまでのような活動ができるようになることを願ってやみません。

防衛協会会報第153号(3.1.1)掲載

自衛隊協力会岩手県連合会の活動と女性部会の設立について
 
自衛隊協力会岩手県連合会 会長 熊谷祐三
 
 明けましておめでとうございます。
 全国防衛協会連合会会員の皆様並びにご家族の皆様には、健やかに新年を迎えられましたことを心からお喜び申し上げます。
 平素から日本の平和と独立を守り、国の安全と繁栄、そして国民の生命・財産の保護という重大かつ崇高な使命のもと、日々職務に精励され任務に邁進しておられる隊員の皆様に対して深く感謝を申し上げますと共に防衛体制強化による即応態勢が確立されている証であり、衷心より敬意を表す次第であります。
 昨年は、新型コロナウイルス感染症の拡大により、当連合会定時総会は書面での開催となり、岩手駐屯地創立記念行事は中止、他の行事は規模を縮小しての実施になるなど、コロナ禍により事業運営には多大な影響をおよぼしております。
 近年、予測できない未曽有の災害となった大震災津波、大雨・豪雨災害、そして台風で毎年のように起こる土砂災害など大きな天災が相次ぎ、即応できる岩手県唯一の郷土部隊の重要性が一層高まっております。加えて隊員の皆様は、岩手の風物詩「いわて雪まつり」「盛岡さんさ踊り」の支援などを通じ、様々な場所で県民の力となり続けております。
 1957年の創立から64年目の現在、第二代東北方面特科連隊長兼ねて第34代岩手駐屯地司令 香川賢士司令のもとで訓練に奨励する1500人の隊員の皆様には、今後も県民と共に歩み続けていただくようお願い致いたします。
 我が国を取り巻く安全保障環境は、周辺国、特に北朝鮮によるミサイル発射事案や軍事活動の活発化、中国の尖閣・小笠原諸島への頻繁な領海侵入など、緊張感が極めて増しております。また、各国でのテロ事件の発生など、国際社会においても新たな脅威の対応が急務となっているほか、国内においては自然災害が多発し、国家の「最後の砦」である自衛隊への期待は益々高まっているところであります。
 自衛隊協力会岩手県連合会としましては、県内の自衛隊協力会、自衛隊支援団体との連携を密にし、防衛基盤の拡充強化と地域の発展に寄与する自衛隊の各活動を、今まで以上に積極的に協力・支援してまいります。
 また、組織体制を強化するために、女性部会の設立について協議してまいりましたが、令和2年4月1日、岩手県自衛隊協力会女性部会を設立、初代会長に佐々木祐子様が就任され、全国防衛協会連合会女性部会にも入会させていただきました。女性部会は、女性の立場から防衛問題の理解を深め、会員間の連携を密にして連合会事業の充実を図ることを目的に活動しております。
 今後、女性部会と共に「自衛隊に対する理解と協力」「県民と自衛隊との一体感の醸成」という本来の目的達成の為、各種事業を積極的に展開し、県民の防衛思想の普及高揚を図って参る所存でございます。
 最後に、日本国家の隆盛と全国防衛協会連合会の益々のご発展、会員の皆様並びにご家族の皆様のご健勝とご多幸を心からご祈念申し上げ、新年のご挨拶といたします。
令和3年1月1日

令和2年

防衛協会会報第152号(2.10.1)掲載

「自衛隊ファンとして」
佐賀県防衛協会 会長 大坪勇郎 
 
 佐賀県は穏やかな有明海と絶景の玄界灘の2つの海に面しており、北には背振山脈、南には広大な佐賀平野があります。有明海では、海苔の養殖が盛んで生産量は日本一となっています。
 また、県東部には、サッカーで有名なサガン鳥栖が存在し、県西部の唐津・伊万里・有田は古くから陶磁器の産地として栄えており、有田陶器市は有名で全国各地からの来訪者があります。この他、嬉野温泉は日本三大美肌の湯として知られ、嬉野茶も5年連続で農林水産大臣賞を受賞しています。
佐賀県は九州で一番小さな県でありますが、魅力あふれる市・町でいっぱいです。
 しかし、この佐賀県も昨年は秋雨前線の影響により記録的な大雨となり、牛津川は氾濫し周辺は南北約十キロの範囲で浸水致しました。大町町では、冠水被害により病院の孤立及び鉄工所からの油流出が発生するなど九州で最も被害が大きい地域となりました。
 この豪雨災害により避難住民は約三千人にものぼりましたが、自衛隊の皆様による迅速な支援活動により多くの住民が命を救われたことと思います。
 また、今年は、熊本で豪雨災害が発生し、自衛隊員が危険を顧みず泥まみれになりながら災害派遣活動にあたられる姿を見て、改めて自衛隊ファンとなり支えていかなければならないと強く感じた次第であります。
 自衛隊の活動は、国内の災害活動に留まらず、海外においても国際緊急援助活動・PKOなど様々であり、その訓練も非常に厳しいものと推測されます。
 この様な自衛隊の活動に対し、我々佐賀県防衛協会はできる限りの支援、ご協力を行うとともに、引き続き県民に対して防衛の重要性と自衛隊に対する理解を深めて頂き、隊員の皆様が今後も活動しやすい環境構築に努めてまいります。
 新型コロナウイルスに負けない自衛隊の活動を我々は、ファンとして応援し続けてまいります。
 結びに、全国防衛協会の皆様の今後益々のご活躍とご家族ともどものご多幸とご健勝を祈念申し上げます。

防衛協会会報第151号(2.7.1)掲載

「相互理解と、心からなる支援の真心」
徳島県防衛協会 会長 近藤宏章 
 
 徳島県は山間地・河川・瀬戸内海・太平洋・平野等に恵まれた自然豊かで風光明媚な美しく住みやすい県であります。また、食べ物は大変豊富で美味なものが多く、食文化も種々工夫され、県内外の方々に好評を博しているところです。
 代表されるものの中で、特に「すだち」「阿波尾鶏」「鳴門金時」「鳴門鯛」を始め、「阿波牛」「近海物の魚介類」「阿波米」「野菜」等の特産物が多数で、自慢の産地として親しまれているところです。
 文化芸術面では、400年以上の歴史を誇る県民総出の「阿波おどり」を、一度来県されご堪能いただければと思います。
 さて、私が徳島県防衛協会の会長に就任したのは平成20年6月でした。現在12年の在任でありますが、その間種々の出来事がありました。列記すべき事は、自衛隊の皆様の多方面にわたる活躍と、徳島県民の方々との相互理解と、心からなる支援の真心であります。 
 国土、国民の防衛という、まさしく国を守り、人命を尊重し守るという崇高な精神は、他に類を見ないものであります。自衛隊の皆様の心意気は誠に素晴らしく、尊敬の念をより一層深くしているところです。
 今般の日本並びに、世界を取り巻く情勢は、危機的な状況であり、その対策に懸命に立ち向かい、対応している自衛隊の皆様に、重ねて深く御礼を申し上げます。
 また、世界中がコロナウイルスの影響を強く受け、生命財産を著しく脅かされ、安定安心した生活の営みが不確実となっている現状の中で、自衛隊の皆様の支援、医療従事者の方々の懸命な活動は、誠に重要で、心より厚く厚く御礼を申し上げる次第です。賢明な国民性と人間愛に満ちた取り組みは、近い将来、完全克服できるものと強く期待しているところです。
 私は会長として三点の思いを持って自衛隊の発展に寄与して参る所存です。
 第一点は、前述のように自衛隊と県民の相互理解と相互協力の体制の確立です。自衛隊が遠い他領域の存在でなく、身近な生活に密着した存在であるという意識の醸成です。機会あるごとに、自衛隊の行事に積極的に参加することであります。日頃私たちが感じたり、認識していないところに視点を当てることが理解の第一歩と繋がりになります。
 第二点は、自衛隊の皆様が徳島に赴任して良かったと思える環境の整備であります。冒頭述べましたように、芸術、文化、豊かな自然と豊富な食べ物が多くあり、体感、体験を通して、徳島の良さ、素晴らしさを身に付けていただきたいものです。その橋渡しも重要な領域であろうと思っているところです。
 最後は、自衛隊の皆様の初期の目的の達成です。県防衛協会は、自衛隊の皆様の日々にわたる厳しい訓練、強靭な身体能力、生き方、生活全般について、強力で真心な支援を惜しまないところです。
 会員一人一人が常に心の内にしまい、いつでもどこでも、機会あるごとに発露し、共に行動し、生活の中に生かすことが大切です。
 徳島県防衛協会は人間尊重と、人権を尊重することを重視し、今後とも自衛隊の益々の発展と、日本国民の幸せのため、全力を傾注して参ります。

防衛協会会報第150号(2.4.1)掲載

これからも「ワンチーム」で
~「防衛・防災フェア」の実施
 
大分県防衛協会 会長 姫野淸高
     
 大分県は九州でも瀬戸内に面し豊かな自然と食にも恵まれています。「日本一のおんせん県おおいた」として源泉数、湧出量ともに日本一です。また、昨年の9月から11月にかけて開催された「ラグビーワールドカップ2019日本大会」では、準々決勝2試合を含む、地方都市では異例の5試合が開催されたことで、大分県の魅力を全世界に発信することができ、県民一人ひとりにとっても、大きな自信へと繋がりました。
 さて、ご案内の通り防衛協会は、国民と自衛隊との重要なパイプ役の団体として、「自ら、防衛意識の高揚を図り、国民への広報活動、そして防衛基盤の育成強化に寄与するとともに、自衛隊の活動を支援・協力することを目的に活動をしています。
 自衛隊の活動の一つに大規模自然災害への対応が挙げられます。近年多発する大規模自然災害は、私たちの想定をはるかに超え全国の至る所で甚大な被害をもたらしています。当県におきましても、先の熊本・大分地震、九州北部豪雨、そして台風など大災害のたびに自衛隊員が出動され、時として危険を顧みず、行方不明者の捜索や被災者の救出、インフラ整備の復旧に当たられています。
 そのような中、大分県防衛協会では、日々活動される自衛隊を広く県民、市民に知っていただくため、協会主催で「防衛・防災フェア」を毎年開催しています。昨年で5回目の開催となりました。フェアでは護衛艦や装備品の一般公開による国防に関する取組紹介をはじめ、海上保安庁、警察、ディ―マット、薬剤師会からの協力も得て、防災グッズの紹介や販売など、多くの県民の皆様にご参加いただき防衛・防災意識の啓発に努めています。
 近年、北朝鮮情勢、中国・ロシアによる領空領海侵犯、刻一刻と変化する国際情勢による脅威への対応、また大規模自然災害から国民の生命と財産を守るという観点から自衛隊の存在意義は益々高まっています。
引き続き、私共は九州・沖縄ブロックはじめ、自衛隊協力団体が連携し、ラグビーワールドカップで学んだ、レガシーとしての「ワンチーム」、(「ひとりはみんなのために」・「みんなはひとりのために」)で、自衛隊の活動を継続的に支援し、国民の防衛思想の普及高揚を図って参る所存でございます。
 結びに、全国防衛協会連合会会員の皆様の益々のご活躍とご多幸を祈念申しあげますとともに、当協会への変わらぬご支援、ご協力をお願い申しあげます。

防衛協会会報第149号(2.1.1)掲載

「日本の安全保障と自衛隊を考える契機に」
 
秋田県防衛協会 会長 中泉松之助
(元秋田県議会議長)
 新年明けましておめでとうございます。
 昨年元号が平成から令和に変わり、2年目を迎えました。皆様におかれましては、健やかなる新年をお迎えのことと存じます。
 秋田県防衛協会では現在県内3駐屯地、地方協力本部との連携を強化し、自衛隊の役割と活動を深く理解して頂けるよう県民と自衛隊とのかけ橋となるべく、活動を続けております。
特に、一昨年からは陸自秋田駐屯地に桜の苗木を寄贈、植樹し、10数年後には隊員のみならず広く住民の方々の目を楽しませる事になると期待しております。
 さて、我が国を取り巻く安全保障環境は激変し、米朝や日朝関係の問題、米中関係の悪化など外交のみならず、経済的な観点からも安全保障に関する各国の思惑と政治的スタンスの違いが不透明性を高め、一層厳しさを増す状況となっております。同盟国の米国との交渉であっても報道等で聞く限り、「自国は自分で守る」という自国防衛の意識を再認識させられるのは私だけではないはずです。 
 自衛隊は1954年創設以来、日本の平和と独立を守り、国の安全を保つために日々訓練を重ね国民の負託に応えてきました。近隣諸国の情勢が年々大きく変化する中、国防の任に当たる自衛隊の組織力強化と装備の拡充、更新は喫緊の課題です。国の防衛のあり方も検討を重ねており、一昨年の防衛大綱の見直しと共に、現在秋田県と山口県に陸上イージスシステムの配備が検討され、現地調査が進められておりますが、地元住民の間では物議を醸しております。陸上イージスは国防の観点から必要と考えますが、地元マスコミ等は国家全体の安全保障、国土防衛に関する重大な問題にも関わらず、本質的議論を避け根本的な問題を置き去りにして反対運動ばかりを報道してきました。
 そしてまた、国防を担い安全保障を推進する防衛省が陸上イージス調査報告書のデータを誤り、住民説明会での職員の居眠りなどもあり防衛省に対する住民の不信感は全県に広がりました。このような不誠実な対応は厳に慎んでもらわなければならず、今後は更に緊張感をもって議論を推進して頂きたいものです。              
 国内では昨今多発する自然災害等による災害派遣の増加など、自衛隊をめぐる環境は激変しております。自衛隊には引き続き日本の安全保障の為防衛面の強化を図り、国民が平和を矜持できることを願っております。
 我々秋田県防衛協会は、どのような環境でもひたむきに活動を続ける自衛隊員の手助けができれば、と考えております。

平成31年/令和元年

●防衛協会会報第148号(01.10.01) 「山形県防衛協会の活動について」清野伸昭(山形県防衛協会会長)
●防衛協会会報第147号(01.07.01) 「退職自衛官等の就職支援に関する協定」河野俊嗣(大分県防衛協会会長)
●防衛協会会報第146号(31.04.01) 「福が満開、福の島」渡邊博美(福島県自衛隊協力会連合会会長)
●防衛協会会報第145号(31.01.01)  「防衛の槌音響く国境の島々」國場幸一(沖縄県防衛協会長)

令和元年

防衛協会会報第148号(1.10.1)掲載

「山形県防衛協会の活動について」
山形県防衛協会 会長 清野伸昭
 
山形県は東北地方の日本海側に位置しており、蔵王連峰や朝日連峰、出羽三山、鳥海山など秀麗な山々に囲まれ、県南の置賜から村山、最上を経て庄内へと最上川が流れる自然豊かな地域です。また、夏は暑く冬は雪が多い気候から、つや姫や雪若丸などのブランド米やさくらんぼをはじめとする四季折々の果物、日本酒、ワイン、牛肉や豚肉など、自然から多くの恵みがもたらされる土地柄です。地域の食文化、そして優れた食材や地場産業を全国に発信しようと、9月には山形市の馬見ヶ崎河川敷で「日本一の芋煮会フェスティバル」が開催されます。このイベントは直径6.5mの大鍋でつくる芋煮を振る舞うもので、毎年県内外から多くの来場者があり、山形名物の芋煮会を楽しんでいただいております。
さて、山形県内には東北南三県(宮城・山形・福島)の防衛・警備、災害派遣等を担当する陸上自衛隊第6師団が東根市神町に所在しております。神町駐屯地は総面積約174万㎡で、陸上自衛隊の駐屯地としては全国で6番目の広さがあり、約2600名の隊員が日夜訓練に励んでおられます。 
また、隊員の皆様には先ほど記しました日本一の芋煮会フェスティバルをはじめ、東北を代表する夏祭りである山形花笠まつりや各種スポーツ大会などへの参加、そして運営支援等、地域貢献活動についても積極的に展開されております。
山形県防衛協会は昭和41年10月に山形県自衛隊協力会連合会として設立して以来、陸上自衛隊第6師団及び自衛隊山形地方協力本部からのご支援をいただきながら活動してまいりました。平成19年7月には、自衛隊への支援体制強化と県民の防衛意識をより一層高めることを目的に、会の名称を山形県防衛協会に改称し、現在に至っております。
主な活動としては、自衛隊幹部の方を講師に迎え、我が国を取り巻く安全保障環境の現状や、自衛隊の組織体制、災害派遣等具体的な活動内容などについて学ぶ防衛講話の開催、当協会はじめ各種支援団体と自衛隊側との連携を密にすることを目的とした懇談会の開催、第6師団及び第20普通科連隊の活動を紹介する広報誌発刊の支援などが主なものとなっております。
未曾有の被害をもたらした東日本大震災以降も熊本や北海道などで大規模な地震が発生しております。加えて、西日本や九州、関東、そして東北でも豪雨に見舞われるなど、大規模な自然災害が頻発しており、自衛隊による災害派遣活動が実施されております。
一方、海外に目を転じますと北朝鮮による核兵器やミサイル開発、中国による強引な海洋進出、さらには不安定化する中東情勢など、我が国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しております。このような状況から、自衛隊に対する国民の期待はますます高まっているものと存じます。
当協会としましては、県内各地自衛隊協力会・防衛協会と緊密に連携しながら、県民の防衛や安全保障環境に関する理解をより一層深めるとともに、自衛隊の皆様が活動しやすい環境づくりに今後とも努めていく所存です。

防衛協会会報第147号(1.7.1)掲載

「退職自衛官等の就職支援に関する協定」
県民と自衛隊の架け橋として全国で初締結
宮崎県防衛協会 会長 河 野 俊 嗣
 
 宮崎県防衛協会は、昭和37年に自衛隊協会として都城市を中心に発足いたしました。
 私が7代目の防衛協会会長職をお引き受けしてから6年が経過しようとしています。この間、県内の多くの協力団体の皆様には、様々な機会を通じて「防衛意識の高揚」と「自衛隊に対する支援・協力」のための活動を積極的に推進いただいており、心からお礼申し上げます。
 さて、世界の安全保障環境は、頻発する地域紛争やテロリズム、中東諸国の情勢、そして北朝鮮の核・ミサイル問題や中国による南シナ海での軍事基地建設、東シナ海での活発な活動など、一層厳しさを増しています。
 また、国内においては、一昨年の九州北部豪雨や昨年の北海道胆振東部地震など毎年のように大きな自然災害が発生しており、本県においても霧島山で新燃岳に続き硫黄山が250年ぶりに噴火するなど火山活動が活発化しております。
 このような情勢の中、自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国民の安全を保つという重要な使命を担っておられますとともに、災害時においては、救助や被災者支援活動に従事されるなど、その献身的な姿に多くの国民が感謝するとともに、自衛隊に対する国民の信頼はますます高まっております。
 一方、我が国では、少子高齢化・人口減少が急速に進行する中、依然として東京一極集中の傾向が続き、本県においても、あらゆる分野で労働力不足が深刻化するなど、将来にわたって持続可能な地域づくりが求められています。そのため、
本県では、昨年10月に自衛隊宮崎地方協力本部との間で「退職自衛官等の就職支援に関する協定」を締結いたしました。
 全国初となる本協定は、日々の厳しい訓練を通じて、技能や経験を培われた自衛官の方々が、自衛隊を退職された後、本県で活躍していただくための協定であり.
人手不足の改善に加えて、危機対応能力の強化等にもつながる仕組みとなることを期待しております。自衛隊の役割は、従来の領域に加えて、宇宙・サイバー・電磁波など、多岐にわたるものになってきており、ますます重く、厳しく、そして過酷なものとなってきております。
 当協会としましては、会員の皆様の御理解と一層の御協力をお願いするとともに、今後も県民と自衛隊の架け橋として、広く県民への防衛意識の普及・啓発に最大限の協力をして参ります。
 結びに、全国防衛協会連合会会員皆様の益々の御発展と御多幸を御祈念申し上げますとともに、引き続き、当協会へ御支援、御協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

平成31年

防衛協会会報146号(31.4.1)掲載

「福が満開、福のしま」
福島県自衛隊協力会連合会 会長 渡邊博美
   当連合会は、昭和41年8月の創立以来、陸上自衛隊福島駐屯地・郡山駐屯地、航空自衛隊大滝根山分屯基地及び自衛隊福島地方協力 本部と県民との相互理解、県民の防衛意識の高揚を目的として自衛隊各種行事等への協力・支援活動を実施しております。
さて、わが福島県は、東北地方の南部に位置し、総人口約180万人、面積は北海道・岩手に次ぐ3番目の大きさです。県内は南北 に延びる山々によって、風土・文化・気候に違いがあり、それらを越後山脈と奥羽山脈に挟まれた日本海内陸部の「会津」、奥羽山脈と 阿武隈高地とに挟まれた太平洋側内陸部の「中通り」、阿武隈高地と太平洋とに挟まれた「浜通り」と呼ばれており、来訪者に驚きと感 動をあたえています。特に今年は、震災の鎮魂と復興を願い平成23年から開催されている 「東北絆まつり2019福島(東北六魂祭)」 が6年ぶりに福島で開催されるほか、日本一大きなわらじで有名な 「福島わらじまつり」も50回の節目の開催であり、例年と違ったイベントになることは間違いありません。また、原発事故の対応拠点として使用された国内でも有数のサッカー施設であるJヴィレッ ジも今春全面再開され、本年9月のラグビーワールドカップや東京五輪でのキャンプ地としての利用が予定されております。 桜が満開のこの時期、「観・呑・食・遊」の4拍子そろった「福が満開、福のしま」へのご来訪をお待ちしております。  
   震災から8年が経過し、日本各地で激甚災害が頻発しており、震災の風化が進む中、本県は未だ原発事故による風評被害が続いてお り、県内の企業を取り巻く環境は大変厳しい状況にあります。そのような中、県内には防衛装備品等の工場を始め、自衛隊の制服の縫 製、戦闘糧食Ⅱ型を製造する会社等があり、まさに精強な自衛隊の活動を下から支えています。 平成最後の寄稿に当たり、第6師団の改編により県内自衛官の定 員の削減や県内の募集適齢者人口も減少する中、自衛隊員の募集環境は引き続き厳冬期ではありますが、当連合会は、引き続き各協力 団体等と協力しつつ県民の自衛隊に対する理解の深化と県民の防衛意識の高揚を図るとともに、自衛隊への絶え間ない協力・支援活動 を実施していく所存です。更に、会員の高齢化の中、後継者の育成、 新規会員の募集にも力を注いでいきます。
 

防衛協会会報145号(31.1.1)掲載

「防衛の槌音響く国境の島々」
沖縄県防衛協会会長 國場 幸一
       
 皆さん、明けましておめでとうございます。どうか本年も沖縄県防衛協会を宜しくお願い申し上げます。
さて長い間、防衛の空白地帯といわれてきました当地沖縄、南西諸島地域は、日本列島では一番遅く迎える新年の日の出と同じく遅まきながらも新しい防衛態勢の構築が今着々と進んでいます。
南西諸島は、広大な海域を有しており、その広さは東西約1000キロメートル、南北約400キロメートル、日本の本州がすっぽり収まってしまうほどです。そこには沖縄本島を含む47の有人島・尖閣諸島等の無人島等計約160の島々が点在しています。
平成28年3月、我が国最西端の島、与那国島に「与那国沿岸監視隊」が設立致しました。情報収集が主任務の約150名の部隊とは言いながら、かっては「ピストル2丁(警察官2名)で島の防衛」と揶揄されてきた島の人々にとり自衛隊の配備は沖縄の本土復帰以来の悲願であったそうで復帰直後の昭和48年4月の町議会で自衛隊誘致が決議されたにもかかわらず、長い間自衛隊の配備は実現しませんでした。その後の誘致運動等の紆余曲折を経てやっと設立の運びとなりましたが、そこには中国・台湾と直接国境を対峙する地域の人々だけが感じる「脅威」に対する認識が私達の考える以上に高かったことを示しています。同島への自衛隊の配置は、防衛のみならず島の活性化にも大きなインパクトを与えました。隊員及び同伴した家族による島の人口増は単なる経済的なメリットだけではなく生徒数が増えた小・中学校に活気を呼び戻し、島の人々をして「そういえば長らく子供たちの喚声を聞いたことがなかったなぁー」という感嘆の声となり今や島の人々の元気の源になっています。
再三にわたり今も続く中国による尖閣諸島地域への領海・領空侵犯等の脅威に対し南西諸島地域の防衛も航空自衛隊を中心にいち早く整備されその防衛力を向上させました。そして陸上自衛隊もまた与那国への沿岸監視隊配備に続き、宮古島には本年3月に約500~600名からなる「宮古警備隊」の配備、そして近い将来には石垣島にも同様な警備部隊が配備されることになっており、しっかりした堅固な防衛態勢を築く槌音が今後も続くものと確信しています。
 
沖縄県防衛協会としては、これら国境の島々に展開する各協力支援団体等と共に手を携え自衛隊の誘致をスムーズにし、また新しく配備された自衛隊の皆さんが活動しやすい環境づくりに今後も汗を流す所存です。

平成30年

 
 
●防衛協会会報第144号(30.10.01) 防衛意識の高揚・自衛隊への支援・協力 山元 文明(高知県会長)
●防衛協会会報第143号(30.07.10) 自衛隊と県民の架け橋として 鎌田 宏(宮城県会長)
●防衛協会会報第142号(30.04.01) 地域の信頼を得る姿勢 上野 孝(神奈川県会長)
●防衛協会会報第141号(30.01.01) 自衛隊に対する理解を深めるために最大限の協力を  堀内 茂(山梨県会長)

山元 文明(高知県防衛協会会長)

全国防衛協会会報第144号(30.10.1)掲載
 
 
 
 「防衛意識の高揚」・「自衛隊への支援・協力」
 
 

 本年6月から高知県防衛協会会長を拝命しております山元です。
 このたびの平成30月7月豪雨において被害に遭われた被災者の方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、1日も早い平穏と復興を心よりお祈り申し上げます。
 また、隊員の皆様が被災地で活動される真摯な姿に国民から信頼され、負託に応える組織であることを改めて感じた次第です。
 高知県下には、安芸・香美・香南・土佐・須崎・宿毛・土佐清水・青年部・女性部など各地区自衛隊協力会がございます。高知県防衛協会は、自衛隊の良き理解者として、各種事業を推進し、更なる広い視野と見識をもって「防衛意識の高揚」「自衛隊への支援・協力」を目的としております。
 四国地方の防衛体制におかれましては、昨年度、香川県善通寺市に本拠地を置く第14旅団に、16式機動戦車(MCV)を装備した「第15即応機動連隊」が新編され、より迅速・大規模な展開能力を持つ部隊へと改編したと伺いました。高知県内において活動する第50普通科連隊におきましては、新たに重迫撃砲中隊を新編され、高知県民としてもますます心強い存在になると感じております。
 高知県においては、今後近い将来発生すると言われている「南海トラフ巨大地震」による被害想定を前提として、人的被害を限りなくゼロに近づける取り組みや被害を最小化し早期復興を可能とするための対策の更なる加速化を進めています。自衛隊におかれましては、既に「南海トラフ巨大地震」を想定し、県内各自治体・関係機関と連携して、余震発生時の対応行動や自衛隊等による現地での活動調整を取り入れた倒壊家屋からの救助活動訓練が実施されたと伺っています。また、東日本大震災において、震災発生直後、迅速に10万人を超える体制で被災地における捜索・救助活動、復興支援活動を行ってきた自衛隊の活躍は、被災地の方々をはじめ、国民に勇気と希望を与え、自衛隊の重要性を改めて認識することとなり、大変頼もしく感じております。
 最後になりますが、現在、自衛隊の果たす役割は国防のみならず、国際社会への貢献や災害時の迅速な対応など広範囲で多岐に渡っています。このように自衛隊がいつも頼りになる存在であるためには、高知県防衛協会の「防衛意識の高揚、防衛思想の普及、自衛隊員の慰問・激励による支援・協力を行い、もって自衛隊の健全な育成に資することを目的」に各主事業を推進するとともに、国民と自衛隊のかけ橋として相互の理解を深めていく所存です。

鎌田 宏(宮城県防衛協会会長)

全国防衛協会会報第143号(30.7.10)掲載
 
 
 自衛隊と県民の架け橋として
 
 
 

 宮城県防衛協会の第6代会長を拝命しております鎌田です。
 当協会が所在する宮城県は、総人口が約230万人、西に奥羽山脈を仰ぐ広大な平野が存在し、米所として有名であります。
 加えて7年前の東日本大震災で壊滅的な被害を被りました気仙沼、女川、石巻、塩竃をはじめとした漁港は、鋭意現在も努力を傾注しているところでありますが、かつては140を数え全国屈指の水揚げを誇っておりました。
 歴史的には、17世紀に伊達政宗が仙台平野の中心にある青葉山に仙台城(青葉城)を築き、城下町が形成されました。
 仙台市は広瀬川や青葉山など風光明媚な自然に囲まれていることから「杜の都」と呼ばれており、現在の総人口は108万人を有し、東北地方の政治・経済・文化の中枢として発展しております。
 一方、宮城県に所在する自衛隊に駐屯地や基地の状況を申し上げますと次の通りであります。
 まず、陸上自衛隊では、東北方面隊の司令塔である東北方面総監部が所在する仙台駐屯地、第2施設団が所在する船岡駐屯地、東北方面航空隊等が所在する霞目駐屯地、第22普通科連隊等が所在する多賀城駐屯地、第6戦車大隊等が所在する大和駐屯地、弾薬支所の反町分屯地、更に航空自衛隊では、ブルーインパルスで有名な第4航空団が所在する松島基地の5個の駐屯地と1個分屯地及び基地が所在しております。
 宮城県防衛協会は、自衛隊と宮城県民の架け橋として、防衛意識のより一層の普及、高揚並びに自衛隊各駐屯地及び基地への物心両面にわたる協力・支援を主たる目的として昭和57年12月に設立致し、現在は法人会員75社、個人会員110名、女性部会員52名、団体会員10団体をもって構成され各種活動を行っております。
 これまでの主要な活動を振り返ってみますと、東北方面隊が毎年開催しております東北方面隊創隊記念式典や東北方面音楽隊フェスティバルは、開催前に東北方面総監と私とで協定書を取り交わし東北方面隊と宮城県防衛協会の共催行事として行われております。
 また、平成8年から4度にわたるゴラン高原や東チモールにおけるPKO活動、更には平成16年には「戦火に荒廃したイラクの人々を救済する」との大役を担って派遣された東北方面隊の隊員で編成した第3次(第9師団基幹)と第4次(第6師団基幹)イラク復興支援群や第2次イラク復興業務支援隊(東北方面総監直轄部隊)に対し、宮城県防衛協会が中心となって、イラク派遣部隊を励ます会を結成して壮行会の開催、激励品の贈呈、留守家族への対応など派遣隊員の士気を鼓舞する各種活動を行いました。
 さて、未曽有の災害となった7年前の東日本大震災では、全国の陸・海・空自衛隊に加え、米軍の皆様には身を挺して救済活動などにあたられ、その献身的なご活躍なくして、こんにちの被災地の復旧・復興はなし得なかったものと感謝の念に堪えません。
 近年の自衛隊の皆様には、国土防衛はもとより大規模災害対処、更には国際平和協力活動などの任務を厳正かつ的確に遂行され、国民の信頼を一段と高めてこられました。
 しかしながら、これからの自衛隊の皆様の各種任務を展望してみますとき、先の安全保障関連法案の成立を受け、付与される任務も、更に広範・多岐に亘り、厳しさも一段と増すものと予測されます。
 東北方面隊の皆様には、平素から東北方面総監を核心に、日々厳しい訓練にご精進を重ねられておられたことは承知のところであり、今後も更に、国民・県民に頼りにされる東北方面隊として使命の達成に邁進して戴けることを確信致しております。
 結びに、宮城県防衛協会としましては、会員の皆様の更なるお力添えを戴き、今後も県民と自衛隊の架け橋として、広く県民への防衛意識の普及・啓蒙と自衛隊の皆様への更なるご支援・ご協力に微力を尽くして参る所存であります。

上野 孝(神奈川県防衛協会会長)

全国防衛協会会報第142号(30.4.1)掲載
 
 
 地域の信頼を得る姿勢
 
 
 
 当協会は、神奈川県における自衛隊に係わる協会、協力会等の相互の連携、意思疎通及び情報の交換を図ることによって、県民の防衛意識の高揚を図り、防衛基盤の育成強化に寄与するとともに自衛隊の活動を支援及び協力することを目的とし、平成15年5月30日に発足し15年目を迎えます。
 去る2月25日に、本県の横須賀市内で自衛隊神奈川地方協力本部支援団体協議会主催の「神奈川自衛隊音楽まつり2018」が開催されました。
 この祭典は、自衛隊や防衛大学校等への入隊・入校を予定している若人を応援するものであるとともに、音楽を愛好する県民の皆様に自衛隊をご理解いただく場であり、今年も盛大に行われ、ご来場者には楽しいひと時を過ごしていただいたものと思っております。
 一方、世界情勢、とりわけ日本を含む東南アジアでは、ご承知のとおり、北朝鮮が核兵器や弾道ミサイルの実験を繰り返し、中国が国際法秩序を無視した東シナ海・南シナ海における活動を続けるなど、我が国を取り巻く安全保障環境は一層厳しくなっている情勢であり、前述の祭典に参加した将来の自衛隊を担う多くの若人が、自衛隊の崇高な任務を志して勇躍第一歩を踏み出すことを心から応援している次第であります。
 ご存知のように、自衛隊の皆様は、領土、領海、領空を守り抜くだけでなく、日本全国で発生する台風や豪雨など大規模自然災害時にも国民の生命と財産を守るため、日夜、災害救助活動にも活躍されています。そうした取り組みも国民の期待に応え、自衛隊に対する理解を一層深めているものであると感じています。
 ところで、国内の経済状況に目を向けますと、景気回復のすそ野が拡がりつつあると言われておりますが、我が会頭を務める神奈川県商工会議所連合会管内の各商工会議所では、深刻化する人手不足や消費者の節約志向などが大きく影響している状況であり、必ずしも景気回復の足取りを実感できていないのが大方の感想でございます。
 また、経営者の高齢化、後継者難などでこの5年間で40万社減少しているとも言われています。
 このように、中小企業にとっては決して明るい今の経済状況ではありませんが、自衛隊の皆様の職務に真面目に取り組んでいる姿、どのような事態にも対処されるよう訓練され国内外で日夜国民のために活躍されている姿は、経済界はじめ、様々な分野で将来に希望を抱かせるものであると私は思っています。
 神奈川県内には、大きく6ヶ所の基地・駐屯地等がありますが、自衛隊の皆様には、これからも県民、国民の信頼を得て、国の平和と安全に大きく貢献していかれるものと思っております。
 当協会も、県民の皆様に対する防衛意識の高揚と防衛基盤の育成強化のため、これからも一層活動してまいりますので、皆様方のご支援、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

堀内 茂(山梨県防衛協会会長)

防衛協会会報第141号(30.1.1)掲載
 
 
 自衛隊に対する理解を深めるために最大限の協力を
 
 
 
 富士吉田市は、山梨県の南東部、富士山北麓に位置する標高650mから900mに広がる高原都市であります。
  日本有数の国際観光地富士五湖地域の中央に位置する本市には、公共交通拠点である富士山駅と、道路アクセスにおいても5つの国道と2つの高速道路のハブ拠点があり、更なるアクセス整備に向けて、2つのスマートインターチェンジの早期供用に取り組んでおります。また、経済面でも商業地域としての機能を果たし、富士五湖地域における中核都市の役割も担っております。
 平成25年に世界文化遺産に登録された富士山でありますが、江戸時代から現在に至るまで富士登山の起点としてにぎわってきた本市では、富士山は五合目から山頂までというイメージを打ち破り、富士山の様々な楽しみ方を提案するとともに、麓から富士山を眺めて楽しむためのまちづくりにも取り組んでおります。登って楽しむ、眺めて楽しむという2つの側面から、富士山を軸に据えた観光施策を推進しております。
 また、ネクタイ・服裏地等の日本有数の生産地である織物産業は、富士山の恵みである水資源を最大限に活かした地場産業として発展してまいりました。 オイルショック以降、社会構造の変化により衰退しておりましたが、培ってきた高度な技術力を活かし、デザイン力を高めたオリジナル商品を開発するなど再び地域を支える底力のある地場産業として脚光を浴びております。富士山と織物を中心に本市の魅力を多角的にとらえ、住んで良し、訪れて良しのまちづくりにも取り組んでおります。
 さて、富士山北麓の本市と周辺2村には4597haに及ぶ広大な北富士演習場と、北富士駐屯地が設置され防衛施策の一翼を担っているところであります。
 また、北富士駐屯地は県内唯一の駐屯地であり、駐屯する第1特科隊は災害派遣から山林火災に至るまで県民の安全安心を守る大きな役割を果たしていただいております。
 特に平成26年の山梨豪雪の際には、除雪支援にとどまらず、孤立地域の安否確認などにもご尽力いただき、使命感を持って任務を遂行する自衛官の姿に感銘を受けました。
 一方で北富士演習場は、本市域のおよそ35.4%を占め、地域発展の阻害要因ともなっておりますが、防衛省の助成事業により、世界文化遺産「富士山」を学ぶ「ふじさんミュージアム」のリニューアルや教育施設などの施設整備、またスマートインターチェンジ周辺や市内幹線道路整備、子育て応援医療費助成などを実施しており、防衛施設と周辺地域との発展を調和するための施策を推進しております。
 このように本市の発展と国防の一翼を担うはざまで苦悩しておりますが、市長として市政の伸展に努力していくとともに、山梨県自衛隊協力会連合会長として、わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中、今後も自衛隊に対する理解を深めてもらうための支援や啓発活動に最大限の協力をしてまいりたいと考えております。
(富士吉田市長)

平成29年

●防衛協会会報第140号 29.10.01 自衛隊ゆかりの善通寺市にて我思ふ 常盤 百樹(香川県協会)
●防衛協会会報第139号 29.07.01 憲法と自衛隊 谷崎 博志(和歌山県会長)
●防衛協会会報第138号 29.04.01 岡山県防衛協会の活動について 泉 史博(岡山県会長)
●防衛協会会報第137号 29.01.01 鳥取県防衛協会の紹介 藤縄 匡伸(鳥取県会長)

常盤 百樹(香川県防衛協会協会)

防衛協会会報第140号(29.10.1)掲載
 
 
 自衛隊ゆかりの善通寺市にて我思ふ
 
 
 
 香川県防衛協会の常盤です。当会が所在する香川県には、栗林公園、屋島、金刀比羅宮など、多くの名所旧跡がありますが、本稿では陸上自衛隊第14旅団が司令部を置く香川県善通寺市についてご紹介をしたいと存じます。
 善通寺市は弘法大師空海の生誕地としても名高く、その市名は四国八十八ヶ所霊場の一つ、善通寺に由来しています。同寺は弘法大師空海が御父、讃岐国郡司の佐伯善通(よしみち)公のために建立し、その「善通」をとって「善通寺(ぜんつうじ)」と号したと伝承されております。同寺は、京都の東寺、和歌山の金剛峯寺と並ぶ弘法大師三大霊跡の一つとして、古より篤い信仰を集めております。
 また、同市は軍神「乃木希典大将」と縁の深い街でもあります。乃木将軍は明治31年、この地に新設された旧陸軍第11師団の初代師団長として赴任され、その後、第3軍司令官として、ここから日露戦争に出征し、旅順攻略にあたったことはつとに有名であります。現在の善通寺駐屯地には、乃木将軍が第11師団長として2年8カ月勤務された師団司令部の瀟洒な建物が今も現存しており、「乃木館」の愛称で親しまれ、往時の貴重な資料等が展示されています。また、兵器庫として使用されていた赤レンガの歴史的建造物もひときわ目を引き、多くの人々を集めております。ところで、乃木将軍は在任中、司令部から1里半ほど離れた金倉寺を宿舎としておりましたが、この寺にも「妻返しの松」という逸話が残っております。明治31年の大晦日、静子夫人が東京から遠路面会に来ましたが、乃木将軍は、部隊の士気への影響等を考慮して会わずに夫人を追い返したとのことです。途方にくれた同夫人は、本堂脇にある松の木まで歩を進め、その下で物想いに耽って佇まれたとか…やがて同夫人は、夫の胸中を察して帰っていったとのことです。乃木将軍は来るべきロシア軍との闘いに備え、第11師団を精鋭に鍛えるべく部下の兵士達と苦楽を共にする生活を送っていた最中のことでありました。この一件から、「乃木将軍妻返しの松」と呼ばれるようになり、とかく講談ではもて囃されるようになったそうです。明治の軍人の気骨を偲ばせる逸話として感慨深いものがあることから、ご紹介させていただきました。
 この他にも、善通寺市内には、旧陸軍第11師団の将校たちが集会所として建設した偕行社(国の重要文化財)など、自衛隊に縁のある建物が現存しています。皆さまも香川県を訪れる機会がございましたら、是非一度、善通寺市まで足をのばされてみてはいかがでしょうか。
 さて、陸自第14旅団では、来年3月の機動旅団への改編に向けた最終準備が進められており、更に精強な部隊へ進化しようとしております。我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中で、自衛隊の果たすべき役割が増々大きくなっていることなどを踏まえ、当会では自衛隊の皆様方をしっかりご支援できるよう今後も微力を尽くして参る所存であります。

谷崎 博志(和歌山県防衛協会会長)

防衛協会会報第139号(29.4.1)掲載
 
 
 
 憲法と自衛隊
 
 
 
 風薫る若葉の爽やかな気候となりました。 ゴールデンウィークもアッと云う間に過ぎ去り、“何の日か知らずに遊んだ四連休”と云う川柳が読まれたりしましたが三連休の始めか終わりに日曜が付いたのでしょう。
 何の日か知らなくても構いませんが、日本人ならせめて五月三日の憲法記念日は、日頃御無沙汰している日本の憲法を思い出す日にしたかったですね。 戦勝国が敗戦国を統治する為、急いで作った今の憲法は“日本が再び強い国になっては困る”と云う考えが根底にあります。
 ある政府の高官は「当時GHQの素人がたった八日で作り上げた代物」と云いました。 当時外相だった吉田茂の懐刀と云われました“白洲次郎”、彼は宝塚歌劇のテーマにもなりましたからかなりの国民は知っていると思いますが、この押し付けられた憲法を読んで憤激しGHQと強硬に掛け合いました。勿論相手は聞く耳を持ちません。 後になって当時占領軍の総司令官だったダグラス・マッカーサーは白洲の事を「唯一俺の云う事を聞かない日本人」と云って嘆いたそうです。 当の白洲も又、家に帰り「今に見ていろ」と云って口惜し涙を流したと聞きました。
 私達は、このいろいろあった憲法を70年間後生大事に守り続けてきたのです。只の一字も変えずにですよ。 同じ敗戦国のドイツは69回、イタリアでも19回自分の国の憲法を変えたそうです。
 現憲法の大きな欠陥は二つ。自衛権即ち自衛隊について明記されておらず、相手から先に撃たれなければ撃てない事。そして又、緊急事態条項もありません。ここ数年、東日本、熊本等で大災害が続きました。こんな場合に国民としてどう対応するかの記述がありません。こんな時の心構えについてはどこの国でも憲法に明記されているのです。
  素人の私が考えるには、憲法第九条の第二項について“陸海空の戦力は保持しない”とあるのを、“自衛隊は軍隊として日本の国をシッカリ守る”に書き換えるべきだと思っています。これは私達の責務です。
 安倍さんもよく分かっているのです。2020年には憲法を改正すると云いました。 今の憲法には自衛隊の『自』の字も無いのです。これでは日本の国を守って、とは云えません。憲法を改正し、自衛隊には日本の防衛をシッカリ御願いしましょう。 それには私達の支援が必要です。

泉 史博(岡山県防衛協会会長)

防衛協会会報第138号(29.4.1)掲載
 
 
 
 岡山県防衛協会の活動について
 
 
 
 岡山県防衛協会会長を務めております、泉史博です。  当協会は、備前岡山、倉敷、井笠、備北の四支部を擁して、会員数は千二百を数えております。
 岡山における自衛隊関係施設は陸上自衛隊の駐屯地が二か所設置されているほか、自衛艦を建造する造船所もあって歴史的にも自衛隊に縁のある土地柄であります。  
 日頃は自衛隊岡山地方協力本部からの強力なバックアップを頂きながら協力活動を行っておりますが、お陰様で、昨年、当協会は設立五十周年を迎えることが出来ました。  
 当協会の設立目的は、申すまでもなく「防衛意識の普及を図ることと、自衛隊の健全な育成発展に協力すること」としており、本年度の具体的な活動は主なものとして以下の事柄を実施しております。
 即ち、広報活動として「防衛おかやま」の発刊、自衛隊音楽まつりの実施、又、会員の研鑽活動として、会員の部隊訪問や、自衛官による防衛講話の公聴、富士総合火力演習の視察を実施しております。
 なお、岡山県自衛隊退職者雇用協議会と協力して、退職自衛官の雇用促進事業にも積極的に取組んでいるほか、隊友会などの友好団体とも密接に連携を取りながら防衛意識の高揚と自衛隊活動への側面的支援を実施しているところです。  
 防衛環境は内外共に激変し、課題解決に多大の困難を伴う昨今であります。北朝鮮問題や、尖閣諸島などを巡る中国の海洋進出、中近東の混乱は言うに及ばず、難民の流入阻止を企図した各国の政治姿勢の変更に伴って安全保障方針の不透明性が高まっている状況もあります。
 一方で国内の防衛環境を考えると、少子化からくる自衛隊員募集の困難性への対処や、限りある防衛資源を最大限に効果的に機動、機能させるとはしても、高価格化する防衛機器への対処など、足元の現実的な課題へも注目する必要があろうと思料されます。  
 日米安全保障に関して米国新政権とのコンセンサスが確認された中でも「自分の国は自分で守ろう」との防衛意識を高揚させることが防衛基盤のベースであることを改めて再認識するところです。このため、当協会の活動を一層活発にさせてまいりたいと考えておりますので、皆様のご理解、ご協力の程よろしくお願いします。

藤縄 匡伸(鳥取県防衛協会会長)

防衛協会会報第137号(29.1.1)掲載
 
 
 鳥取県防衛協会の紹介
 
 
 
 中国は尖閣諸島を含む東シナ海や南シナ海の領有権を主張し、仲裁裁判所の裁定を無視してまで軍事拠点化を図ろうとしているように思える。
 また、北朝鮮は核実験やミサイル発射など挑発的行為を繰り返して行っている。これらのこと以外にもグローバル化社会の反動、格差社会の拡大としてかどうかは不明であるが、様々なテロの脅威、紛争地からの避難移民問題、ポピュリズムの台頭などが世界中で発生している。  
 一方、戦後71年を経ったいま、世界の秩序づくり、世界警察としての役割を担ってきた米国が弱体化しているように見え、世界第2位の経済大国となった中国が、周辺諸国を取り込んで米国と並ぶ国へと変貌して、新しい世界秩序の構築を急いでいるようにも感じられる。  
 このような状況の中で、当会では毎年中国・四国地区自衛隊協力団長会議に参加し、共同見解を陳情・要望書として防衛大臣などに提出して、その成果として、要望事項が予算に反映されていると思っている。  
 一昨年9月に平和安全法制が成立し、自衛隊の任務が多様化している中、国民の理解を得るため政府も民間団体も同じベクトルで発言していかなければ、方向性を失うことにもなる。  
 日本海沿岸地方には海上自衛隊の基地が少なく、手薄であるように感じているが、山陰地方にも分遣隊の整備が必要不可欠ではないのか、他の協力団体と力を併せて切実な問題として提案していくことも重要ではないだろうか。
 ややもすれば、自衛隊関係のこととなるとソッポを向くか無関心を装う国民が少なくないが、いざとなったとき頼るべきは自衛隊しかいないのであり、もっともっと自衛隊に対する理解を深めてもらうための啓発活動や支援体制を充実強化していく必要があると思っている。  
 鳥取県は人口が一番少ない県であるが、平井伸治鳥取県知事の著書「小さくても勝てる」にもあるように、やればすぐできる県であり、そのフットワークの良さを活かして、経済界等とも連携を取ってすすめていくことが重要である。そのためにも、会員増強を図ることが先決である。
                  平成29年1月1日

平成28年

●防衛協会会報第136号 28.10.01 「福井県防衛協会の紹介」川田達男(福井県会長
●防衛協会会報第135号 28.07.01 「岐阜県防衛協会の紹介」村瀬 幸雄(岐阜県会長)
●防衛協会会報第134号 28.04.01 「中部自衛隊協力会の活動について」髙橋治朗(中部自衛隊協力会会長)
●防衛協会会報第133号 28.01.01 「地域とともに歩む自衛隊」岡本直之(三重県会長)

川田 達男(福井県防衛協会会長)

防衛協会会報第136号(28.10.1)掲載
 
 
 
 福井県防衛協会の紹介
 
 
 
 
 尖閣諸島周辺海域での領海侵入など、東シナ海や南シナ海で海洋進出を強める中国や、弾道ミサイルの発射を繰り返している北朝鮮など、我が国を取り巻く安全保障環境は緊迫度を増しています。
 また、テロやサイバー攻撃など、新しい危機や国家の防衛に対処しなければならない時代にあります。 特に、福井県は多くの原子力発電所が立地しており、有事の際に危機が及ぶ可能性もあります。
 今後もこういった状況の継続もしくは悪化に備え、国家安全のためにもしっかりとした体制を構築する必要があり、戦後70年を超えて築いてきた日本の平和と安全の維持に向けて、自衛隊の役割は益々増えていくものと感じています。
  一方、国内に目を転じますと、台風や水害、火山活動など自然災害が頻発しています。今年4月の熊本地震では、東日本大震災以来の震度7を記録し、甚大な被害が発生しました。自衛隊は深刻な状況にある被災地にいち早く駆け付け、危険を伴う倒壊現場での人命救助や瓦礫除去、炊き出し、給水、物資の輸送など、災害現場において昼夜を問わず迅速かつ懸命に任務にあたられ、その姿は頼もしくもあり、改めて存在の大きさを確認いたしました。
 こうした国家の安全を守る自衛隊の存在と、自衛隊員が日頃から厳しい訓練を重ね、不測の事態に備えているということを、国民に広く認識いただくことが肝要であり、その役割を担うのが我々防衛協会であります。
 福井県防衛協会では、自衛隊に対する福井県民の理解促進に向け、「陸・海・空自衛隊福井市中パレード」を、平成25年度より実施しております。昨年9月開催の第3回目となるパレードの当日には、会場の福井市中心部の目抜き通りに過去最多となる約2万7千名の観衆が集まり、F-15J戦闘機の閲覧飛行や徒歩部隊・車両部隊の観閲行進、音楽隊の演奏などに大きな拍手が送られました。
 本県唯一の実働部隊である鯖江駐屯地所属部隊のみならず、近隣府県の部隊が一体となった自衛隊の勇姿を実見し、有事における防衛体制を目の当たりにできたことは、防衛への関心の向上につながったものと感じております。
 第4回目となる今年は、10月1日(土)11時から開催されます。より多くの方にご覧いただき、自衛隊に対する信頼感と親近感を一層強めていただきたいと思っております。
 今後も当協会の活動趣旨にご賛同いただける方々と幅広く連携し、これまで以上に自衛隊活動を支援しながら、防衛思想の啓蒙普及に努めてまいります。

村瀬 幸雄(岐阜県防衛協会会長)

防衛協会会報第135号(28.7.1)掲載
 
 
 岐阜県防衛協会の紹介
 
 
 
 岐阜県防衛協会は自衛隊岐阜地方協力本部と連携し、自衛隊員の後方支援と会員同士の親睦を深めることを主な活動としています。
 毎年7月に定期総会を開催し前年度の決算報告と事業計画を承認するとともに、同日に講演会を開催しています。 平成27年度は自衛隊岐阜地方協力本部長 福原弘教1等空佐より自衛隊の概要についてご講演いただきました。
  平成27年11月には航空自衛隊浜松基地エアパークへの視察見学会を実施しました。岐阜県内の15支部から25名の会員が参加し、装備や施設の見学、フライトシミュレーターでの自衛隊機の操縦体験等を楽しみました。
 また自衛隊を退職された方の後方支援にも注力しており、自衛隊岐阜地方協力本部が開催している雇用協議会に毎年事務局が参加しています。
 防衛協会の会員事業所からも出席していただき自衛隊員の再就職への理解を広めています。
 毎年3月には次年度に自衛隊に入隊される方、防衛大学に入学される方を対象とした入隊入校者激励会を開催しています。
事務局

髙橋 治朗(中部自衛隊協力会会長)

防衛協会会報第134号(28.4.1)掲載
 
 
 
 中部自衛隊協力会の活動について
 
 
 
 中部自衛隊協力会会長を務めております、髙橋治朗です。
 当協力会は、昭和34年に東海地方を襲った伊勢湾台風の甚大な被害において、自衛隊による支援活動に対し、民間が感謝の意を込め、自衛隊を支援するための組織構築を目的に、昭和36年、名古屋商工会議所を中心に地域の団体や企業、個人で構成する民間団体として発足し、現在、会員数290名で構成されております。
 当協力会は、陸上自衛隊第10師団の活動支援を中心に、年間を通じて様々な事業を実施しております。 第10師団は、名古屋市守山区に司令部を置き、愛知県・岐阜県・三重県・富山県・石川県・福井県の6県を管轄地区としており、広範囲にわたって地域防衛の要を担っていただいております。具体的な事業としては、自衛隊をより深く理解していただくため、師団長による防衛講話、各地の基地視察、富士総合火力演習視察、音楽隊のコンサート鑑賞など会員向けの事業を実施するほか、愛知県自衛隊退職者雇用協議会と緊密な協力関係を構築し、退職自衛官の雇用促進事業にも積極的に取り組んでおります。
 世界情勢は刻々と変化し、ISなど急進的なイスラム原理主義の拡大によるテロの脅威の増大、シリア内戦によるヨーロッパの難民・移民問題、南シナ海での中国による威嚇行為、さらにはサイバー攻撃など多種多様な事態が発生し、我が国を取り巻く安全保障環境も大きく変化しております。    
 特に北朝鮮によるミサイル発射や核実験実施を含む挑発行為、中国による尖閣諸島周辺海空域での領海・領空侵犯など、予断を許さない状況にあります。  
 こうした情勢の中で、我が国が今後も経済・文化の発展を続けていくには、政府だけでなく、我々国民も国際情勢を認識したうえで最適な安全保障体制構築のために努力していかなければなりません。  
 当協力会が支援する陸上自衛隊第10師団は、米軍との協同訓練の参加、防衛協力・交流の推進、南スーダンにおける国連平和維持活動や国際緊急援助活動などを行っており、国際的にも高い評価を得ております。
 当協力会では、一昨年9月の御嶽山噴火による災害派遣部隊に対する支援物資の提供など、多くの災害救助活動に協力しており、国民・地域住民と自衛隊との架け橋となるべく、引き続き自衛隊との協力を実施してまいります。
 中部自衛隊協力会は設立当初から、自衛隊と中部地区住民との相互理解と親睦を図り、自衛隊の健全な発達に寄与することを目的としております。
 各種事業をなお一層推進していくことで、引き続き陸上自衛隊第10師団を支援してまいりたいと考えておりますので、皆様のご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

岡本直之(三重県防衛協会会長)

防衛協会会報第133号(28.1.1)掲載
 
 
 
 地域とともに歩む自衛隊
 
 
 
 明けましておめでとうございます。  全国の防衛協会会員の皆様には、ご家族ともども健やかに新年をお迎えのことと心よりお慶び申し上げます。
  さて、三重県は、陸上自衛隊「久居駐屯地」、「明野駐屯地」、航空自衛隊「笠取山分屯基地」、「白山分屯基地」と4つの拠点がありますが、この中でも陸上自衛隊の二つの駐屯地は市街地から近く、地域の人々が自衛隊を比較的身近に感じているのではないかと思います。
 昨年も、久居駐屯地では4月に開設記念行事、10月には明野駐屯地で航空祭がそれぞれ開催され、多くの見学者が訪れました。私も、久居駐屯地開設63周年記念行事に参加させて頂きましたが、日夜厳しい訓練で鍛えられた隊員の皆さんのきわめて士気旺盛な勇姿に接し、大変心強く、又頼もしく感じた次第です。
 ところで、自衛隊の活動は、我が国の国土防衛に加え、国際平和協力活動への参加や、国内外での大規模災害発生時における支援など、我々国民のみならず世界にとっても欠かせないものとなっています。
 我が国を取り巻く安全保障環境は一段と厳しくなっており、周辺国の動向には一層の注意が必要となっていることは疑いようのない事実です。ウイグルやチベット、そしてウクライナで起こった現実をふまえ、現在も進む中国の海洋進出や、いつ起きてもおかしくない朝鮮半島の有事などに対応するため自衛隊の存在はますます重要なものとなっています。
 また、東日本大震災における自衛隊の活動は、多くの皆様の記憶に残っていますが、県内においても「紀伊半島大水害」(平成23年9月)の際には、多くの地域住民の救助活動にあたって頂きました。当地域においては、東海地震、東南海・南海地震の発生が懸念されており、地震による被害もさることながら沿岸の各市町村においては津波による甚大な被害も予想されています。災害救助活動という点においても地域の自衛隊に対する期待は格段に高まっています。
 結びに、本年5月「伊勢志摩サミット」がここ三重県で開催されます。県は誘致に際し、この地で悠久の歴史を紡いできた伊勢神宮の「他の宗教などを排除せず、全てを受け入れて共存する精神」や「世界平和へのメッセージ性」を訴えてきました。これは昨年、戦後70年を迎えた平和国家としての日本を発信するにふさわしく、この地での開催は大いに意義のあることと思います。
 当連合会として、「伊勢志摩サミット」の成功を心から祈念申し上げるとともに、これからも地域の皆様に対する防衛思想の普及と愛国心の高揚のため、一層の努力をして参る所存でありますので、皆様方のご支援、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

平成27年

●防衛協会会報第132号 27.10.01 「日本人の意識改革の時は今しかない」中嶋君忠(長野県会長)
●防衛協会会報第131号 27.07.01 「地道にコツコツと」佐伯鋼兵(埼玉県会長)
●防衛協会会報第130号 27.04.01 「日本の誇り「自衛隊」」河本英典(滋賀県会長)
●防衛協会会報第129号 27.01.01 「心強い自衛隊応援団を目指して」青木 勲(栃木県会長)

中嶋 君忠(長野県防衛協会会長)

防衛協会会報第132号(27.10.1)掲載
 
 
 
 日本人の意識改革の時は今しかない
 
 
 
 戦後70年間平和な暮らしに慣れてきた国民は、世界の情勢が変わってきても、いぜん憲法9条を守っていれば誰も攻めて来る者はいない。二度と戦争はしたくない、と思っている人が大半である。
 誰も戦争を好む人はいない、しかし戦争をしても取れるものなら、力ずくで領土拡張を狙っている国は沢山ある事を忘れてはいけない。
 かつての中国は国力も戦力も無く他国の侵略を考える力はなかったが、今や膨大な戦力を持ち、反面アメリカの国力が落ちてきたのを幸いに、南シナ海では傍若無人に島の拡張に取り組み、近隣諸国やアメリカの云う事には耳を傾けることなく振舞っている。
 日本の尖閣諸島にも毎日のように領海に侵入し、領空侵犯も昨年よりも5割も増加しその度に航空自衛隊がスクランブル発進しているのが現状で、日米安保に少しでもひびが入ったらすぐにでも上陸をして取ってしまおうと虎視眈々と狙っている実情なのに、あまりにも不用心な国民である。これすべて愛国心を無くす教育の成果である。
 総理大臣の戦後70年の談話も野党、マスコミ、外国の圧力で屈辱的な談話を発表せざるを得なかったが、中国、韓国ですらおおよその評価をしているのに、半月もたった昨日の国会では何処の国籍の人かと思うような野党の議員が謝罪や侵略の言葉が足りないと盛んに食って掛かっていましたが、誠に情けない議員が居る物だと思いました。
 最後に戦争を知らない若い世代にまで謝罪外交を続けさせてはならないと言って居りましたが、歴代総理全部が談話を発表した訳では無く、たまたま50年、60年に当たったお利口すぎる人が語ったのが何時までも尾を引いただけなので、安倍総理にはこの際中止を発表して戴ければ良かったと思います。
 しばらくは批判もされるでしょうが、談話を発表しなければならない義務がある訳では無し、人の噂も75日それ以上は答える必要もなく、80年、90年も問題にならなくなるでしょう。 国家国民を守る為にも集団的自衛権の確立及び憲法の改正はどうしても必要な事であると思います。 
(平成27年8月25日)

佐伯 鋼兵(埼玉県防衛協会会長)

防衛協会会報第131号(27.7.1)掲載
 
 
 地道にコツコツと
 
 

 第6代埼玉県防衛協会会長を務めております佐伯鋼兵(埼玉県商工会議所連合会会長、さいたま商工会議所会頭)でございます。当協会は、自治体、団体、企業および個人で構成されており、会員数約400で、来年度に創立50周年を迎えます。  
 ここ埼玉県は、陸上自衛隊「朝霞駐屯地」および「大宮駐屯地」、航空自衛隊「入間基地」および「熊谷基地」が所在しており、首都防衛の要を担っております。しかしながら、いずれの駐屯地および基地も住宅地の真っただ中あること、また本格的な戦闘訓練等を実施する野外演習地等がないことから、戦車、戦闘機等の第一線の配備はなく、指揮機能、後方支援機能、および学校等に限られております。
 また埼玉県は、関東平野のほぼ中央に所在していることから、自然災害の発生は少なく、災害派遣等、県民が自衛隊員の活動を直接肌で感じることが、非常に少ない県とも言えます。さらに県民の多くが、県外からの移住者であり、東京に通勤する埼玉都民であることもあって、県民としての意識(郷土愛)があまり高くない県ともいえるでしょう。この郷土愛こそが愛国心に通じるものであり、郷土愛が希薄であることは、防衛意識が低く、正しく理解されていないことに繋がります。  
 自衛隊の親睦団体として活動している団体は多々ありますが、県民の防衛意識の向上に直接取組んでいる団体は、防衛協会が主体となっております。防衛意識が低い県民性に、難しい安全保障、防衛問題を訴えてもあまり効果がありません。
 当協会は、「まずは自衛隊を見て、触って、経験してもらい、これを通じて自衛隊を理解していただく。」ことを主眼に活動しております。具体的には、安全保障に関する講演会、自衛隊の音楽隊によるコンサート等を開催して、参加者に防衛協会のリーフレット(東部防衛協会作成)を配布(1000部×2回)して、会員拡大に努めるとともに、当協会の目的である「自衛隊と県民相互理解の向上」を図っております。
 また会員には、年5回程度部隊等の研修を行い、「見て、触って、経験して」を実施し、同じく目的である「防衛意識の普及高揚」を実施しております。  
 現在、国家百年の計ともいえる集団的自衛権について、大々的に議論されております。当協会は、政府の方針を支持すると同時に、地道にコツコツと会員、県民のご理解が得られるよう活動いたしますので、皆様のご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

河本英典(滋賀県防衛協会会長)

防衛協会会報第130号(27.4.1)掲載
 
 
 日本の誇り「自衛隊」
 
 
 
 滋賀県は、東海道・東山道(中山道)・北陸道が合流する陸上交通の要衝にあり、県土の6分の1の面積を占める琵琶湖は、京阪神1400万人の水がめとしての機能を担っています。その琵琶湖の北西の丘陵に陸上自衛隊今津駐屯地と航空自衛隊饗庭野分屯基地があります。
 今津駐屯地は、近畿2府4県を守る第3師団の第3戦車大隊、東海・北陸6県を守る第10師団の第10戦車大隊はじめ様々な部隊が駐屯。隣接する「あいば野演習場」は中部方面隊の最大規模の演習場で、年間を通じて射撃や各種訓練が行われています。一昨年秋には、陸上自衛隊と米海兵隊が、オスプレイを初めて使った日米共同訓練を行われています。航空自衛隊饗庭野分屯基地は、あいば野の南縁部にあり、地対空ミサイル部隊が配置されています。  
 また、琵琶湖南部の県庁所在地・大津市に大津駐屯地があり、中部方面混成団本部、第109教育大隊、第4陸曹教育隊があり、駐屯地では創立記念行事や夏祭りを行ったり、年間を通じて部隊見学・隊内生活体験等、地域の皆さまとの交流が行なわれています。
 滋賀県防衛協会は、昭和37年の創立より50年余、滋賀地方協力本部と緊密な連携のもとに、10支部と女性部、青年部が、防衛に関する意識の高揚や隊員の激励、慰問をはじめ数々の事業を行っています。例年春には、入隊・入校予定者の激励会を開催し、大きな期待を胸に入隊・入校される皆さんとご父兄に感謝と敬意を表すとともに、今後ともしっかりと支援をしていくという私たちの思いを伝える機会としています。昨年は、会員の増強、防衛意識の啓蒙をさらに強化する年として、自衛隊をもっと身近に感じていただくための講演会を開催しました。
 今年は、第二次世界大戦の終結から70年。わが国はこれからも、国際協調主義に基づく積極的平和主義のもと、わが国の安全と国際社会の平和と安定を維持していかなければなりません。しかし、周辺国の動向は目が離せず、特に中国の軍事力増強や軍事活動の活発化により、わが国周辺及び東シナ海・南シナ海などにおける安全保障環境がより一層深刻になってきています。国民の生命と財産、領土・領海・領空を守る自衛隊の活動はますます重要になっています。
 そして、海外における国際平和協力業務や災害援助活動、国内における阪神淡路大震災や東日本大震災をはじめとする災害支援活動によって、自衛隊に大きな期待と信頼が寄せられるようになりました。昨年の福知山や広島の水害や土砂災害への救援活動、御嶽山の噴火における救助活動など、数々の献身的な救助活動は、多くの国民に大変心強いものに映ったと思います。その圧倒的な機動力、高度な技術力、強靭な精神力は、私たち日本の誇りともいえます。  
 私たちは、こうした自衛隊の様々な活動をより多くの地域の方々に伝え理解を広げるとともに、隊員の皆さんが様々な場面でご活躍いただけるよう、今後とも支援を続けてまいります。

青木 勲(栃木県防衛協会会長)

防衛協会会報第129号(27.1.1)掲載
 
 
 心強い自衛隊応援団を目指して
 
 
 平成27年新春を迎え、全国防衛協会連合会会員の皆様には謹んで新春のお慶びを申し上げます。  
 さて、我が栃木県は、自衛隊栃木地方協力本部、北関東防衛局宇都宮防衛事務所、陸上自衛隊宇都宮駐屯地、同北宇都宮駐屯地が所在し、隊員の皆様は日々訓練に精励され、国民の安心安全の柱として日夜活動されております。
  昨年10月に発生した御嶽山噴火に伴う災害時には、北宇都宮駐屯地から第12ヘリコプター隊第1飛行隊、宇都宮駐屯地から第12特科隊を中心とした地上部隊がそれぞれ派遣されました。  
 また、宇都宮駐屯地に駐屯する中央即応連隊は、国際平和協力活動等において先遣隊として行動する陸上自衛隊唯一の部隊として、毎年多くの隊員が海外に派遣され、日の丸を背負い、任務を完遂されております。
 当協会といたしましても、昨年10月の派遣任務終了に伴う同連隊隊員の帰国の際には、初めてJR宇都宮駅において、留守家族や多数の関係者をご招待し、多くの市民の見守る中、帰国隊員に対する出迎え行事を盛大に開催いたしました。その際、一般の方々より「このような部隊があることを初めて知った、大変ご苦労様でした」などねぎらいのお言葉も拝聴することができ、大成功の行事となりました。  
 当協会青年部におきましては、昨年10月31日から2日間にわたり開催されました「第3回関東地区青年部連絡協議会栃木大会」において、開催地担当として地方協力本部の協力を得ながら準備を推し進め、関東のみならず全国防衛協会連合会及び同青年部会の会員の皆様多数ご臨席を賜り大盛会の大会となりました。今大会の開催が、当協会青年部にとりまして素晴らしい経験となり、会員の絆がより一層深まり、更なるスキルアップが図られたと思っております。また、これを機会に協会の組織拡大、特に青年部会、女性部会の会員増加に更に努めてまいります。  
 このように、私ども栃木県防衛協会は、年間を通じ県内自衛隊に対する様々な協力や当協会主催による各種行事の開催、それに伴う多くの県民に対する防衛思想の普及、会員の増加に尽力させて頂いております。また、今年の春、協会は創立47周年を迎え、会員一同ますます活動の輪を広げるべく、会の垣根を超え、県内各防衛協力団体との連携を図り、自衛隊と国民の絆の構築に一層の努力をして参る決意でございます。  
 結びに、全国防衛協会連合会会員の皆様の益々のご発展とご家族共々のご多幸をご祈念いたしまして新年のご挨拶とさせて頂きます。

平成26年

●防衛協会会報第128号 26.10.01 「県民の防衛意識の高揚、自衛隊への協力を会員の皆様方と共に!」幡谷祐一(茨城県会長)
●防衛協会会報第127号 26.07.01 「北の防人」と県民の架け橋として]杉本 康雄(青森県会長)
●防衛協会会報第126号 26.04.01 「新たな防衛計画元年にあたって」白石 省三(愛媛県会長)
●防衛協会会報第125号 26.01.01 [古都奈良から世界平和を願う] 前田 武(奈良県会長)

幡谷祐一(茨城県防衛協会会長)

防衛協会会報第128号(26.10.1)掲載
 
 
 県民の防衛意識の高揚、自衛隊への協力を会員の皆様方と共に!
 
 
 
 茨城県防衛協会は昭和39年11月の創立以来、本年11月に創立50周年を迎えることになりました。創立に関わられた諸先輩方々のご尽力と協会の活動を継続されて来た会員皆様方のご協力の賜物と深く感謝するところであります。
 創立当時自衛隊茨城地方連絡部は県庁敷地内の木造2階建にあり、前面には広場がありました。春闘の季節にはその広場が県職員組合の集会場となり、賃上げのシュプレヒコールと共に自衛隊税金泥棒!と気勢を上げられたものでございます。  
 現在では防衛庁が防衛省になり、国際貢献活動が各国から認められ賞賛されるまでになっております。 また、国内では先の東日本大震災を始め災害派遣活動での隊員の活動がTV等で報道され、その姿に国民は目を熱くするものであります。  
 災害派遣活動は本来の任務ではありませんが、自衛隊の存在を示すことになります。隊員の方々の地道な活動がどれだけ国民の理解を深めることになって来たかと言うことの証左であります。  
 中国、韓国との領土、領海、領空問題、北朝鮮のミサイル発射等我が国を取り巻く環境は穏やかではありません。このような状況に備えるためにも本来任務のための更なる充実強化が求められるものであります。  
 本年6月に茨城地方協力本部は防衛大臣から第1級賞状を受賞されました。誠に悦ばしいことであります。自衛隊協力諸団体の方々とご一緒にお祝いをさせて頂きました。昭和39年当時税金泥棒!と叫ばれていた隊員の方々のご苦労が土台にあることを忘れてはならないと思っております。  
 70年間平和な暮らしに慣れた者が国民の大部分を占めるようになり、「自分の国は自分で守る。」意識が更に薄らいで来ているように思われます。私どもの努力が足りなかったのかもしれません。 今後、次世代の方々に本会活動を繋いで行くために、県民の防衛意識の高揚、自衛隊への協力を会員の皆様方と共に地道に、着実に続けて参りたいと存じております。

杉本 康雄(青森県防衛協会会長)

防衛協会会報第127号(26.7.1)掲載
 
 
 「北の防人」と県民の架け橋として
 
 
 

 我が青森県は、三方を海に囲まれ、八甲田連峰、白神山地等の山々もあり本州最北の風光明媚な県であります。自衛隊の関連で言いますと、陸海空の自衛隊の部隊及び三将官が所在する自衛隊とは親密な関係のある県であります。陸上自衛隊の第9師団司令部が青森市にあり、航空自衛隊北部航空方面隊司令部が三沢市に、海上自衛隊大湊地方総監部が、むつ市に所在しております。  
 陸海空自衛隊の皆様には、我が国の平和と独立を守り、国民の生命・財産を保護するという崇高な使命とあわせて国際社会にあって、我が国の平和と国益に貢献するため、日夜厳しい訓練及び複雑多岐な任務に精励されておりますますことに深甚なる感謝を申し上げます。  
 昨年は、陸上自衛隊第9師団から南スーダンへの国際平和協力活動に派遣されていた第3次派遣施設隊約三百三十名の隊員が無事に帰国しました。又、海上自衛隊大湊地方隊からソマリア沖アデン湾の海賊対処にも派遣されています。航空自衛隊は、三沢基地からのスクランブル等が増加し、厳しい環境の中、無事任務を完遂されていることに、改めて敬意を表する次第であります。  
 加えて、各自衛隊は、ねぶた祭りをはじめとする各地のイベントに積極的に参加し地域との連携を大切にされていることに、重ねて感謝申し上げたいと思います。  
 私は、一昨年から青森県防衛協会会長を拝命し自衛隊と県民の架け橋として、微力ながら自衛隊の支えになればと努力している次第であります。私は青森市に在住しております関係上、近傍の陸上自衛隊青森駐屯地の第9師団長との親交が深く、各行事等に共催という形でかかわることが多いわけですが、第9師団は平成二十四年度に「創立五十周年記念行事」を機に、青森市新町通りの繁華街において四十三年ぶりに市中パレードを行いました。威風堂々の市中パレードを行い二万人の観衆に自衛隊の徒歩行進と車両行進を披露し、翌日は、青森駐屯地において、祝賀式典・模擬戦闘などを行い、訪れた多数の県民を魅了し、確固たる信頼と感銘を与えました。今年も共催し3回目の市中パレードを実施したところ、沿道で日の丸の小旗を振る観衆もふえるなど、一段と盛り上がった行事となりました。
 一方、国内外情勢は相変わらず、不透明・不確実であり、日米同盟上重視される米軍沖縄基地問題、北朝鮮の核開発問題及びミサイル発射問題他、中国、韓国、ロシアとの領土問題等我が国を取り巻く環境は極めて不安定な状態が続いています。このような情勢のもと、予測できない大規模自然災害など民生の安定への貢献の期待もあり、自衛隊に対する国民の期待は、今後も益々増大するものと思います。  
 このような状況の中、陸海空の自衛隊は「北の防人」として各指揮官を核心として日夜厳しい訓練に精励され、困難な任務を完遂し、精強部隊として活躍をしています。私共、防衛協会といたしましても県民と自衛隊との架け橋としていっそうの協力・支援の推進に努める所存であります。  
 青森県と自衛隊は現在まで、良好な関係を続けていますが、これからも益々親密に関係を深め、有事、不測事態及び大規模災害発生等の一大事には、県民と自衛隊が一体となって行動し対処していければと、県防衛協会会長として強く思う次第です。  
 皆様におかれましては、これまで同様、ご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。

白石 省三(愛媛県防衛協会会長)

防衛協会会報第126号(26.7.1)掲載
 
 
 新たな防衛計画元年にあたって
 
 
 
 全国防衛協会連合会会員の皆様には、平成26年度の幕開けに際し、新たな決意を抱いてスタートを切られていることと思います。
 新年度の会報発刊にあたり、我が国の防衛と自衛隊に対する支援・協力の一翼を担っております当連合会常任理事・愛媛県防衛協会会長として、皆様に我が国の防衛に対する連帯と決意を表明させていただきます。
 我が国の安全保障環境は、我が国固有の領土・領海や主権を脅かす不当な外圧と謂れ無き誹謗中傷・日本叩きの他、北朝鮮によるミサイル発射や国際世論を無視した核実験など、国際平和・地域の安定を希求する我が国への挑発行為が見られ、一層厳しさを増しています。
 また、国政に目を向けますと、外交・安全保障を最重要課題の一つに位置づけている安倍首相は、着実にその歩みを進めており、本年の年頭所感において、「『積極的平和主義』こそが、わが国が背負うべき『21世紀の看板』だと確信する」と強調したことも記憶に新しいところであります。
 この様な情勢の中、自衛隊は、南スーダン国際平和協力活動やソマリア沖・アデン湾における海賊対処行動、更にはフィリピンでの台風被害に対する国際緊急援助活動など、日の丸を背負って黙々と任務を遂行しており、その姿・能力は国際的にも高く評価されております。
 また、国内においても24時間態勢での警戒・監視活動の他、昨年10月に発生した台風26号による伊豆大島の土砂災害への災害派遣活動等を始め、多くの災害救助などにも活躍しています。
 このような自衛隊の活動については国民から更なる期待が寄せられており、私ども自衛隊を支援する団体におきましても隊員の皆様に対する感謝の念が堪えません。
 さて、我が国では、多様な事態により実効的に対処し得る態勢の整備を進めるとして、新たな「防衛計画の大綱」が閣議決定されました。これ等を実効的に運用するのも人・隊員であり、私ども防衛協会は、自衛隊を協力・支援する国民の代表として、更に防衛意識の高揚に努めて行く必要に迫られていると痛感しております。
 そのため、我が国の平和と安全に関して、先ず防衛協会から国民をリードして行こうではありませんか、そして、自衛隊の皆様にこの仕事をしていて良かったと感じていただけるよう、自衛隊を誇りに思う国民性の育成にも努めて参る決意でございます。
 終わりに、各協会の益々のご発展と会員の皆様のご多幸を祈念いたしまして、新年度のご挨拶とさせていただきます。

前田 武(奈良県防衛協会会長)

防衛協会会報第125号(26.1.1)掲載
 
 
 古都奈良から世界平和を願う
 
 
 
 平成26年新春を迎え、全国防衛協会連合会会員諸先輩には謹んで新春のお慶びを申し上げます。  
 昨年11月30日に我々奈良県防衛協会も歴代会長ご尽力のもと、設立50周年を迎え、全国防衛協会連合会江間理事長、奈良県知事荒井省吾様をはじめ県下選出国会議員の先生方、各市町村長様、県議会議員の皆様、自衛隊陸海空幹部のご臨席を賜り、かくも盛大に記念行事を挙行させて頂くことができて、私はじめ奈良県防衛協会会員一同心より厚く御礼申し上げます。
 また、小野寺五典防衛大臣から50周年に当たり身に余るお言葉を賜り、会員一同身の引き締まる想いでありました。  
 全国で唯一陸上自衛隊駐屯地の無い奈良県ではありますが、国家の領土と国民の生命財産を守り、国際貢献を目指すため、日夜訓練に精励されている防衛省自衛隊の皆様には心から感謝するとともに誠心誠意ご支援させて頂く決意であります。
 さて、一昨年の紀伊半島大水害では奈良県吉野郡十津川村でも、大豪雨により、山からの崩れた土砂が川を堰き止め、勢い衰えず対岸の集落までも襲って尊い犠牲者を出すに至りました。 想像をはるかに超えた豪雨に見回れ、迅速な避難が出来ず亡くなられた犠牲者の方々及びご遺族の皆様に対し、紙面をお借りし、心から哀悼の意を捧げご冥福をお祈り致します。
 この大水害による災害派遣の際、県知事の要請で京都宇治市に駐屯している第四施設団隷下第七施設群が陣頭指揮を執り救援活動に駆けつけて頂きましたが、大量の土砂で道路が寸断されていたため車両が通行できず、指揮官の指示で道無き道を徒歩で現地入りして全力で被災地の救援活動に当たって頂きました。  
 現在、被災地は国交省はじめ奈良県が復興に向け全力で工事にご尽力頂いていますが、災害に遭われた皆様から、当時救援に駆けつけた自衛隊隊員の姿と励ましの声を聞かされて大いに勇気づけられたと聞き及んでおります。 我々県民としても自衛隊の皆様には只々頭の下がる思いであり、心から感謝申し上げます。
 本来自衛隊の使命は国土防衛と国際貢献でありますが、厳しい訓練の積み重ね、即応態勢を堅持して国家国民に平和と安らぎを与えて頂いている隊員各位のために信頼と敬意を表して、我々防衛協力諸団体が国民と自衛隊との絆の構築に今日以上に尽力させて頂くべく必要性を感じております。
 現在、国際社会において、日本人は、誠実かつ忍耐強い国民性と国を愛する精神を有する豊かな心の国民として高く評価され、我々としても先進国として模範的な役割を果たしているものと思われますが、一部近隣諸国の理解を超えた問題提起に対しては、外交のみでは自国の利益のみを優先して相手国との交渉を有利に進めるということを踏まえて、今や国民の一人一人が我が国の防衛を真剣に考え、理解し、適切な抑止力を堅持することで日本の正しい姿勢を相手国に認識して頂けるのではないかと思います。  
 2020年にスポーツの祭典オリンピックが再度東京で開催されることが決定しましたが、このことは開催条件を満たすとともに日本国民の相手を受け入れる気持ち、すなわち「おもてなし」の心が高く評価され、開催国として最も相応しいと認められた結果であると確信しております。
 我々としましては、オリンピック開催決定を良い機会と捉え、古都奈良から世界平和を願望とする国家であることをより一層広く世界に訴えかけて、世界の人々との触れ合いとそこから湧き出る世界平和の絆を構築すべく努力を積み重ねて参りたいと思います。

平成25年

●防衛協会会報第124号 25.10.01 [安全保障についてしっかりと考える] 町田 錦一郎(群馬県会長)
●防衛協会会報第123号 25.07.01 [自衛隊を引き続き支援] 末吉 紀雄(福岡県会長)
●防衛協会会報第122号 25.04.01 [防衛基盤の育成を支援しさらなる充実・発展を図る] 稲垣晴彦(富山県会長)
●防衛協会会報第121号 25.01.01 [転機のいま、日本が生き抜くための憲法論議を] 鈴木 与平(静岡県会長)

町田錦一郎(群馬県防衛協会会長)

防衛協会会報第124号(25.10.1)掲載
 
 
 『安全保障についてしっかりと考える。』
 
 
 

 群馬県防衛協会は、「自衛隊と県民との相互理解を深め親睦を図り、もって自衛隊の健全な発展に寄与すること」を目的に「群馬県自衛隊協力会」として昭和38年1月に設立し以来50年間に渡り県民と自衛隊との架け橋となって参りました。
 当会は、群馬県に所在いたします相馬原、新町、吉井等各駐分屯地の行事を積極的に支援しているほか、自衛隊三大行事の見学や駐屯地研修、講演会などを通じ、県民に防衛意識の高揚普及を図っております。
 また、第十二旅団(相馬原駐屯地)の全面的な協力の下、県内在住の小学生を対象に、毎年約150名を相馬原演習場に招待し、青少年キャンプ教室を開催して、自衛隊に対する親近感の醸成や健全な青少年の育成に寄与しております。その他、当会下部組織の青年部会、女性部会についても積極的に活動しており、青年部会は昨年度、「群馬防衛シンポジウム2013・どうやって日本を守るのか?緊急トークライブ」として著名なパネラーを交え、ディスカッション形式で防衛問題について議論を交わしました。女性部会においても設立10周年の記念行事を昨年11月に行い、県内外より多くの方々にご来臨賜りまして成会裡に終了致しました。
 さて、今日の我が国を取り巻く安全保障環境は一段と厳しいものとなっております。北朝鮮は、核や弾道ミサイルの開発を推し進め、ロシアでは、極東地域での大規模演習を行い、昨年に引き続き活発な軍事活動を行っております。中国は、軍事力の拡大・近代化を図り、近年海軍力を増強し、外洋への進出を加速させております。また、我が国を含め、中国に領海を侵され、不当に領有権を主張されている国もあり、予断を許さない状況となっております。このような状況の中、先日行われました選挙により、長らく続いた衆参のねじれも解消され、ようやく安定した政治情勢となりました。  
 自衛隊は、創設以来、国民の負託に応えるため、日々厳しい訓練を重ね、真摯に与えられた職務を全うし、国民に認知され、国民に必要とされる自衛隊となりましたが、その一方、より効果的・効率的な防衛力整備が求められているところとなっております。また、我が国は自国を防衛する権利を有しながら、自国の法律により多くの制約を自ら課し、雁字搦めとなっております。
 現政権の中では、そうした矛盾を正し、独立国として当たり前の常態に戻そうと、その一歩を踏み出そうという機運も、徐々にではありますが高まっていると感じております。国内において慎重な意見も多くありますが、短絡的に反対するのではなく、安全保障についてしっかりと考えるよう啓蒙して行きたいと思います。  
 群馬県防衛協会は、我が国の防衛に尽力する自衛隊の皆様に深甚なる感謝と敬意を表しますとともに、会勢の一層充実を図り、防衛基盤の育成充実に邁進して行きたいと考えております。皆様方のご支援ご協力を賜りますようお願い致します。

末吉 紀雄(福岡県自衛隊協力会連絡協議会会長)

防衛協会会報第123号(25.7.1)掲載
 
 
 
 自衛隊を引き続き支援
 
 
 
 福岡県内には、福岡、北九州、飯塚、小郡、久留米、大牟田、女性部会など各地区自衛隊協力会がございます。福岡県自衛隊協力会連絡協議会は、各地区協力会や防衛協会との連絡調整や各地区協力会の健全な発展に資するとともに、自衛隊の行事に協力し、わが国の防衛に貢献することを目的としております。
 昨年度は、自衛隊記念行事への協力のほか、大分県の日出生台演習場における実弾射撃訓練見学や防衛講話の開催、防衛協会九州・沖縄地区大会への参加、全国防衛協会女性部研修大会の支援などおこない、防衛意識の高揚に努めてまいりました。
 自衛隊は発足以来、我が国の平和と安全の維持はもとより、国際貢献活動や災害発生時の災害派遣による人命救助、生活支援の分野で、その力を遺憾無く発揮し、国民生活の安定に多大な貢献をされています。
 福岡県においては陸上自衛隊第四師団をはじめ、陸上、航空の各部隊に地方協力本部を加え、総勢11,400人の自衛官の皆様が国内外での任務に当たっておられます。 特に一昨年3月に発生した東日本大震災では、10万人体制で災害派遣に臨まれ、九州・沖縄地区からも多くの部隊が派遣され、行方不明者の捜索・救助や被災者生活支援など、長期にわたり活動されました。
 また、昨年7月の福岡、熊本、大分に甚大な被害をもたらした九州北部豪雨では、西部方面隊区の各部隊より延べ5千人を超える災害派遣を展開されました。隊員の皆様が被災地で活動される真摯な姿に接し、国民から信頼され、負託に応える組織であることを改めて強く感じた次第です。
 一方、昨今のわが国を取り巻く安全保障環境は、北朝鮮の「人工衛星」と称するミサイル発射や核実験の実施、中国による尖閣諸島周辺域での領海侵入・領空侵犯、海軍艦艇による火器管制レーダーの照射などが発生し、またアルジェリアにおける人質事件など国際テロや国境を越えたサイバー攻撃などの課題もあり、依然として複雑で不確実なものとなっております。
 このような中、自衛隊は平素よりわが国周辺における警戒監視や情報収集などを不断に実施され、あらゆる事態に即応できるよう体勢を維持されております。特に北部九州に展開されている各部隊は、東アジア各国に接する防衛の要として、全国の自衛隊の中でも極めて重要な地位・役割を担っており、国民の期待も非常に大きなものがございます。隊員の皆様が国家・国民の平和と安全を守るため、日々厳しい訓練を積まれ、有事の際に備えられていることは、非常に心強く感じております。
私どもは、こうした自衛隊の活動をPRし、より多くの企業、住民の方々の理解を深めるとともに、自衛隊の皆様が国民の期待に十分応えうる活躍ができますよう微力ではございますが引き続き支援して参りたいと考えております。

稲垣晴彦(富山県自衛協会会長)

防衛協会会報第122号(25.4.1)掲載
 
 
 
 
 防衛基盤の育成を支援しさらなる充実・発展を図る
 
 
 
 富山県自衛協会は、「自衛隊を正しく理解し、県民との相互協力の実りをあげること」を目的として昭和38年12月に設立され、設立以来県民の防衛意識の高揚に努める活動を県内の他の協力団体と連携して行ってきております。
 昨年度は機関誌発行協力、自衛隊音楽隊演奏会協力、艦艇や自衛隊機の一般公開協力などの事業を行い、多くの皆様にご参加いただきました。さらに当協会は今年で50周年を迎えることができました。これは、偏に歴代の会長、役員、会員の皆様方が組織の維持発展にご尽力されてこられたことによるものであり、深く敬意を表するものです。設立当初よりご協力いただいております自衛隊富山地方協力本部の皆様にも感謝申し上げます。
 さて、東日本大震災発生から2年余り経過しましたが、被災地の復興はまだまだ進んでいるとは言い難い状況が続いております。震災発生直後、迅速に10万人を超える体制で被災地における捜索・救助活動、復興支援活動を行った自衛隊の活躍は、被災地の方々に勇気と希望を与え、全国民にその重要性を改めて認識させることとなりました。
 一方、日本を取り巻く安全保障環境を見てみますと、尖閣諸島に対する外国公船や航空機による相次ぐ領海・領空侵犯、北朝鮮によるミサイルの発射など、我が国の領土の防衛・警備の重要性を痛感する状況となっております。
 特に、国際社会から激しい非難を浴びているにもかかわらず全く意に介さずに軍事路線を推し進める北朝鮮の姿勢は、地理的に近い位置にある日本海側の県にとって大きな脅威となっております。また、アルジェリアで発生した武装勢力によるテロ事件は、我が国の国民の命と財産を守ることの重要性を改めて再認識することになりました。
 このような状況の中、国防についてその任に当たる自衛隊の組織力強化と装備品の拡充は喫緊の課題と考えます。私も第8代の会長として、厳しい状況下において懸命に任務を遂行する自衛隊に対し、引き続き微力ではありますが防衛基盤の育成という面から支援するとともに、当協会のさらなる充実・発展を図っていく所存でございますので、皆様方におかれましても、これまでと同様に、ご支援、ご協力の程よろしくお願い申し上げます。

鈴木 与平(静岡県防衛協会会長)

防衛協会会報第121号(25.1.1)掲載
 
 
 転機のいま、日本が生き抜くための憲法論議を
 
 
 
 今世紀は、アメリカはじめ中国、ロシア、インドと言った巨大多民族国家がそれぞれの国内に多くの矛盾を抱え、その矛盾の矛先を外に向けようとし、結果すさまじいエネルギーでせめぎ合う時代になると言われている。これにイスラム諸国が加わり国際情勢は極めて複雑な動きとなろう。
 こうした中で、中国、ロシア、アメリカと言う、必要ならば戦争も厭わない巨大多民族国家に囲まれた日本はどうしたら国際社会の中で生き残って行く事が出来るのか?国力の衰えが見える日本の、国際社会に於ける地盤沈下は食い止めることが出来るのか?我々に科せられた課題は大きい。
 今日本は幕末の黒船を迎えたのと同じ大きな転機にあると言ってよい。黒船の後、日本は明治維新を経験し、1889年に国家の基本体制を定めた大日本帝国憲法(明治憲法)が発布され、太平洋戦争が終わり、日本国憲法(昭和憲法)が施行されるまで58年間、この憲法の規定の中ですべてが決定されてきた。
 一方、1947年制定された昭和憲法は、今年で65年になり、いわばチョンマゲから太平洋戦争までを生きた明治憲法の58年よりも長い生命を保ち、日本国の基本的な体制を規定し続けているが、65年の歳月の間には、我々がチョンマゲから太平洋戦争迄の58年の間に経験した以上の大きな変化が今起きていると考えるべきではないか。
 我々を取り巻く環境は、米ソ対立の時代から、多民族国家のせめぎ合う時代へと大きく変化している。
 日本の戦後の平和と発展は米ソ対立の中、アメリカの軍事的な傘の下で初めて実現できた、いま米ソ対立はなくなり、日本に対するアメリカの軍事的な傘の意味もまた大きく変わってきている。こうした中、日本が独立国として自らの国を守る国防の意味もまた変わらざるを得ない。
 昭和憲法は、民主主義を定着させ、戦後の経済発展を支えたと言う大きな功績があったが、基本的には米ソ対立の時代に生まれ、その時代を日本が生き抜いて行く為の憲法であった。
 一国の基本的あり方を規定する憲法は、社会の変化や国際情勢の変化に応じて当然変わって行くべきであり、社会や人の物の考え方も変わり、多民族国家のせめぎ合いと言う時代の波の中で、日本がたくましく生き抜いて行くためには、こうした時代にあった日本の新しい社会システムを規定する新しい憲法について、冷静で科学的な議論が待たれる所である。

平成24年

●防衛協会会報第120号 24.10.01 [日本人の愛国心] 近東 宏光(奈良県会長)
●防衛協会会報第119号 24.07.01 [自衛隊の良き理解者として] 青木 章泰(高知県会長)
●防衛協会会報第118号 24.04.01 [自衛隊と県民の架け橋として] 加藤 久雄(長野県会長)
●防衛協会会報第117号 24.01.01  [私と自衛隊との関わり 年初に思うこと] 清水 昭允(鳥取県会長)

近東宏光(奈良県防衛協会会長)

防衛協会会報第120号(24.10.1)掲載
 
 
 
 日本人の愛国心
 
 
 
 7月27日から8月12日の間、26競技302種目で争われたロンドン五輪で日本のメダル数は金7、銀14、銅17の計38個となり、総数では過去最多だった2004年のアテネ大会の37個を上回った。メダル総数トップの米国にははるか及ばないものの、前回の11位から6位へと順位を上げた。選手達はそれぞれ懸命にプレーし、国民に数々の感動を与えた。日の丸が揚がるたびに、つい涙腺が緩み、胸にこみ上げる感情を覚えるのは私だけではないだろう。大半の日本人が抱いたであろう、この素朴な感情は愛国心の表れの一つではないかと思う。
 一方、我が国を取り巻く国際情勢は、益々混迷を深めてきている。特に、韓国の李明博大統領の竹島上陸問題、天皇の訪韓に関しての侮辱的発言及び野田首相からの親書受取拒否、或いは、尖閣諸島への香港活動家による不法上陸問題などにより、日・中・韓の関係悪化が懸念されている。
 これらの問題に対する韓国、中国両国民の反応は、反日運動へと高まるほど、激情的で、派手で、かつ侮辱的でもある。これに対し、日本国においては、国民は相変わらずさほどの反応もなく、良く言えば冷静に振る舞っているようだ。
 国内に目を転じると、原発反対のデモに数十万人が参加している。確かに、東日本大震災での福島第一原発事故は、地元住民に甚大な被害をもたらすとともに、平穏な生活を奪ってしまった。私は原発は無いに越したことはないと思うが、現在の日本の経済活動を維持する為には、当分は必要であろう。原発反対のデモに参加するのも一種の愛国心の表れかもしれないが、日本の領土を侵されていることに対する怒りの行動を起こすことも愛国心の表れであり、国際社会に日本の立場をアピールする上で有益なことなのかもしれない。
 奈良県防衛協会は、日本の平和と安全を守るために、自らの国は自らの手でという民主的な愛国心を高揚し、自衛隊の健全な育成・発展に協力し、その使命の達成を容易にさせるため、有志相図り民主的な運営の下に、昭和38年11月に設立され、来年は設立50周年という節目の年になる。
 これからも県民に対する防衛思想の普及と愛国心の高揚の為に、微力ながら努力して参りたいと決意を新たにしている次第です。

青木章泰(高知県防衛協会会長)

防衛協会会報第119号(24.7.1)掲載
 
 
 
 自衛隊の良き理解者として
 
 
 

 「愛・希望・勇気 今を越えてその先へ」この言葉は昨年行われた自衛隊音楽祭りのテーマでした、今の日本に必要とされるものを的確に表現しており、非常に感銘を受けましたのでご紹介いたします。
 昨年3月の東日本大震災では多くの尊い命が失われるとともに、東北地方を中心に甚大な被害が発生しました、被災された皆様に心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
 地震発生を受け我が高知県からは、第50普通科連隊と第14施設中隊から約470名の隊員が壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市を中心とした地域に災害派遣されました。隊員が危険を省みず懸命に復興支援活動に従事する真摯な姿は、多くの被災者に勇気と希望を与えるとともに、日本国民に大いなる感動と自衛隊の存在意義を深く認識させる事となりました。
 我が高知県は、近い将来必ずや起こると言われている南海地震の脅威があります。地震発生の際には、激しい揺れと大津波が襲って来る事が予想されます。 自衛隊においては既に地震発生を想定し、県内各自治体・関係機関と連携した訓練が行われており、大変頼もしく感じております。
 また、我が国周辺の安全保障環境に目を向けますと、北朝鮮が人工衛星打ち上げと主張している弾道ミサイル発射実験(地球の軌道を回らないものは人工衛星とは言わない)や核開発問題、中国との尖閣諸島領有権問題など、依然として不安定要因が存在し、その動向に細心の注意を払う必要があると認識しております。
 自衛隊は、皆様ご承知のとおり、我が国に対する直接侵略及び間接侵略はもとより、我が国の平和と安全に重大な影響を及ぼす脅威から国を防衛し、また、国際平和協力活動や大規模地震、風水害、山火事、原子力災害など多様な災害派遣任務に対し、まさに「事に臨んでは我が身の危険を顧みず、身を挺して責務を完遂」するべく取り組んでおります。
 私ども防衛協会は、このような厳しい任務に従事する自衛隊の良き理解者として、これからも各種事業を推進すると共に、広い視野と見識をもって、今後もより一層の防衛思想の普及と高揚に努める必要があると考えます。

加藤 久雄(長野県防衛協会会長)

防衛協会会報第118号(24.4.1)掲載
 
 
 
 自衛隊と県民の懸け橋として
 
 
 
 東日本大震災が発生し、1年余りが経過しようとしています。今もなお、テレビから映し出された、巨大津波に襲われ瓦礫の荒野と化した沿岸部の街並みや福島第一原発の爆発の映像が脳裏から離れることはありません。
 このような国家の一大危機に、自衛隊は持ち前の組織力を遺憾なく発揮し、最大時には10万人を超える体制で、人命救助や災害復旧支援などを行ってきました。
 なかでも、放射能漏れが起きている福島第一原発での作業や原発付近での行方不明者の捜索等、自らの命を顧みない自衛隊の災害支援作業の映像が流れる度に、国民は勇気づけられ、忘れかけていた日本人本来の感謝と慈愛に満ちた精神を思い出したものと存じます。
 長野県からも、陸上自衛隊松本駐屯部隊の隊員が、被災地で過酷な任務に従事してきました。私は、県民をあげて被災地で激務に耐えた隊員に感謝を申しあげたいと、私が会長を務める長野県商工会議所連合会が発起人ととなり、他の経済団体、農協、連合、自衛隊協力団体に呼びかけ、8月29日に「陸上自衛隊松本駐屯部隊東日本大震災県民感謝の集い」を開催しました。
 「集い」には、公務ご多忙の中、阿部守一長野県知事にもお越しいただき、会場となった松本駐屯地の体育館を埋め尽くした県民と一緒になり、自衛隊の活躍にねぎらいと感謝の言葉を申し上げました。
 松本駐屯部隊からは、感謝の集いの開催に、「大変ありがたく光栄」と御礼の言葉をいただきました。
 今回の「集い」の開催は、自衛隊と県民との架け橋として設立された防衛協会の原点ともいえる事業となったものと確信をしております。さて、自衛隊については、震災での活躍もあり災害普及支援だけがクローズアップされていますが、自衛隊の本来の目的は、他国の脅威から日本の安全を守る国防であることは明らかです。
 特に、我が国を取巻く安全保障環境は、金正日亡き後の北朝鮮の動向、急激な経済成長を背景とした中国軍の軍事力強化、更にはロシア軍による新型装備の開発・導入に向けた動きが顕著になる等、依然として緊迫した状況が続いております。
 また、ソマリア沖での海賊問題、南スーダンでのPKO活動等、我が国並びに国際社会の安定のため、自衛隊による平和維持活動が益々重要になってきています。防衛協会としても、自衛隊には、引き続き日本の国家安定のため、国民一人ひとりが、平和の恩恵を享受できるよう、防衛面での強化を図っていただくことを、切に願っております。

清水 昭允(鳥取県防衛協会会長)

防衛協会会報第117号(24.1.1)掲載
 
 
 
 私と自衛隊の関わり 年初に思うこと
 
 
 
 私の人生75年間は人との出会いから始まり、学生の時、又は社会人となってから良き先輩、又は師匠に恵まれ現在があることに感謝している。
 戦争が終わり疎開して帰った中学校でバレー部に入り、県で優勝した原動力は指導者の中川の「おっちゃん」であった。次の高校では水泳部に入り上達のコツを覚えた。先生は個人個人のタイムを覚えて居られて、少しでも悪いと柄タワシでコツンとやって、「もう一回」と言われる。一生懸命となってタイムが上がった。物事、意気込みがあがって上達するものである。
 社会に出てから、お袋が我流で詩吟をやってくれて、私も先生を見つけて門をくぐった。今、52年目になって上席師範であり、いろいろな場面で役にたっている。
 自衛隊との関わりは、昭和45年頃JC活動をやっていた時だった。私は人に誘われて良いと思う会へは積極的に入ることとしており、「企業開発クラブ」という異業種交流のサークルで先輩ばかりの会であったが、その会で知り合いになった細田さんから自衛隊の協力会に入れと声がかかり入会した。
 それは、予備自衛官制度があって、自衛官が民間企業へ就職準備をする会だった。鳥取には陸士卒の方が二人居られ、今井さんと細田さんで設立する手伝いをして始まった。昭和58年に「鳥取県自衛隊退職者雇用協議会」が発足した。少し長いが分かり易い。高卒で自衛隊に入り、3~4年訓練を受けて予備自衛官として社会に出る就職の受け皿である。
 そして歳月が巡って、平成4年PKO活動でカンボジア派遣等が有り、大隊長の話を聞いた。イラク派遣があった時には「ヒゲの隊長」の話を聞いた中で、中四国ブロック自衛隊協力団体長会議が有る事も分かり、9年ごとに廻ってくるのでこれまで3回体験したこととなる。
 初めは使い走りだったが段々役目が重くなり、今年の5月に開催する協力団体長会議の準備を防衛協会会長という立場で今準備を進めている。 自衛隊の役割は非常に様々であるが、昨年の東日本大震災・福島原発事故をはじめ台風12号、15号などの激甚災害を教訓として、多くの国民は、自衛隊の存在感・価値観を改めて認識したところである。 中四国ブロック大会においては、これら災害時における自衛隊の活躍ぶりをPRするとともに、安全保障を考え、自衛隊の処遇改善等々議題として提出し、中四国の自衛隊協力団体長の賛同を得て、働きかけをしたいと願っている。

平成23年

●防衛協会会報第116号 23.10.01 [広島と自衛隊の縁] 深山 英樹(広島県会長)
●防衛協会会報第115号 23.07.01 [苦しい時の友こそ真の友]  國場 幸一(沖縄県会長)
          [今こそ会員増強を] 近藤 宏章(徳島県会長)
●防衛協会会報第114号 23.04.01 [日本国民であることの矜持] 北川 聡一(兵庫県副会長)
●防衛協会会報第113号 23.01.01 [自衛隊を好きな人はいい人です] 竹林 武一(三重県会長)

深山 英樹(広島県会長)

防衛協会会報第116号(23.10.1)掲載
 
 
 
 広島と自衛隊の縁
 
 
 

 かつて、旧陸・海軍の司令部や鎮守府を擁し軍都として発展した広島は、現在も自衛隊とのつながりが深い地域です。  
 まず、広島市に隣接する海田町には、陸上自衛隊第13旅団の司令部が置かれています。第13旅団は平成11年に陸上自衛隊初の旅団として誕生し、第13師団の伝統を受け継ぎつつ、中国地方5県の防衛警備や災害派遣、民生協力に当たられています。
 3月に発生した東日本大震災に際しては、福島県に最大人員約1,500名、車両400両、ヘリコプター3機を派遣され、「福島の光明作戦」が展開されました。給水・入浴支援や瓦礫の撤去、さらには福島第1原子力発電所から半径20km圏内での行方不明者の捜索活動や放射線量の測定など、非常に困難な状況の中で、約3ヶ月間にわたる復旧・復興活動を進められました。
 一方、帝国海軍の鎮守府時代からの歴史が息づく呉市には、海上自衛隊呉地方隊の司令部、呉地方総監部があります。明治22年の呉鎮守府開庁以来、帝国海軍の主要基地となり、昭和20年の終戦、海軍省の廃止により鎮守府は閉庁しますが、昭和29年の海上自衛隊創設と同時に呉地方隊が新編され、1都1府12県に及ぶ広大な陸・海域の防衛警備に従事されています。
 東日本大震災においては、艦艇約20隻、航空機約10機、隊員約2,200名の災害派遣部隊を派遣され、捜索・救助活動や救援物資の輸送などの支援活動を展開されました。国外においても、ソマリア沖・アデン湾での海賊対処活動に向けて、呉から多くの艦艇が出港し、任務に当たっています。
 わが国周辺では、国際的なテロ活動への懸念や北朝鮮による拉致問題・核開発など安全保障上の課題が多数存在しています。また、大規模災害時における自衛隊の支援活動には、国民からますます大きな期待が寄せられています。
 我々といたしましても、自衛隊との縁を大切にし、地域住民や企業に対しまして、今後とも自衛隊の重要性の認識と国土防衛意識の高揚を図る努力を重ねて参りたいと考えております。

國場 幸一(沖縄県防衛協会会長)

防衛協会会報第115号(1)(23.7.1)掲載
 
 
 
 苦しい時の友こそ真の友
 
 
 
 
 このたびの東日本大震災において被害に遭われた被災者の方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、1日も早い平穏と復興を心よりお祈り申し上げます。
 それにしても救援活動に駆けつけた10万人以上の自衛隊員の統制の取れた迅速かつ献身的な活動にはただただ頭の下がる思いがするばかりで、日頃の厳しい訓練の積み上げと透徹した高い使命感を感じざるを得ませんでした。
 国難ともいうべき今回の大震災において自衛隊の行っている救援活動を通じて国民が自衛隊の存在をこれほど身近で頼れる存在として自覚したことは恐らくなかったのではないでしょうか。 一方米国もまた多くの大震災支援国の中で最大のピーク時約2万名の兵士、空母を含む艦艇、航空機を被災地へ派遣し、約1ヶ月に及ぶ史上最大ともいうべき日米共同による様々な救援活動「ともだち作戦」を行って同盟国としての役割を果たしてくれました。
 そして沖縄に駐留する米軍も在日米軍の一翼を担って、海兵隊を中心に5千名以上の米軍兵士が日本国民救援のためにこの作戦に参加しました。  沖縄は今日多くの米軍基地を抱え、安全保障上或いは一般社会生活上においても米国との関係をより身近に感じるところですが、日米安全保障条約に基づく米軍基地の存在は冷戦時代を通じ長きにわたって日本の平和と東アジアの安定を守る役割を果たしてきました。
 今回は普天間基地を含むこうした米軍基地が大震災における米軍の支援基盤となって大部隊の救援活動を可能にさせた事を考えると、米軍基地の果たす役割について今一度検証する必要があるように感じ ます。 基地移設問題や米軍人等による事件・事故の発生等沖縄における米軍は日頃から何かと厄介者として取り扱われがちですが、南シナ海に展開中にも拘わらず長駆被災地への救援に「いの一番」に駆けつけてくれた同盟国の友に対して私たちは素直に感謝の念を申し述べるべきではないかと思います。
 このたびの大震災において、国民の多くが「いざ」というとき日本を守れるのが自衛隊であることを、また助けてくれる友が誰なのかをよく認識できたはずであり、米軍はまさに”苦しい時の友こそ真の友(A friend in need is a friend indeed.)を実践し同盟の一つのあり方を身をもって示してくれたように思います。

近東 宏章(徳島県防衛協会会長)

防衛協会会報第115号(2)(23.7.1)掲載
 
 
 
 今こそ会員増強を
 
 

 東日本大震災における自衛隊の救援活動は日頃から自衛隊を応援している立場として非常に誇らしいものであった。未曾有の大災害に対して、10万人体制で救援活動を展開し、捜索活動及び生活支援に取り組む姿は力強さの中にも被災者のニーズに合わせたきめ細やかな心遣いがあり、多くの国民に感動を与えたのではないだろうか。
 震災から数ヶ月余を経たが、震災の日の光景は未だ脳裏に焼き付いている。何気ない日常風景が津波に飲み込まれていく様は、古来より何度も南海地震による津波被害を受けてきた徳島に居住する者にとっては決して他人事ではない光景である。周知のとおり、近い将来に東南海・南海地震の発生が予想されている。いつか我が郷土が津波によって甚大な被害を受けるのではないかという不安は増すばかりである。そのような不安を払拭してくれるのは自衛隊しかないと確信している。平成24年3月に徳島県阿南市に陸上自衛隊の駐屯地の開設が予定されている。徳島で陸上自衛隊の駐屯地ができることは初めてのことであり、県民にとっては待望の駐屯地開設である。しかも災害派遣で大いに力を発揮してくれる施設部隊が移駐することは非常に心強いことである。今後も防衛協会の会員増強を推進し、新駐屯地が円滑に徳島に根付いていくよう、積極的に協力していく所存である。また、全国的な視野においても震災により、防災への意識が高まった今こそ、会員増強を推進し、自衛隊への協力基盤の育成に努める時ではないだろうか。
 国際情勢においても、多くの不安が依然として残っている。北朝鮮による拉致問題はいまだ未解決のままである。また、軍事力拡大を続ける中国に対して、多くの国民は不安を感じている。このような時代だからこそ国民の自衛隊への期待も増しているのだろう。自衛隊がこの期待に応えられるよう、防衛協会は支えとしての役割を担わなければならない。
 最後になったが、災害派遣活動で大活躍された隊員及びその隊員を後方で力強く支えてこられた隊員の方々に、心からの感謝と敬意を表して擱筆とさせていただきたい。

北川 聡一(兵庫県防衛協会副会長)

防衛協会会報第114号(23.4.1)掲載
 
 
 
 日本国民であることの矜持
 
 
 
 昨年、日本が最も沸き立ったできごとの一つに小惑星探査機「はやぶさ」の帰還がある。7年間の長期に亘る飛行に耐え、次々と発生したさまざまな困難に打ち勝ち、約60億キロの距離を踏破して、世界で初めて月以外の天体の物質を持ち帰ったのである。
 日本の科学技術の高さや工業製品の信頼性に加え、プロジェクトを支えた人々の粘り強さや団結力、更にはプロジェクトリーダーの強い意志に多くの日本人が感激すると共に、日本国民であることに誇りを感じたのではないだろうか。
 その対極として大きな失望を呼び起こしたのは、尖閣諸島付近における海上保安庁の巡視船と中国漁船との衝突事件であり、その後に引き続いた映像流出などの一連の騒動が話を更に複雑にした。
 これはある面では日本人の目を覚まさせた事件とも言えるが、やはり対処にあたっての外交上の拙さが際立ったというのが大方の評価であり、その経過は耐え難いものであった。
 また、この事件と並行して中国国内で日本企業の社員が不可解な拘束を受けるという外交問題が起こったが、そのタイミングといい、決着の仕方といい、誠に後味の悪いものであった。
 この二つの出来事から感じるのは、国家の繁栄をドライブするのは、科学技術に裏打ちされた経済活動であり、また国家存立の前提として安全が保障されていなければ、安心して経済活動はできないということである。安全保障と経済活動の両輪が揃ってこそ、日本国民としての矜持は保持されると考える次第である。 ところが、この安全保障への危惧を感じさせるような事象が最近頻発している。領海侵犯を始め、朝鮮半島情勢の緊迫や北方領土問題など枚挙にいとまがない。
 しかし、ここで大事なのは日本国民を代表し、矜持を持って正当な主張ができるリーダーシップの存在である。しかるに領土問題を例にとっても、古文書の記述を諸外国が理解してくれるであろうという、いわば他力本願的な内向きの説明が幅を利かせている。
 そのような論理を振り回した時点で、外国との論争に負けているといわざるを得ない。やはり、現在進もうとしている進路を諸外国に向けてアピールできるリーダーシップが安全保障の維持に求められるのであり、経済活動と国民の安全保障に対する意識がリーダーシップを支えているのである。  
 防衛協会としても日頃の活動を通じて、安全保障に対する意識の向上を図り、その結果として日本国民の矜持が醸成されていくことを望んでいる。

竹林 武一(三重県防衛協会会長)

防衛協会会報第113号(23.1.1)掲載
 
 
 
 自衛隊を好きな人はいい人です
 
 
 
 三重県防衛協会連合会会長に就任して3年になります、その間世間ではいろんな動きがありました。
 特に今、大きな時代の転換期にあると思います、その中にあって日本をとりまく安全保障環境としては北朝鮮の核や弾道ミサイルの問題、周辺国の軍備増強、尖閣諸島領土問題、海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突問題、普天間基地移転問題等があります。
 そのような私の手におえない大きな問題を「意識の問題」と捉え県防衛協会会長として、「防衛意識の高揚」、「防衛基盤の育成強化」、「自衛隊の活動支援」を目的とする当会の活動に、私は県民をあげての協力を期待するとともに、微力ではありますが尽力したいと思っているところです。
 兼ねて「自衛隊協力会三重地本友の会」の会長をお引受けして14年、自衛隊の新しい力としての新隊員の募集に関し、大きな力を発揮していると自負しています。
 三重県内には陸上自衛隊久居駐屯地をはじめ航空自衛隊白山分屯基地、航空自衛隊笠取山分屯基地、陸上自衛隊明野駐屯地を有し、周年記念事業、見学会、各種大会等数多くのお誘いを受け隊員のキビキビとした凛々しい行動を目のあたりにして頼もしいと思うとともに、我れ人生意気に感じています。
 本文の表題としました「自衛隊を好きな人はいい人です」という言葉は、県内の自衛隊入隊予定者激励会において3年前に発して以来、いつも言っている言葉です。
 この言葉は、これに終わるのではなく「自衛隊を好きな人はいい人です 自衛隊を嫌いな人は悪い人です」と言っているのです。この言葉のひびきが入隊予定者の心を拓き、自信を覚え多くの人に励まされていることに気付くのではないでしょうか。
 父兄、家族、友人に自分が選んだ道を誇りに持って伝えてくれるのではないだろうかと私はそう思っています、入隊予定者激励会のみならず自衛隊成人式、入隊式、新年会、友の会総会等でも話しています、「あの言葉は最高です」とか「自衛隊内外ともに背筋がピンとします」とか「三重県防衛協会連合会はじめ自衛隊協力会、団体のテーマソングですね」と言っていただく人もあります、本当にそうなのだろうかと耳を疑っています、しかし私は喜んでいます、そのような言葉を聞くたびに何も知らない私が県防衛協会会長を引受けましたことは本当に良かったと思う今日このごろです。
 自衛隊は「日本の防衛」「災害復旧支援」「国際貢献」という大きなミッション(使命)があり、これが実行されることで我々国民が安全と安心が確保されているのだと思います、今それが忘れられているのではないでしょうか。今後さらに国民の安全保障に対する意識が高まり各協会、団体が活発に活動されることを期待します、おわりに各協会、会員各位のご多幸を祈念し終りとさせていただきます。  我れ人生意気に感ず

平成22年

●防衛協会会報第112号 22.10.01 [防衛論議をもっと活発に] 河本 英典(滋賀県防衛協会会長)
●防衛協会会報第111号 22.07.01 [理想と現実とのはざまに立って] 瀬谷 俊雄(福島県会長)
●防衛協会会報第110号 22.04.01 [日本の未来を想う] 佐々木謙二(神奈川県会長)
●防衛協会会報第109号 22.01.01 [多様化する”戦闘形態”の認識を!!] 安藤 昭三(大分県前会長)

河本 英典(滋賀県防衛協会会長)

防衛協会会報第112号(22.10.1)掲載
 
 
 
 防衛論議をもっと活発に
 
 
 
 
 昨年の総選挙で政権交代が実現し正に戦後政治の終焉を感じ、大きな時代の転換点だと期待と不安を膨らませたところである。防衛問題も過去のタブーとしてきた歴史的経緯の呪縛から抜け出し、将来を見据えた国民的論議を活発に行うべき時にきたのではないだろうか。
 それにしても沖縄の普天間基地問題の取り扱いでへまをして総理大臣を辞した鳩山さんの迷走ぶりには呆れた。この時不思議に思ったことは、マス・メディアによる報道内容のことである。この時の米軍基地問題は沖縄県の問題であることと同時に、国家全体の安全保障、国土防衛に関する重大な問題なのである。経済を含めた日米同盟、国家の大方針である日米機軸に関する大問題なのである。しかしながら、こうした本質的、根源的視点を置き去りにして、沖縄県の反対運動ばかりを報道し、一地域の民意(本当は一部の民意)とマニフェストにこだわり続けた総理の迷走ぶりをただただ面白おかしく報道するだけであった。本来の論議をタブーとして封じ込め、過去に沖縄基地問題、安全保障問題の本質的論議を避けてきたマス・メディアの姿勢がよく表われ、奇異に感じたのは私だけではなかったはずである。
 憲法9条の解釈で自衛隊は憲法違反かどうか。戦力とは何をさすのか。はっきりしないまま、意見の対立したまま放置されてきた。非核三原則の問題もアメリカの核の傘の下にいながら核を排除するという矛盾についても論議されていない。核アレルギーについても同様である。核アレルギーは一種の病的症状であるが、病的症状は正常ではないのだから正さなければならないはずだが、わが国の現状では核アレルギーは正常な感覚であるかのごとく認められ、核アレルギーを反省するような論議は避けてきた。
 影響力の広いマス・メディアはほとんど同じように防衛の重要性を説くことをせず「住民の利益」や「公害被害者」に同情することで通してきた。そのことが平和に寄与し正義を尊重するのだと信じているのである。本当に大切な問題をタブーとして避けてきたのがここに至る現在の日本社会の曖昧さであると 思う。
 今後こうした防衛問題の論議をもっと高める役割を防衛協会は担わなければならないのではないかと最近特に思うようになってきた。時代に応じた行動が求められるいまこそ応援団としての防衛協会の役割は重要だといえるのではなかろうか。

瀬谷 俊雄(福島県防衛協会会長)

防衛協会会報第111号(22.7.1)掲載
 
 
 
 理想と現実とのはざまに立って
 
 
 
 本稿を記すにあたり、改めて日本国憲法を再読、そして三思。その上で筆を執った。
 まず憲法の前文であるが、これ自体は、いわば究極の理想主義を網羅したものと断じてよい。特に抵抗を覚えるのは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との一節である。
 さて翻って現実の世界をみると、覇権国家、あるいはテロ国家、はては国家と稱しがたいならず者国家が犇めいているではないか。
 信義・誠実の一片のかけらもない。これみよがしの厖大な軍事力の誇示もあれば、核兵器開発への動きをブラフに使う国もある。ソマリア如きは海賊国家ではないか。 正に百鬼夜行であり、自国の権益、あるいは宗教国家においては、自派の信条のみが唯一正義とも思わる如き国々が存在する。
 この事実を平和主義者(PACIFIST)はどう考えるのであろうか。とすれば我が国の憲法前文が、いかに現実から遊離した空想的な理念であるか(敢えて云えば漫画的、児戯に類する)、自明の事ではないか。理想は所詮理想であって永久に達成された例がない。
 より具体的に申せば、万一我国が武力侵攻を受けた時、どの国が自国民の血を流してまで日本を守ってくれるのだろうか。
 「公正と信義」左様な抽象論で第三国が日本のために武力行使に踏みきるであろうか?国際社会の基本的な行動原理は国益であり、更に云えばPOWERである。  
 さて我が国の眞に憂ふるべきことは、財政危機を指すのではない。いつまでも現実から目をそらし、一時期はECONOMIC ANIMALと揶揄され、スランプとなると右往左往、日本人としてのIDENTITYを見失った国民の姿こそ恐るべき事柄ではあるまいか。この国のかたちをどう再構成するかの「志」の欠如ではないか。海外派兵についても、国内の防衛についても、使用する武器を限定する?機関砲はよいが、ミサイルは駄目とは笑止のいたりではあるまいか。「非核」のテーゼはよいとしても、所謂、通常兵力は国力に相応せる軍備をととのえるべきではないか?
 そして平和ボケした国民に、これらの背景を十分認識させ、改めて自衛隊を軍隊として憲法上に明記、国軍の志気を高揚させるべきではないか。現実と遊離した現憲法を現実に即し、改正することに与論を喚起すべきであろう。

佐々木 謙二(神奈川県防衛協会会長)

防衛協会会報第110号(22.4.1)掲載
 
 
 
 日本の未来を想う
 
 
 
 今年の2月11日に横浜市内で「神奈川自衛隊音楽まつり2010」が開催されました。4月に入隊・入校する予定の県内若人の激励会と合わせて世界の平和と安全に貢献する自衛隊をご理解いただく場としての祭典で、私も主催者である自衛隊神奈川地方協力本部支援団体協議会の代表として出席しました。
 海上自衛隊横須賀音楽隊、少年工科学校ドリル部、防衛大学校応援団リーダー部、武山自衛太鼓のほか、横浜市消防音楽隊ポートエンジェルス119、在日米陸軍軍楽隊のご出演もいただき大盛況の中に閉会となりました。
 プログラムの第1部で全員起立の上紹介された、入隊・入校する予定の県内若人とそのご家族の晴れやかで誇らしげな顔、同若人代表による力強い謝辞、第2部での音楽隊等のきびきびした動きと見事な演奏・演技に、満場の皆様は大喝采でした。
 二年前のリーマンショック以降、景気低迷からなかなか抜け出せず何かと暗い話題が多い我国ですが、そうした若人、自衛官を拝見して、我国でも多くの人達が、国を支え・守り、次の世代をきちんと育てていこうとしている姿に大きな感銘を受け、将来に確たる安心と明るい展望を感じた次第です。
 ところで、神奈川県には旧海軍の横須賀鎮守府が置かれ軍港として発展した横須賀港があり、現在も海上自衛隊横須賀地方総監部が置かれるなど、海上自衛隊とは因縁浅からぬものがあります。
 昨年12月には、自衛隊神奈川地方協力本部長に着任された1等海佐の表敬訪問を受けましたが、同氏は第一次ソマリア沖海賊対処部隊の司令として、昨年3月から8月までアラビア海に派遣され、アデン湾を航行する船舶を警護する任務を果たされた方です。お話を伺うと、派遣された当初は未だ海賊対処法も成立しておらず、警備、護衛活動には色々な制約もあったけれど、その中で、どのような事態に直面しても対応できるように訓練だけは徹底的に実施したとのことで、幸いにも5ヶ月間の警備活動の期間中、1発の銃弾を撃つこともなく、数百隻の船舶を護衛航行できたとのことでした。
 私は、そうした方たちに、派手で見栄えばかり追求する風潮とは無縁な、鍛えられ育った人間の一つの典型を見たような気がしました。
 また、昨年4月から9月まで横浜港周辺で横浜開港150周年記念イベント「開国博Y150」を開催しましたが、期間中、自衛隊には大変なご協力をいただきました。航空自衛隊のブルーインパルスの展示飛行、大桟橋に接岸した砕氷艦「しらせ」とイージス艦「きりしま」の展示公開、防災訓練の一環としてヘリコプター搭載新型護衛艦「ひゅうが」の公開等です。いずれも大好評で、見学者も多数来場されました。担当自衛官の日ごろの訓練振りが垣間見える、優しいながらも折り目正しい応対に、国民とともにある自衛隊を実感しました。  
 以上、私が自衛隊の皆さんに様々な場面で接して感じたままを書かせていただきました。私ども民間会社でも「組織は人なり」で社員研修等により人材育成に力を入れておりますが、厳しい状況下、組織力で行動する自衛隊は、教育訓練の成果が場合によっては生死に関わってくるだけにそれがさらに徹底されるのだと思います。いずれにしましても、中国を始めとしたアジア諸国の発展・台頭と比較して安定期に入ったかのように見える我国ですが、将来を担う人材が着実に育ちつつあること、また真面目に職務に取り組む多くの人達が国内外で危険を顧みず活動していることを知るにつけ、この国の未来に大きな希望と可能性を感じるものです。
(神奈川県商工会議所連合会会頭)

安藤 昭三(大分県防衛協会前会長)

防衛協会会報第109号(22.1.1)掲載
 
 
 
 多様化する”戦闘形態”の認識を!!
 
 
 
 かねて注目された衆議院議員選挙は民主党の圧勝となり、1955年以来実質的には、初めてと言える政権交代が実現した。鳩山民主党政府となり、すでに種々の新政策が提示されつつあるが、一般的な国内政策、農業政策、中小企業対策、医療、年金労働政策等々については、政党の色合いによって政策の重点の置きどころが変る事は、いわば政権交代に伴う必然の事であるとも思われる。
 しかし、こと外交政策及び安全保障政策については、日本と諸外国との利害に重大な影響を与えるものであり、いやしくも、党利党略によって左右されるべきでないのは言うまでもない事であろう。特に、日米の安保関係が我が国の存立と安全にかかる基本的重要性を持つことは論を俟たないところであり、政権交代の有無に拘らず、これが堅持は必須の事柄である。  
 幸い新内閣も基本的には良好な日米関係の維持を最重要の事と言明しているので、是非これの維持発展に努めて貰いたい。一部の人気取りや雑音に惑わされて信を内外に失う事のないよう切に希望したい。
 さて、しかしながら内外の情勢はオバマ大統領にとっても、鳩山新首相にとっても、かなり難問累積といった感がある。2001年の9・11同時多発テロによって21世紀の国際紛争が、従来の軍事思想や軍事技術では対処し切れないものがある事が示され、その後のイラク、またアフガニスタン情勢の展開をみても、一朝一夕で簡単に終息する様子でない事も見て取れる。嘗ては強大な機械化軍団と航空兵力、ミサイルをもって沈静させた相手は、ゲリラ、テロ等の手段をもって抗戦し容易に沈静化しない。  
 21世紀の国際紛争は戦闘の形態が一層多様化し、いわゆるRMAと非対称型の戦いの様相を現出してきた。我が国も国際的連帯の上に紛争の確実な安定化を図るよう、従来の枠と観念を超えた努力と準備をしなければならない。防衛省の方々をはじめ、防衛に関係する人々の一段の認識の深まりと実践的努力を祈ってやまない。

平成21年

●防衛協会会報第108号 21.10.10 [防衛をめぐる思い] 川田 達男(福井県会長)
●防衛協会会報第107号 21.07.01 [深化するアジアと九州・福岡] 河部 浩幸(福岡県会長)
●防衛協会会報第106号 21.04.01 [一人ひとりが「国防」の認識を] 幡谷 祐一(茨城県会長)
●防衛協会会報第105号 21.01.01 [海軍の3人の大将] 大田 哲也(広島県会長)

川田 達男(福井県防衛協会会長)

防衛協会会報第108号(21.10.1)掲載
 
 
 
 防衛をめぐる思い
 
 
 
 今年の秋からNHKスペシャルドラマで「坂の上の雲」が放映される。伊予松山に生まれた三人、正岡子規と秋山好古、秋山真之兄弟を軸に日清、日露戦争を舞台にした壮大な物語である。放映は第一部、第二部、第三部と分けて、3年にわたっての大掛かりなものになるという。書店に並んでいる文春文庫の価格は求めやすいものの、全8巻、総ページ数は3000ページを超える長編だ。  
 この司馬遼太郎の代表作とも言える作品を、私は今読み返している。経済人としての私にとって、経営のヒントとなる記述が随所にあるからだが、理由はそれだけでない。
 昨年、防衛大学校校長の五百期頭真氏をお招きし、お話をお聞きする機会があった。その時、氏は「私は防衛大学校の7月、8月の訓練と夏休みの間2ヶ月で学生達に『坂の上の雲』全巻を読み上げる様に薦めている。そして、読んでいるうちに面白くなって最後まで夢中で読んだということになれば、君たちの知的キャパは一生大丈夫だ。幹部自衛官としての知的キャパの計り方は色々あるが、長い大きな構成を持った本を夢中になって読んだということ、その一つをもって君たちの知的キャパは大丈夫だと彼らに言っている。思考力と全体的な判断をどうするかという場合には、大きな本を読みきるという能力に非常に関連が深い」と語っておられた。
 私は防衛問題には素人であるが、防衛にはこの思考力と全体的な判断力が大切ではないかと考えている。たとえば、防衛といえば軍備を連想するが、軍備は実際に行使する目的で持つと短絡的に考えることは適切ではない。軍備の目的は外交の場面で相手から見くびられないようにするため、言い換えるとそれを実際に使わずに済むようにする抑止力として保有するものだと認識されているからだ。つまり、軍備を背景とした思考力と全体的な判断力が求められることになる。
 さて、最近の日本を見ていると、全体的に内向きになっているような気がしてならない。昨年来の100年に一度といわれる不況のせいか、国民も内向きの話題を好むようだ。身近な問題に関心を持つことがいけないといっているのではない。人間として当然のことだとは思うが、ただ、そういうことが許されるのは日本の防衛、安全保障、外交が我々の目に見えないところで機能している証左だということに思いをめぐらす必要はあろう。
 今我々に必要なのは「私を思う心」ではなく「国を思う心」といっていいかもしれない。「坂の上の雲」には日本が世界にデビューする頃の日本人の国を思う心が存分に溢れている。
 国を思う心は国内だけに関心を示していたのでは生まれてこない。なぜなら、世界のパワーバランスの中でわが国を位置づけ、その中でわが国のあり方を求め続ける努力が不可欠だからだ。直接、間接を問わず防衛(を因果とす)に関わる問題は複雑だが、私たちは思考力と全体的な判断力を常に涵養し、その都度その都度の最適解を見出すために努力していく他に道はないのではないかと考えている。
(福井県商工会議所連合会会頭 )

河部 浩幸(福岡県自衛隊協力会連絡協議会会長)

防衛協会会報第107号(21.7.1)掲載
 
 
 
 深化するアジアと九州・福岡
 
 
 
 九州・福岡は、古くからアジアとの交流が盛んに行われていた。私が住む福岡市は、東京から約1,000km離れているが、一方で、韓国の釜山までが約200km、ソウルが約600km、中国の上海が約1,000kmと、日本の中では東アジアの主要都市と近い距離にある。こうした地理的な近接性もあって、近年では、成長著しいアジアと九州・福岡とのつながりが経済面でも強くなってきている。
 残念ながら、直近の日本経済は、昨年からの世界的な金融危機の影響を受けて、100年に一度といわれる急激な景気後退に見舞われている。政府も景気対策を打ち出すなど懸命だが、九州・福岡の景気も厳しい状況が続いている。
 私は、福岡商工会議所の会頭として、また九州、福岡県の商工会議所連合会の会長として、各地の厳しい状況に直面することがよくあるが、とりわけ地域経済を支える中小企業の方々の多くが日々の経営に苦労されている。
 商工会議所では、こうした中小企業向けの金融・税制などの支援策とともに、地域経済の活性化策などの要望活動を行うことが増えているが、こうした要望の中には、空港や港湾、鉄道、道路といった交通インフラ整備の促進が含まれている。
 背景には、冒頭にも書いたように、成長著しいアジア市場を睨んだビジネスや観光の促進を起爆剤に地域経済を活発化させようという思いがある。
 2011年春には、九州新幹線鹿児島ルートが全線開通し、博多~鹿児島中央間が1時間20分で結ばれるようになる。
 これを契機に、九州地域の一体的な発展と九州域内外の産業経済、文化、観光など多岐にわたる交流が更に増大することを期待している。
 九州・福岡の成長には、アジアとの共栄が欠かせない。幸い、アジアの国々も九州・福岡に注目している。
 今年に入り、韓国の李明博大統領やベトナムのノン・ドゥック・マイン共産党書記長などとお会いする機会があったが、ともに九州・福岡との経済交流の促進を期待しており、両者が交流を深化させていくための取り組みを連携して行っていく環境は整っている。あとは、我われがその労を惜しんではならないと思う。
 最後に、近年の日本を取り巻く国内外の情勢は、テロや自然災害など様々な脅威に直面している。4月には北朝鮮がミサイルを発射したが、九州は朝鮮半島に近く、わが国防衛の重要な拠点となっている。
 また、台風などの自然災害も多い地域だが、こうした中、人命救助や物資の輸送など、自衛隊の勇敢で迅速な対応は、非常に心強く感じている。
 私ども福岡県自衛隊協力会連絡協議会では、こうした自衛隊の地域に大きく貢献している活動をPRし、より多くの企業、住民の方々の理解を深める努力をしていきたいと思う。
(福岡県商工会議所連合会会長)

幡谷 祐一(茨城県防衛協会会長)

防衛協会会報第106号(21.4.1)掲載
 
 
 
 一人ひとりが「国防」の認識を
 
 
 最近の報道では、ソマリア沖の海賊に対し日本も本気になったとのことで、海上自衛隊が現地に派遣されるという記事が紙上を賑わしました。銃器の使用制限も緩めたようで、まずは良い方向に向かっていると感じています。
 但し、自衛艦に海上保安庁の職員が乗り込むようです。これは司法権があるとのことですが、自衛隊員にも同様の権限を与えれば、このような二元的な、小手先の対応をすることもないと思います。多くの有識者がこの矛盾について判っている筈なのですが、積極的に発言しないことに強い失望を感じています。
 本音を言えないのが日本の実情ですが、国の靖らかなることを願い、国益を守り、国民に安心感を与えることが政治の要諦だと思います。然るにわずか20文字足らずの憲法の条文によって専守防衛も出来ない状態です。敵を射撃するにもいちいち総理大臣の許可を取ってからでないとできないなど、全くお笑い種です。
 日本は世界の五指に入る戦力を持っており、自衛隊員の皆さんの士気も高いと言われておりますが、残念ながらこれを十分に発揮できる状況にないと言えます。
 今の時代は戦争の形態は大きく変わり、いざ戦となれば前線も国内も安心してはおれません。政治家も国を憂えることに本気になってくれることを望んでおります。
 戦後、憲法改正をした国は世界中に及んでおります。記録によると米国は13回、西ドイツは43回とも言われております。千年も万年も今の憲法を守っていくという人達の顔が見たいものです。
 護憲もよいけれど、国を守り、国民の生活を守り、また財産を守ることなど蚊帳の外のことになっていると言えます。敗戦後60年が経った今も何に怯えているのか、誰も本音を言えません。
 勝者が敗者を裁いた東京裁判も不都合千万であります。多くの識者もこの裁判に対して勇気のある発言をしていません。
 平和ぼけもいいところであり、日本国は独立国の体を成しておらず、ある意味で世界の笑いものになっていると思います。
 山本五十六海軍大将は「百年兵を養うは之平和維持の為なり」という名言を残しております。日本という国家が、そして日本国民の一人ひとりが、国防ということに更に認識を強くしてくれることを望んでおります。
(茨城県中小企業団体中央会会長)

大田 哲也(広島県防衛協会会長)

防衛協会会報第105号(21.1.1)掲載
 
 
 
 海軍の3人の大将
 

 終戦までの広島市並びに呉市は、ともに旧陸海軍の軍都として、師団司令部、鎮守府が各々置かれており、軍関係の教育機関についても陸軍幼年学校、海軍兵学校が存在し、多くの英才がその門をくぐってきた。
 こうした関係から広島県出身の将官については、陸海軍ともに多数輩出しているが、こと大将については陸軍が岡部おかべ直なお三郎さぶろう大将の一人。海軍は、加藤かとう友三郎ともさぶろう大将(死後元帥府に列せられる)、谷口たにぐち尚なお真み大将、小林躋造こばやしせいぞう大将の三者があげられる。
 加藤友三郎大将は、日露戦争の日本海海戦において戦艦三笠艦橋で連合艦隊参謀長として東郷平八郎司令長官とともにあり、後に呉鎮守府司令長官、第一艦隊司令長官を歴任後、海軍大臣となり大正10年ワシントン会議の全権代表として軍縮を実行。大正11年(1922年)には、広島県出身としては初の内閣総理大臣に就任している。
 谷口尚美大将は、昭和3年に連合艦隊司令長官に任命され、昭和5年軍令部長に就任。同年のロンドン海軍軍縮条約の批准に向けて海軍部内の調整にあたった。謹厳実直の人柄で海軍の良識派を代表した一人と評価されている。
 小林躋造大将は、加藤友三郎大将の甥にあたる。昭和2年のジュネーブ軍縮会議では主席随員として、昭和5年のロンドン海軍軍縮会議でも艦政本部長として条約締結に努力している。翌昭和6年に連合艦隊司令長官に任命されている。
 三提督ともに軍縮のバトンを繋いだ名将であり本県の誇りであるが、このたび加藤大将・首相を顕彰する銅像が復元され、没後85年にあたる平成20年8月24日に除幕式が開催され、私も出席させて頂いた。
 銅像は、もともと広島市中区の比治山公園内に建てられていたが、戦時中の金属回収令で取り除かれ台座のみが取り残された状態にあった。
 平成18年2月に発足した「加藤友三郎銅像復元会」有志による募金活動の成果により、広島市中区の中央公園内にワシントン軍縮会議時のフロックコート姿の銅像が新しく建立されたものである。銅像の顔からは強い意志がうかがえ、軍縮に文字通り命をかけた人柄が偲ばれる。
(広島県商工会議所連合会会頭)

平成20年

●防衛協会会報第104号 20.10.01 [防(さきもり)人 ] 川本 宜彦(埼玉県会長)
●防衛協会会報第103号 20.07.01 [アメリカ・ツアー抄] 簗 郁夫(栃木県会長)
●防衛協会会報第102号 20.04.01 [国民の危機意識について] 田村 勝己(岡山県会長)
●防衛協会会報第101号 20.01.01 [中国戦線] 町田 錦一郎(群馬県会長)

川本 宜彦(埼玉県防衛協会会長)

防衛協会会報第104号(20.10.1)掲載
 
 
 
 防(さきもり)人
 
 
 平成20年5月6日は読売新聞の一面トップに「非常識110番増加」の記事が目を引いた。一面トップに経済や政治以外の記事を出した読売新聞の社会意識が現代の問題を露呈したと考えられる。この記事は公的機関、直言すると公的権力の私物化という問題なのだが、今までの私物化とは質が異なっている。今回私物化したのは、マスコミが擁護すべき不特定多数の一般市民だったのだ。この一般市民は匿名性を持ち、さらに弱者の立場をとれる大変やっかいな存在である。
 内容については、ここに書くのもばかげているが「雨が降ったから家まで送れ」「旅行に行くので犬にえさをやれ」「携帯の料金が高い」などということで110番をするのだ。これらはモラル、要求、苦情、甘え等、個人の存在をあらゆる面から正当化させることに警察を使うということである。
 警察頼れば何とかなるという考えは、実は「先生に」「救急車に」「役所に」と置き換えられ、学校や医療現場などではすでに日常化さえしている。公的な機関をサービス業と見なすように民意を変質させてきた戦後の民主主義はすばらしいと評価する一方、大変な危険もはらんでいることを忘れてはならない。
 この110番の記事に続き、数日間にある種の同質な記事が見られた。「イエメンの旅行で、危険勧告を無視して誘拐された観光客」「少数住民の苦情によって十数年続いた東関東最大級のフリーマーケットの中止」「小学生が卒業式前に自殺をした。その信号を学校は見落としたということへの学校側の謝罪」
 新聞の論調とは常にこのように弱者の立場からの視点を持っている。しかし警察を私物化する一般市民という事態は、弱者が匿名性の権力を握るという構造になってはいないだろうか。医療にしても教育にしても弱者への過擁護はすべての国民が責任回避、他人任せの発想を持ち、次第に国家が脆弱化すると考える。
 日本人の多くが考える国家の充実、安定、平和、といった政治政策の希求は国家としての集合体ではなく個人の保身、安全、高質の生活に向けられているように思う。全体主義に戻れと言うのではない。常に主体は個人であり、その個人の倫理観を共通した「国家観」にまで育てる必要があると思うのである。最高の危機管理、防衛システムとは言ってもそれを運営するのは人である。そこには「人のおろかさ」も存在することを認めなくてはならない。教育によってきちんとした「国家倫理」を紡ぎ続ける事だけが、人の愚かさを吸収する最大の防衛であると考える。
 中国宋代の蘇軾は「天下の患は其の然るを知らずして然るより大なるはなし」と言っている。世の中に心配事は多いが、その最大のものは、そうなる原因に誰もが気づかないうちに状態の悪化が進むことである。国家倫理や、道徳の話題を、直ちに軍国主義と結びつける発想は卒業しようではないか。
((社)埼玉県商工会議所連合会会頭、(株)サイサン取締役会長)

簗 郁夫(栃木県防衛協会会長)

防衛協会会報第103号(20.7.1)掲載
 
 
 
 アメリカ・ツアー抄
 
 
 とりわけ趣味の無い私の楽しみの一つは、旅行である。内外を問わないが、海外旅行は未知との遭遇と、人々の交流にワクワクする。殆ど仕事に絡む視察旅行であるが、気がつくと、いつの間にか、5大陸を掠めたようである。
 初めて海外に出たのは、アメリカ施政権下の沖縄を別として、昭和40年(1965年)のカリフォルニア州・流通業の視察である。アンカレッジ経由でサンフランシスコに入り、ゴールデンゲート海峡を目にした時、万延元年(1860年)の咸臨丸の壮挙や、明治4年(1871年)の岩倉具視一行の外遊の第一歩に思いを馳せた。
 バスでサンディエゴまで南下し、広大な土地を肌で実感するとともに、アメリカの消費文化に直接触れ、その物量に圧倒された。
 どの訪問先企業でも、兄貴分のようなおおらかな姿勢で対応して頂き、感謝一杯であった。勿論、当時の企業見学は無料であった。最近の企業視察が有料が当たり前であることを考えると、彼我の立場の変化を痛感している。
 ニューヨーク郊外のIBMワトソン研究所を訪問する機会があり、在籍中の江崎玲於奈博士にお目に懸かれた。
 博士の話では、欧米はもとより、イスラエルやトルコなど中東を含めて、世界の頭脳が集まっていると伺い、アメリカの懐の深さと、競争力優位の源泉を思い知らされた。3年前、シカゴのITT(イリノイ工科大学)大学院卒業式に出席したが、中国人やインド人が目立ち、未来の潮流を垣間見る思いである。
 開通して間もない、全自動運転のBART(Bay area Rapid Transit・サンフランシスコ高速鉄道)にのって、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)を見学した時、図書館で600万冊所蔵(研究室分を含む)と聞かされた。当時、我が国で新築中の国立国会図書館の収蔵目標は700万冊であり、規模の差を感じた。
 振り返って、アメリカ訪問州を数えてみると、約半数となり、東西南北に及んでいる。テキサス独立戦争のアラモ砦(サンアントニオ)、ヘミングウェイの愛した最南端都市キイウエスト(マイアミ)や、マルティグラ・カーニバルを楽しんだニューオリンズ(ハリケーン・カトリーヌによる大被害には心が痛む)など一つ一つの場所に思いでは尽きない。
  一方、ホテルや航空機のダブルブッキング、手荷物のピックアップ忘れ、乗り継ぎ便への駆け込み等、ハップニング酒の上での失敗も事欠かない。
 今では吸わないが、30年前はヘビースモーカーであった。メーン州でアメリカーと言われるロブスターを堪能し、ニューヨークへの帰途、喫煙席に陣取ると、隣は上品なご夫人であった。禁煙のサインが消えても、隣席に遠慮して煙草を取り出せなかった。遂に我慢ができなくなり煙草を取り出すと、同時に隣のご夫人も煙草を取り出すところで、互いに顔を見合わせて笑い出した次第。お陰で、下手な英語で楽しい会話が弾み、退屈しないですんだ。
 寄る年波で、ノンストップの長距離飛行は苦手となったが、まだまだ世界を駆け巡りたいと願っている。
(栃木県商工会議所連合会会長)

田村 勝己(岡山県防衛協会長)

防衛協会会報第102号(20.4.1)掲載
 
 国民の危機意識について
 
 時代の激動変化する今日であるが、昭和58年10月、日本市民防衛協会主催のヨーロッパの核・防災シェルター視察ツアーに参加した。実質8日間真面目にスウェーデン・西ドイツ・スイス各国の民間防衛施設を視察した。
 スウェーデンはシェルター5万5千個が確保され、当時の人口850万人の内600万人収容出来る。住宅・工場・学校・病院・企業・地下鉄等の公共性のある建物にはシェルターの設置を義務づけた。
 その費用は全額国が負担し、将来全国民の人口分を確保する計画だという。有事の際は警報をサイレン・テレビ・ラジオ等を通じて発令する。住民がシェルターに避難するまでに、3分から4分で非難出来るように配置する。
 ストックホルム市中央駅の正面にクララ教会があり、その地下には一万五千人収容出来るシェルターがある。通常は駐車場としているが、有事の際は近くの市民や通行人が避難する。しかし、突然に数千人規模の人が避難すると誘導が難しい。群集心理によりパニック状態で混乱することも懸念されるため原則的には、身近なところに百八十人以下のシェルターをつくるという。
 民間防衛の目的は、有事及び災害時の人命救助と保護にある。防衛組織は、十六才から六十五才の国民の参加を義務づけている。
 全国を地域別に区分し、中央指令部、地域指令部を設置して警報・避難を指令し、一般市民に通報される。消防、災害救助、民間防衛を一体化した統合組織とし、機能化することが重要という。
 その他シェルター内の設備、地下発電、換気設備、汚染空気の浄化及びフィルター、発電用の油、貯水タンク及び井戸水の施設、食料や各種生活に必要なものが貯蔵されている。室温十五度確保、防爆扉、空気汚染、病院機能等、あらゆる角度から研究され人命救助に万全を期している。
 その他、西ドイツ・スイスのシェルターを視察した。  
 小子の申し上げたいことは、シェルターの数とか機能とかではなく、視察を通じて最も感じたことは、国民の危機意識の高いことである。
 金美齢氏の講演で(にて)、「東京に何年ぶりかでやって来た台風の中、多摩川の中州から救出されたホームレスの男がいました。後日、テレビのインタビューで『あれだけ避難せよと呼びかけられたのに、どうして避難しなかったのか』と聞かれたときに、彼は一言『大丈夫だと思っていました』。これが今の日本人の平均的なメンタリティーです。危機管理ゼロ。日本の将来は危ういと私は思っております。」
 以上の様な一節がありました。まさに危機意識のない日本人となってしまったと小子は思う。  
 日本国の防衛は日本人で守り、自分の身は自分で守ることを基本としなければならない。要は、人間としての危機意識は万国共通であり、我々一人ひとりが愛国心を持って、国家の安泰のために危機意識を持つべく日々努力をしたいと思うこのごろである。    
(日本植生㈱顧問、日本会議岡山議長)

町田 錦一郎(群馬県防衛協会会長)

防衛協会会報第101号(20.1.1)掲載
 
 
 
 中国戦線
 
 
 昭和13年6月カラカラに乾ききった土手を、負傷した戦友を背負って兵隊が駆け下りてきた。徐州攻略戦だった。
 子供の頃、友達と村の神社で遊んでいると、鳥居の向こうから一人の復員兵が歩いて来た。その人は北支に出征していた前の家の長男だった。汗とほこりにまみれた戦闘帽に軍服を着て、ボロボロの背嚢を背負い、ほころびた巻脚半に軍靴をはいて、一歩一歩社殿に向かって歩いて行ゆくのを、子供達は遠まきにして不思議そうにじっと見ていた。賽銭箱の前で停止すると、突然軍靴を鳴らし不動の姿勢をとって挙手の礼をした。そのまま顔を動かさずに何秒かが過ぎていった。肩がかすかに震えていた後姿を妙に覚えている。  
 今思えば日本の中国大陸進出の国策により、大東亜共栄圏実現の戦士として、この神社から郷土の人達の日の丸、のぼり旗と歓呼の声に送られて、生きて祖国の土は踏まない悲壮な気持ちで出陣していった。極寒炎暑の中国大陸を、血と汗と涙で転戦、運よく終戦まで生き残り、やっと家族の待つ故郷の神社に辿り着いた感動に、しばし立ちつくしていたのであろう。今までは現役の軍人の鉄とスピンドル油・帯革と軍靴の匂いに陶酔していたが、今度はボロボロの復員兵の姿に戦争の厳しさを感じ、強烈な印象が子供心ごころに、その精神構造に何らかの影響をきたし、その後中国大陸に対する関心が深まっていった。  
 日本中の子供達が、昭和初期、山中峯太郎の「敵中横断三百里」を読んで感動し、大陸に雄飛する自分の姿を夢に描いた。日清・日露・大東亜戦争を通じて幾多の兵士が海を渡り、また開拓団戦士として家族共々大陸に雄飛し、戦塵に斃れ、終戦の混乱の渦の中で未曾有の悲劇に遭遇し、大陸に埋没していった。
 昭和53年、日中平和友好条約締結後早々に、私は経済人友好訪中団員として広州・武漢三鎮を訪れた。汽車は広州・武漢三鎮に向かって驀進している。旧満鉄時代の客車で広軌道のゆったりした軟座(1等車)で、はじめて見る南中国の景色を眺めていた。田植えの終わった青い稲田が続き、樹木の少ない丘のような山が連なっていた。点在する部落が迫ってくる。昔見た中国戦線の映画のように土塀をめぐらした城壁、水がいっぱいのクリークに柳の木が植わり、アヒルがのんびりと泳ぎ、子供達が裸ではしゃぎながら魚を捕っていた。今にも八路軍が出てきそうな40年前の風景がそこにあった。  
 我々が向かっている同じ道を、昭和13年広東攻略の閣議決定に従い、陸海軍の将兵は決死の覚悟で出陣、バイアス湾に敵前上陸を敢行し、広東進攻作戦の火蓋が切られた。戦闘は苛烈を極め、一路広東市内を目指して、陸路から徒歩部隊が珠江を遡行して、海軍部隊が炎暑の中を進撃していった。  
 我々は、平和な時代に扇風機の回った快適な汽車で、市内に向かっている。境遇の有難さを感じ、複雑な気持ちが込み上げてくる中を汽車は広州駅にすべり込んでいった。駅頭に降り立つと、青い空に南方特有の強い日ざしがカッと照りつけ、ロータリーからメインストリートにかけて、日本の終戦直後の銀座のように荷車から自転車、旧式のバスまで種々雑多の車が行きかい、国防色の軍用車が兵士を満載して走っていた。ちょうど日本の昭和20年頃のようであり、まだまだ日本に追いつくには30年位はかかるだろうと感じた。  
 その中国が、いまや先進国に追いつき、経済大国として著しい発展を続けている。軍備を増強し、軍事大国として我が国をはじめ台湾・周辺諸国に軍事的脅威を与えている。誠に隔世の感である。
(マチダコーポレーション(株)代表取締役)

平成19年

●防衛協会会報第100号 19.10.23 [自分の国は自分で守る] 谷崎 博志(和歌山県会長)
●防衛協会会報第099号 19.07.23 [心に残しておきたいもの] 角間 俊夫(石川県会長)
●防衛協会会報第098号 19.04.23 [帰らんか帰らんか吾が党の小子よ ・・・] 仁科 惠敏(長野県会長)
●防衛協会会報第097号 19.01.19 [”国を守る”こころ] 山下 直家(徳島県会長)

谷崎 博志(和歌山県防衛協会会長)

防衛協会会報第100号(19.10.23)掲載
 
 自分の国は自分で守る
 
 参議院選挙が終った後は、ただただ驚きの連続でした。安倍首相は就任以来大した失点もなく、憲法、教育など戦後レジームからの脱却を唱え、〝美しい国・日本″への再生に全力をあげてきました。  
 他方、民主党の参院選勝利は、党の政策が評価されたわけではなく、タイミング悪く社保庁の〝杜撰さ″が明るみに出たのと、閣僚たちの馬鹿々々しい失言等で、日常生活に直接関係の深い事柄に関しての国民の反感、いわば敵失の結果だと言う事をよくよく自覚しておかなければなりません。  
 また、一部タレント的に名前だけ売れた人の当選も、ある意味では民意の低さを問われるのではないかと思います。  
 それにしても、安倍首相の掲げた高い領域でのわが国の将来像、即ち、憲法、防衛、外交、安保、教育等の議論は何処へ行ってしまったのでしょうか。勿論、これらは票にはならなかったのでしょうが、これ等への首相の取組みには大部分の国民は賛同していたと思いますし、今回の選挙で、これ等が否定されたわけでは決してなかった筈です。
 その証拠に、反対を唱えた共産党と社民党は議席を減らしたではないですか。だからこそ惨敗にも拘らず続投を決意されたのではなかったでしょうか。今さら詮無いことながら、安倍内閣は総辞職してしまいました。  
 今は日本存亡の危機です。次の衆院選は、安倍首相の掲げた憲法の見直し、教育の根本的改革等、高いレベルでの国の将来を考えての選挙であってほしい。国民も何時までも「年金」や「失言」ではありますまい。  
 憲法9条の改正は絶対必要です。「万一、攻められたら助けてください。しかし、貴方が困っても助けられません」。こんな勝手な憲法のある国を何処の国が守ってくれますか。  
 戦後62年間、戦争が無かったのは憲法に「戦争放棄」を唱えてあるからなんて言う人がいますが、「犯罪防止」と書いただけで殺人や強盗がなくなれば警察は必要ありません。やはり、日米安保と自衛隊の力があったからです。
 「従軍慰安婦問題」等を見るにつけ、最近のアメリカは日本をあまり重視していないと思います。「6カ国協議」でも、拉致問題を掲げる日本なんか頭ごなしにされているではないですか。テロ特措法が無くなれば、いよいよ日米関係はおかしくなるでしょう。そもそも、テロ特はアメリカのためというよりも日本の安全と生活の安定のためのものです。  
 これからは、どこの国も頼りにしてはいけません。日本の国防は自分たちで考えなければなりません。防衛予算も5兆円なんてケチなこと言わず倍増して、一部の近隣諸国に馬鹿にされないためにも、もっともっと強い自衛隊、いや、国防軍になって貰いましょう。     
(明光電機(株)取締役会長)

角間 俊夫(石川県防衛協会会長)

防衛協会会報第99号(19.7.23)掲載
 
 
 
 心に残しておきたいもの
 
 
 
 亡き父のアルバムの第1ページには、3挺の銃に支えられた軍旗の写真が貼ってありました。歩兵第7連隊のその軍旗には、旗の部分が無く周りの房のみが紐の輪のようになっています。明治8年の下賜 (かし)以降、西南の役、日清戦争、そして日露戦争の激しさを物語っています。
 3年前、大連に行った折り、旅順の二〇三高地を訪ねました。遠く旅順港を望む山の上に立ち、当時に思いを馳せました。聞けば日本軍は、海の反対側から攻め上がって来たとのこと。鬱蒼と樹木の繁る眼下に向かい合掌を致しました。
 金沢に司令部を置く第9師団は、第7連隊を主力として第3軍に属し、乃木将軍の指揮下にありました。盤龍山での攻防戦の後、奉天へ転戦し、ここでも再び激戦の前面に立たされました。  
 石川県出身の日露戦争時の戦死者2837名中、この二つの戦いで1866名が戦死されたのです。石川県の兵役適齢男性の7%強に当たります。戦死者の家の玄関には、「遺族の家」という小さな板が貼られ、このプレートは近年まで町屋に残っていたのです。県民は遺族に対して尊敬と慈しみの心で励まし救いの手を差しのべてきました。祖国のために亡くなられた人々への尊敬と感謝の心が失われていく時、間違いなくその国や民族は滅亡に向かっていると思うのは私だけではしょうか。
 ところで、「残したい日本の音風景百選」に金沢の「寺町寺院群の鐘」が選ばれました。鐘の音を聞けば大きな寺院が連なる景色が目に浮かびます。「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る」。子供の頃よく歌ったものです。今でも金沢では、時々朝6時と夕方6時に鐘が鳴ります。昔は鐘の音で目を覚まして野良に出かけ、夕方の鐘で家路につきました。知らず知らずのうちに鐘の音で生活が営まれたようです。「山寺の鐘撞く僧は見えねども 四方の里人時を知るなり」。  
 石川県防衛協会も設立されて40年余。設立時の「北陸地方を襲った38豪雪を始めとし、累次に亘る災害に際し、献身的な復旧作業に取り組む自衛隊に対し、心底から感謝し、いち早く自衛隊の理解者として、防衛思想の普及並びに自衛隊の健全な発展に寄与する」の信条は、今後も大事に伝えたい。防衛省となった今こそ、自衛隊員を励まし、県民の防衛意識の覚醒を促すべく警鐘を鳴らし、そして国のため亡くなられた人々のご冥福を祈り、鎮魂の鐘を鳴らし続けねばと決意を新たにしております。
(カナカン株式会社 代表取締役会長、金沢商工会議所副会長)

仁科 惠敏(長野県防衛協会会長)

防衛協会会報第98号(19.4.23)掲載
 
 帰らんか帰らんか 吾が党の小子よ これを裁する所以を知ろう
 
 安倍総理が「美しい国、日本」を標榜して若々しく登場した。憲法改正や教育再生の問題を堂々と正面から掲げて、国民にその是非を問うている。真に頼もしい限りだ。
 事の如何を問わず、憲法も教育も、戦後米国の占領統治下の強い干渉を受けて制定されたものであることは確かである。
 爾来60年。何が正しくて、何が間違っていたのかを日本人として判断するには十分な時間ではないかと思う。
 いたずらに妥協するのではなく、大いに国論を起こし、「忘れたこと」「忘れさられたこと」を明確に正し、我々日本人が戦後ずっと放置してきた「精神の再建」という課題に向けて、戦前の日本が辿ったあの時代の宿命から目をそらせることなく直視すべきだ。
 そして、我々の「根っこ」にあるもの、「基軸たるもの」を再発見することで、再び日本という国の歴史的、文明史的活力を取り戻して欲しいと思うのである。  
 孔子の「帰去来の辞」が口をついて出た。
 「帰らんか帰らんか 吾が党の小子 狂簡にして 斐然として章を成すも 
                          これを裁する所以 (ゆえん)を知らず」
 ― 帰ろうよ。さあ帰ろう。わが党の魯に残してきた若者たちはみな大きな夢、大きな志の持主。みごとな美しい模様の布を織り上げてはいるが仕立てるすべは知らないのだ。みんなは私を必要としている。彼等の進むべき道を決めてやらねばならぬ。これを裁するゆえんのものを伝える。―
 戦前を知る我々世代が、戦後世代の若い人達にしてやらねばならないこと。それは、60年前の敗戦をきっかけに、明治も江戸も古代までも全否定する奇妙な歴史観を排し、積み重ねられた「戦後の嘘」を再度根本から正し、日本文明の核心を伝えていくことではないだろうか。心知れたる我が同志とともにこの信州からそれを発信していきたいと思う。

山下 直家(徳島県防衛協会会長)

防衛協会会報第97号(19.1.19)掲載
 
 
 
 「国を守る」こころ
 
 
 
 
 図らずも一昨(2005)年6月から、徳島県防衛協会の会長を仰せつかることとなった。社会人となって40年余り、金融界の事しか知らない人間に、果たして役目が十分務まるものかどうか甚だ疑問に思いつつも、諸般の情勢からお引き受けすることとなった次第である。
  御存知の方も多いと思うが、徳島はその昔、阿波水軍の根拠地として瀬戸内海に覇を唱えた土地柄である。その地に現在、松茂町と小松島市の二つの海上自衛隊の基地が存在するのも偶然とは言えない。
 更に個人的なことで恐縮ながら、家内の父は旧海軍時代の小松島基地に短期現役将校として勤務したことがある上、祖父も旧海軍軍人であったので、今般小生が、徳島県の防衛協会会長というお役を務めることとなったのも、何かのご縁かも知れないと言う気もしている。
 昨秋、偶々ドイツ・スイス両国を訪れる機会を得た。文化的な面で得るところの多い旅であったが、国を守る意識の持ち方という面においても感ずるところがあった。
 ドイツでは随所で黒・赤・黄の3色の国旗が掲げられていて、当然のことと思っていたところ、現地のガイドから「こうして公然といたるところで国旗が飾られるようになったのは、6月のワールドカップ大会以降である」との解説を聞いて意外に思った。それ以前は第2次大戦を引き起こしたとのひけ目からか、どうしても国旗に対して一歩引いた、遠慮する雰囲気があったとの話であった。それがワールドカップサッカーで、自国チームを国を挙げて応援する間に、ドイツ国旗を打ち振ることが外国人にも自然に受け入れられていることが分かり、遠慮が消えたと言うことであった。
 ドイツにおいて戦後60年間もそうした気持ちが残っていたと言うことは、同じ敗戦国としての日本の立場に照らして感慨深いものがあった。
 一方で、ドイツは第2次世界大戦後夙に軍隊を保有し、NATO軍・国連軍に参加して外国へ派兵もしている。国旗を顕示することを遠慮するといった雰囲気が強かった中で、軍隊がどういう風に位置付けられてきたのか興味をそそられたところであった。
 因みにマスコミ論調の中には、ドイツの戦後処理の取り運び方は極めて周到であり、その結果として諸外国との関係修復も順調に進んで来たのではないかとの評価があるようであるが、こうした点も或いは影響しているのかもしれないと感ずる。
 スイスでは、これまでもしばしば紹介されている通り、街中・郊外を問わずシェルターが整備されており、正に、国中が要塞とも言える状況を目の当たりにすることが出来た。
 同国を取り巻く国際情勢を考えた場合、今日果たしてそこまでの備えが必要なのかどうか、外部の人間には十分理解しきれないところもあるが、国を守る国民的意志を常に明示的に表すと言う意味では、大変効果的であるとの印象であった。
  翻って、最近のわが国を取り巻く国際情勢をみると、改めて言うまでもなく北朝鮮による拉致やミサイル発射・核実験の実施といった懸案の大問題が未解決のままになっているのを始め、韓国・中国など近隣諸国との関係も緊張の度を増している。そういう中にあって予ねて懸案であった防衛庁の「省」への昇格法案が、先般衆議院を通過し、今国会で成立したことは大変心強い展開であると感じているが、同時に「国を守る。自分の城は自分で守る」という気概を、国民が広く且つ強く共有するよう、さらに働きかけていくことが大切であると思っている。
 (阿波銀行代表取締役会長)

平成18年

●防衛協会会報第096号 18.10.23 [竹島問題と離島防衛] 杉谷 雅祥(島根県会長)
●防衛協会会報第095号 18.07.23 [演習場を抱えて] 萱沼 俊夫 (山梨県会長)
●防衛協会会報第094号 18.04.23 [静岡歩兵三十四聯隊と板妻三十四普通科連隊] 松井 純(静岡県会長)
●防衛協会会報第093号 18.01.01 [ビクトリアポイント戦友会] 鎌田 文明(香川県会長)

杉谷 雅祥(島根県防衛協会会長)

防衛協会会報第96号(18.10.23)掲載
 
 
 
 竹島問題と離島防衛
 

 北朝鮮は平成18年7月、7発の弾道弾ミサイルを、10月には地下核実験を実施しました。事前に通告もなく、極めて理不尽な行為で、国際社会に背を向ける北朝鮮は、ある日突然暴発する可能性を秘めております。
 「軍」が暴発すれば、どんな事態が出現するか、杞憂と片付けるわけにはまいりません。
 私の住んでいる島根県は日本海に面し、海岸線が長いため、中国からの密入国者にとっては、格好の上陸地となっております。北朝鮮から大量の麻薬が沖合いで投下され、暴力団の手により、国内に持ち込まれたりもしているようです。
 いま、全国的に関心を集めている竹島問題とともに、対岸諸国とは常に緊張を強いられる位置関係にあります。竹島は、島根県の行政区に入っており、隠岐島(人口約2万5千人、本土から約70キロ)から160キロ離れた位置にあります。竹島を中心とした海域は、北上する対馬暖流と南下するリマン寒流がぶつかり、漁業資源の豊富なところで、かってはアシカも生息し、江戸時代から昭和に至るまで、島根、鳥取両県の漁民の貴重な漁場になっていました。
 竹島の領有権について紹介しますと、1905年(明治38年)、政府は、島根県の上申に基づいて、閣議において、本島を「竹島」とい命名し、島根県の所管とすることを決定いたしました。国際法上は「無主の地の占有」(所有者のない土地を人より先に占有)による領有権であります。
 歴史的にも日本の領土であることは、下條正男先生(島根県竹島問題研究会座長)の著書『竹島は日韓のどちらのものか』の中で明らかにされています。
 1951年(昭和26年)サンフラシスコ講和条約が調印され、竹島は日本領土であることが確定しました。しかし韓国はそれを認めず、講和条約画発効する前に竹島をその内側に収め、「李承晩ライン」を引き、領有権を主張いたしました。それ以降、竹島は韓国に不法占拠され、軍隊が駐屯しております。
 竹島が韓国に支配されて以降、島根県、鳥取県の漁民が竹島を中心とした12カイリ以内に入ると、韓国の巡視船が接近し、場合によっては威嚇射撃を受けます。かって2百隻以上の漁船3千人以上の漁民が韓国に拉致され、5人が殺害されました。1999年発効の日韓新漁業協定で竹島周辺は、両国が漁場を共同管理する「暫定水域」としましたが、今なお、日本漁船は竹島周辺に近づくことも出来ず、竹島周辺は未だ戦争状態であると言っても過言ではありません。日本政府の弱腰外交の結果であります。
  昨17年年、島根県議会は「竹島の日」(2月22日)を制定しました。38名の県会議員の中で反対者は3名だけでした。日本国の領土が不法占拠されていることに対する憤りが、党派を超えて結集されたのでした。
 竹島問題は、私の学生時代に起こったキューバ危機を思い出させます。1962年10月、ソ連のフルシチョフ首相が、キューバに中距離ミサイル基地の建設を図った冷戦史上最大の危機であります。ケネディ米国大統領は、キューバの海上封鎖を発表、ミサイル基地の撤去を要求しました。アメリカの圧倒的な核戦力と、大統領の「確固たる姿勢」の表明の前に、フルシチョフ首相は、その要求をのまざるを得なかったのであります。
 竹島の領有権について日本政府が「確固たる姿勢」を表明することを、私は期待しています。
 朝鮮有事の折には、相当数の難民が島根県に上陸することは自明の理であります。これらの難民は武装難民と考えてよいと思います。特に隠岐4島が敵に制圧されたときは、どのような事態になるのか、思うだけでも鳥肌が立ちます。
 日本海にある有人離島の中で、自衛隊が駐屯していない島は、隠岐島だけであります。自衛隊の駐屯は、多数の島民の切なる願いであります。
 海洋国家”日本”は、全国に多くの島嶼があり、その防衛は大変難しい問題があることは想像できます。我が国の排他的経済水域(EEZ)は447万平方キロメートルあると言われ、世界で6番目の広さです。排他的経済水域とは、沿岸から200カイリの水域で、沿岸国が、生物・非生物資源に対して排他的に権限を行使することが出来ます。まさに島嶼防衛は国益の確保であります。
 北朝鮮のミサイルを防ぐために、ミサイル防衛システム(MD)を構築することは喫緊の課題でありますが、離島の防衛もまた、喫緊を要します。 
 日本民族の未来永劫に生存し、美しい国土を子孫に残すためには、国防を強くすることは当然の帰結であります。
  近い将来、GDP1%を超えて防衛予算を組まなければならない時代が訪れるように思います。
(山陰クボタ水道用材株式会社社長)

萱沼 俊夫(山梨県自衛隊協力会連合会会長)

防衛協会会報第95号(18.7.23)掲載
 
 演習場を抱えて

 わたくしたちのまち、「富士吉田市」は、山梨県の南東部、富士北麓に東を忍野村・山中湖村、西を富士河口湖町・鳴沢村、南を静岡県小山町、北を都留市・西桂町と隣接する高原地帯に位置し、東京都心部からは百キロ圏内にあり、人口5万4千人余りを有する富士北麓の政治・経済・文化の中心都市です。
 そんなこのまちには、市内を一望でき、かつ富士山の眺望が一番すばらしいと多くの市民が自負する場所に、戦没者慰霊塔(市民の間では「忠霊塔」と呼ばれ親しまれています。)が建立されています。この場所は市民の憩いの場でもあり、正式名称を「浅間公園」と言いますが、四季折々いろいろな姿でわたくしたちの目を楽しませてくれます。
 特に、桜の花が満開を迎える季節には、裾野から広がる雄大な富士山を背景に、桜と五重の塔を写した“日本の象徴的な場所”として、外国の教科書などにも掲載され、また、多くの写真家などにより紹介もされているところです。読者の皆さんも一度や二度はご覧になった記憶がおありのことと思います。
 この慰霊塔は、昭和34年に市民有志の寄付により建立され、現在では富士吉田市慰霊塔奉賛会により管理されておりますが、日清・日露戦争から先の大戦までの、富士吉田市戦没者1055柱を奉っております。
 このほかにも、市内には富士山の眺望がすばらしい場所が多く所在しており、国土交通省関東地方整備局の選定する「富士見百景」には、「富士山レーダードーム館と富士」、「富士北麓公園」、「浅間公園」、「諏訪の森自然公園(パインズパーク)」、「杓子山」、「富士見孝徳公園」、「堂尾山公園」の7箇所が選定されており、それぞれの場所からの富士山の眺めはまさに絶景です。
 富士山の裾野には、その面積4597ヘクタールに及ぶ広大な「北富士演習場」が本市と周辺2村の行政区に存在しており、国の防衛施策の一翼を担っております。
 この演習場では、年間282日の実弾射撃訓練などが行われておりますが、訓練の中には、国内の移転先5箇所のうちの一つとして、沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練の分散実施も行われ、沖縄県の過重な負担軽減の一助となっております。また、この演習場では、国内唯一のハイテク機材を使用する「富士訓練センター」が平成12年に開設されております。
 このほか、演習場内では現在「イラクにおける自衛隊の人道復興支援活動」により、イラクサマーワで活動中の自衛隊の模擬訓練施設が建設され、派遣される自衛隊員の安全を確保するための訓練が行われております。さらに、隣接する忍野村には「北富士駐屯地」も所在しており、この部隊からも第9次イラク復興支援群として11名の隊員が派遣され、その折には、山梨県自衛隊協力会連合会として、派遣隊員の任務完遂と無事帰還を祈願し、部隊と協力し壮行会を実施いたしました。
 この演習場は、富士吉田市の行政面積(12,183ヘクタール)の約3分の1にもおよび、市の発展の阻害要因ともなっております。このため防衛施設庁から、「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」により、補助金や交付金の交付を受け、民生の安定に資するための施策の実施を行っておりますが、先に紹介いたしました富士山レーダードーム館や諏訪の森自然公園等の整備に活用させていただき、市民や富士吉田市訪れる観光客の皆様には大変喜ばれております。
 市の開発・発展と国防の一環を担うこととの狭間で苦悩しておりますが、今後も自衛隊の活動に関しましては、できる限りの協力を惜しまず、かつ市勢の伸展に努力してまいりたいと思っております。 自衛隊協力会の立場と市長としての立場のなかで、今回は市長の立場としての所感を述べさせていただきました。
(富士吉田市長)

松井 純(静岡県防衛協会会長)

      防衛協会会報第94号(18.4.23)掲載


             「静岡歩兵34聯隊と板妻34普通科連隊」

 

 「男の子と生まれ橘の香る駿府の城のあと、両軍神の面影を 偲ぶ此の身に誉れあり」と始まる軍歌があります。この歌は、明治27年(1894)の日清戦争後、静岡に誕生した静岡歩兵第34聯隊の聯隊歌であります。歌の中にあるように明治29年(1896)に駿府城の本丸・二の丸などを囲む堀、141,700平方㍍(43,300坪)を埋めるにあたり、市民2万人が動員されました。天守閣、御殿の紅葉山、本丸土手を壊してその土砂を使い、それでも土砂が余り、安東練兵場の埋め立てに使ったほどで、天守台の大きさが想像されます。

 翌30年、城内に白壁モルタルの兵舎が造られ、愛知県豊橋から、ひげの聯隊長高木作蔵大佐が入り、静岡の34聯隊が誕生したのであります。

 明治37年(1904)2月10日、日露戦争が始まり、静岡34聯隊は3月26日に第1大隊を先頭に出征しました。その時の聯隊長は関谷銘次郎中佐、大隊長は橘周太少佐でありました。8月末、第2軍だった34聯隊は、1軍、4軍と共に遼陽へ向け進撃、中でも、首山堡陳地の攻撃は激烈で、攻防戦は彼我ともに多大の損害を顧みずに死闘を繰り返し、関谷聯隊長、橘大隊長以下500人余を失い、全体で5千人の出征者に対し1100人を超す戦死者を出しました。橘少佐は満38歳で戦死、中佐に特別進級し、海の広瀬武夫中佐と共に、全国民から「軍神」と崇められました(関谷中佐も大佐に名誉進級)。戦いの後、静岡市葵区沓谷に陸軍墓地を設け、戦死者の遺骨を埋葬いたしました。

 かつて駿府城内の34聯隊には、関谷聯隊長、橘中佐の銅像がありましたが、昭和19年、戦時下の資源回収で徴収され、関谷聯隊長の銅像台座だけは、静岡市谷津山の慰霊観音像の台座として残っています。

橘中佐の銅像は2体作られていて、1体は中佐の故郷長崎県千々石町に置かれていました。こちらも供出されるところでしたが、地元の住民が夜中に海岸の砂中に埋めて隠したそうです。現在は、同町の橘神社の入り口に建っています。

 静岡では昭和37年、御殿場市の陸軍板妻廠舎に板妻駐屯地が創設された際、県民の多くの要望により旧陸軍歩兵34聯隊の聯隊番号を受け継ぐ事ができました。これにより、板妻34聯隊は、軍神橘中佐を象徴する郷土部隊となりました。

 板妻駐屯地の正門を入ってすぐ正面には、昭和天皇御手植えの大きく立派な松があり、左手には「湧水庵」という名前の隊員クラブがあります。その下に郷土部隊出身者の資料多数が展示された資料館、そして橘中佐の銅像、橘中佐を背負い、みとった内田軍曹の碑があります。 

 毎年8月、歩34のOB会が、遠く長崎県より橘中佐の子孫の方々の臨席を願い、「橘祭」を催し、軍神の慰霊・顕彰行事を盛大に行っております。

 “遼陽城頭”の軍歌で名高い軍神橘中佐が、静岡歩兵34聯隊の大隊長として、日露戦争首山堡の戦いで壮烈、国に殉じられてから70有余年の歳月が流れました。橘中佐が「軍神」として崇敬されたのは、単に戦場での勇戦敢闘のためだけではなく、その人格が高潔で識見にすぐれ、円満で情愛深く、全生涯を至誠意一筋で貫き通した平素の行いが、武人としても、一国民としてもきわめて立派で模範的であったからであります。

 中佐の遺徳を永く後世に伝え、かつ自衛隊員の修養研鑚の鑑とするため、多くの方々の熱意と浄財により、郷土部隊ゆかりの第34普通科連隊の所在地、板妻駐屯地内に銅像が再建されました。この銅像には、「日本の象徴である富岳に向かって立つ武人の勇姿を表現したい」との関係者の願いが込められています。

 私ども静岡県防衛協会も毎年、主催者として10月に自衛隊員殉職者の慰霊祭を催しております。

 縁あって板妻を職場とされた方は、人徳のある橘中佐の遺訓に触れ学び、そして中佐の残された「老婆心」(※)は軍人だけでなく、今の時代の社会人の心得として留めていただきたいと思います。

 今回第9次イラク派遣で小野寺靖1等陸佐が群長で派遣され、活躍しております。私の会社では「サマワから」という題で、隊員手記を載せております。緊張感も和らぎサマワの子供たちの笑顔が励みと書いてあります。小野寺群長の任務冠隊は郷土の部隊の誇りです。心より祈念いたします。(静岡新聞社社長)

 ※老婆心・・人間として立派になるためには、人に真心を尽くすということの「うるさがれるほごの思いやり、心尽くし」が大切です。学問の上に、また、ものごとの修行の場合でも、まあ、これぐらいにしておこうか、というのが一番いけないことで、これでもまだ足りない、もう少しこうやってみては、という心です。

鎌田 文明(香川県防衛協会 会長)

防衛協会会報第93号(18.1.23)掲載


   「ビクトリアポイント戦友会」

 

 筆者の兄は昭和20年5月22日、ビルマの南端ビクトリアポイントの近くで、悪性マラリアに罹り戦病死した。

 ビクトリアポイント戦友会の石丸会長(高槻市在住)から2000年1月31日に、旧日本軍戦没者の慰霊碑建立と慰霊祭とを、ヤンゴンの日本人墓地で行い、その後、石丸会長達にとっては思い出の地ビクトリアポイントに、戦後初めて立ち入る事が出来るようになったので参加しないかとの、お誘いであった。機会があれば現地を訪れて、兄の冥福を祈りたいとかねがね思っていたので、二つ返事で承諾した。

 戦友会の一行は11名で、当日午前中に日本人材開発機構の主催による、ヤンゴン市内の日本人墓地で、悲劇のインパール作戦による、戦没された人を中心とした慰霊祭と慰霊植樹とに参加した。午後は、宿泊するホテルで特別公演会が催された。講師は金丸三郎氏(元総務庁長官・参議院議員・鹿児島県知事・東大法学部昭和13年卒業)で、「日本の進路」と言うテーマであり、21世紀は、アメリカの属国から、わが国が如何にして自立するかについて、約1時間の講演を聞き、大変示唆に富むものであった。翌日は、ヤンゴン空港から南へ約500マイル離れたコータウン空港まで飛び、目指すビクトリアポイントを訪ねた。この地は、かつてはコートタウンと呼ばれていた所だが、19世紀に、3度に及ぶビルマと英国との戦争の末、1886年英国領となり、時のビクトリア女王の名前を冠してビクトリアポイントと称されるようになったと言う。第2次世界大戦後、1948年ミヤンマーが連邦共和国として独立後は、再び元の呼び名コートタウンに戻っている。

 筆者の兄が所属して起居を共にした戦友達は、四国で生まれ育った20歳の若者たち700人であり、大戦の末期、敗戦色濃厚となってきた昭和19年10月、門司港を出港してシンガポールを経て、ビルマ最南端のビクトリアポイントに派遣された「玉砕部隊」であり、この地で敗戦を迎えて武装解除された。その後、日本降伏軍人としてビルマ南東部を移動しながら苦難に満ちた放浪の旅を重ねて、昭和22年7月に佐世保港に入港・復員した。この兄達は、ビクトリアポイントから11マイル離れたカンポンタローの集落で英軍の再上陸に備えて「玉砕」を覚悟の戦闘訓練と陣地構築とに明け暮れていた、との事であった。          戦病死した兄を茶毘に付したこの場所で霊を慰める事が出来て、夢ではないかと感涙に浸った。

 我々一行の次の訪問地は、兄たちが8ケ月間に及び、激しいノルマを課せられて非人道的な処遇で労役に従事したモパリン採石場であった。この収容所での生活は、相変わらず土の上に藁を敷いただけの幕舎生活を強いられ、ビルマの土の上で、まるで牛馬のような生活を1年6カ月に亘って過ごしたとの事であった。だが、今回の訪問では、ミヤンマーの人達は極めて親日的であった。日本人に対して、何故こんなにも親切なのかが、この時の訪緬によって、その疑問が解けた。バス旅行中、トイレ休憩時に、とある売店で話しかけてきたビルマ男性(終戦時には12歳であったと言う)の言葉に強く感銘を受けた。それは、「私は日本の兵隊さん達が憧れの的でした。日本が負けたのが残念でたまりません。日本の兵隊さん達は、ビルマの人達に勇気を与えてくれました。そのお陰で、英国の植民地から独立する事が出来ました」と。日本は太平洋戦争で、アジアの近隣諸国を苦しめ、多くの犠牲者を出した。しかし、欧米の植民地であったアジアの諸国は相継いで独立を勝ちとっていった。

 当時、20歳の青春真っ只中で2年9カ月にわたり筆舌に尽くし難い辛酸をなめたビクトリアポイントの戦友会の人達も、空費した貴重な人生の時間の意味を改めて想い起していた。

平成17年以前【初回76号(H14.5)~〈80・85号未掲載〉~92号】

中野 誠之助(自衛隊協力会岩手県連合会会長)

防衛協会会報第92号(H17.10.23)掲載 


      「皇室の御仁慈と靖国神社」

 靖国神社は、わが国が幕藩政治体制から近代国家体制に大きく生まれ変わろうとする時に、不幸にして避けられなかった明治維新の内戦(戊辰戦争)において、国のために一命を捧げた人たちの霊を慰めようと、明治2年(1869)、明治天皇の思し召しにより「東京招魂社」として現在の場所に建てられたのが起源で、同12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。明治天皇が「やすくに」と命名され、この御社号には「国を平安(安の字は靖に通じる字)にして平和な国をつくり上げる」という御心がこめられ、祀られている神々も、すべてこの天皇の御心のように、祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ日本民族を守る為に掛け替えの無い尊い命を国に捧げられた同胞たちで、これらの方々は、身分・年齢・性別にかかわりなく手厚くお祀りされています。このように靖国神社には、戦場で戦死された軍人、軍属ばかりでなく、文官、民間の方、女性をも含めた多種多様の御祭神が祀られており、日本国民誰しもが崇敬し、奉賛するに相応しい御社であります。明治天皇の思し召しを体して国家が祭祀を執り行い、国民が真心を捧げ護持されて来たのが靖国神社であります。戦死された方々は戦いに赴くに当たって、死ねば靖国神社で戦友にも家族にも逢える、靖国神社は畏くも天皇陛下のご親拝の神社であると信じて、自ら身を鴻毛の軽きにおいて国を守られた御祭神の方々の尊い精神と勲功は国民としていつまでも忘れてはならないものと思います。それにも関わらず靖国神社が昭和20年12月15日、占領軍の神道指令により、国との関係を絶たれてしまったことは誠に残念でなりません。また所謂A級戦犯として刑死した昭和殉難者の御神霊を御本殿から別のお社にお祈りするとの一部の人々の分祀論がありますが、これに対して靖国神社は次のような見解を示しています。平成16年3月3日の発表を要約しますと「時の今昔にかかわらず、靖国神社の信仰は今後も変わることはありません。所謂A級戦犯の方々の神霊の合祈は、昭和28年5月の第16回国会決議によりすべての戦犯の方々が赦免された事に基づいてなされたものであります。過去の歴史認識に対しては夫々の気持ちがあると思われますが、靖国神社は国家のために尊い命を捧げられた神霊をひたすらお慰めし、顕彰する神社であります。よって靖国神社が分祈することはありえません」と。

 靖国神社で行われる祭典 

 一番重要な祭典は春秋例大祭と合祀祭です。「春秋例大祭」は毎年4月21日から23日の3日間、「秋季例大祭」は10月17日から20日の4日間、これらの祭典には勅使(天皇の御使者)が差し遣わされ、皇族方も親しくご参拝になられます。また、神社創立以来、天皇・皇后両陛下のご参拝も度々行われ、明治時代に11回、大正時代に5回、昭和になってからは実に54回の行幸啓をあおいでいます。「みたま祭」は昔から我々日本国民の多くが先祖をお祭りする所謂「お盆」に当たる7月13日から16日の4日間執り行われ、ご遺族、戦友、崇拝者らから奉納された提灯が参道を埋め尽くし、年間一番多くの参詣者をお迎えする夏祭りとも言うべきものです。ここで天皇陛下の御製を申し上げます。

 明治天皇御製 まつりごと ただしき国といわれなむ 

                  もものつかさよ ちから尽くして

 大正天皇御製 年どしに わが日の 本のさか行くも 

                  いそしむ民の あればなりけり

 昭和天皇御製  この年の この日にもまた靖国の 

                  みやしろのことに うれいはふかし

 今上陛下御製  国のため  あまた逝きしを悼みつつ 

                  平らけき世を 願いあゆまむ

 昭和16年12月8日の開戦の詔書の一部を拝すると「朕ハ政治ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ彼ハ豪モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ 此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス」と、その理由を仰せられております。

戦没祈念 御府について

日本の無罪論

 畏くも明治天皇、大正天皇、昭和天皇におかせられましては日清・日露の戦役はじめ満州、上海両事変に至る戦没者の遺影、記念の品々などを次の様に各御府に掲げられ朝な友な、その勲功を偲んでおられたともれ承っています。ここで言う御府とは、振天府、懐遠府、建安府、惇明府、顕忠府です。明治天皇が明治39年に詠まれた御製「国のためいのちをすてしますらおうの すがたをつねにかかげてぞみる」があります。

 昭和18年秋、靖国神社合祀祭には筆者の兄(昭和16年4月戦没)が合祀のご沙汰を拝して母が参列いました。その折「宮城」(当時の呼称で現在の皇居)内の御府の拝観を許され、歴代天皇の御聖徳御仁慈の程忝く感激をもって語っていました事、今も忘れることが出来ません。

 筆者は、昭和20年8月15日、軍籍にありました。第222師団歩兵第307聯隊付主計将校として本土決戦準備に忙殺されていました。正午に玉音放送を拝詔して、只々搒沱たる涙を禁ずる事が出来ませんでした。当時筆者の日記の一部に「一死君国に報ぜんと壮途に上がりし我等武装を解かれて復員する。何の顔ありて父老に見えん、嗚呼悲憤その極に達す。然し来らん忍苦の生活の中にこそ祖国再建の実力を培養せねばならぬ。そは我等軍人の手によって云々・・・。幾多の戦死された方々また戦災により犠牲となられた多くの国民の方々に断腸の思いを・・・。何をもって報いるべきか」と誌しています。

日本の自衛について

マッカーサー元師の証言

 東京裁判終了1年後にウェーク島でトルーマン大統領に「この裁判は間違いだった」と告白したことは良く知られているところです。

 また昭和26年5月3日、米国の外交軍事合同委員会における公聴会で、連合国最高司令官を解任されたマッカーサ元師は「日本が戦争に突き進んで行った動機は、安全保護の必要に迫られてのこと、つまり自衛の戦争であった」とはっきり証言しています。また、毛沢東主席は、何人かの日本人に対して、「我々が今日あるのは日本軍のお陰である」と、上機嫌で述べたと言われています。それにも拘らず、近年これらの史実を知らざるか故意に隠し、或いは日本人でありながら自国の不利益になるような自虐史観に基づく意識的行動や、A級戦犯にされた昭和殉難者の方々の分祈論、或いは屈辱的外交は厳に慎まなければならぬと思います。

日本人の精神文化について

 小泉総理は、過る平成13年総理就任の年、8月15日の靖国神社参拝を公約しましたが、8月13日に参拝したことは遺憾におもいます。爾来、何かと国の内外を問わず参拝について議論され、外国の不当な干渉を受けて、戦後60年の8月15日に首相の参拝が無かったことは誠に残念に思うところです。日本は大東亜戦争に敗れた事により、60年後の今日、未だ取り戻せぬものは日本人の心であり、敗戦の悲惨さを改めて感ずると共にその荒廃は更に深まるばかりです。今こそ我々は正しい歴史を教え、日本の国民教育の改革を徹底して行い、自主独立の精神と気概、日本人たるの信念を持って、皇室を中心とした世界に誇る3千年の歴史ある民族国家護持のため、精神文化の再構築が必要と思われます。わが国は今まさに国家存亡の危機にあると申しても過言でありません」

 祖国の悠久と平安を信じ自らの尊い身命を捧げられた英霊の大義に報いるために、靖国神社の地位並びにこれを護持する事が日本に生を享けた私どもの責務でありましょう。

誠に畏れ多い事でありますが、天皇陛下、皇后陛下の靖国神社に御親拝戴ける日の速やかなる事を祈念申し上げるものであります。そのためには、わが国の真の独立国家の実証として総理大臣、閣僚は勿論、政治に関わる者、或いは公務員、民間人を問わず各界各層の方々が8月15日、春秋の例大祭など常日頃靖国の英霊の平安を祈り、国民の感謝の意をこめて参拝の実を示す事こそ祖国日本の将来を明るくするものと思います。(岩手県魚市場協会会長)

田中 耕三(山口県防衛協会会長) 

防衛協会会報第91号(H17.7.23)掲載 

 

     「イツ、ヤメルカ」

 世界の推定戦死者数

16世紀         160万人

17世紀         610万人

18世紀        700万人

19世紀       ,940万人

20世紀     10,780万人

 

今年は、日清・日露の両戦役から夫々110年、100年、そして大東亜戦争終結60年の節目の年である。前二者の戦いと後者を対比して頭をよぎるのは「イツ、ヤメルカ」ということ。

 よく言われることに、日露戦争当時の要路者は戦争を始めた時から「イツ、ヤメルカ」を考えていた。然るに、大東亜戦争ではどうか。終戦工作に苦労し、遂には昭和天皇にご迷惑をおかけしてしまった。

 この最大要因の一つは、軍人が倣慢にも政治に介入し、自惚れ、謙虚さを失った結果と思う。海軍の大先輩の一人、水野浩徳氏が大正12年6月の中央公論で「日本のように国防政策を軍人の専決に委ねているのは間違いである。軍人には経済知識がないから軍備のことしか考えない。そういう考え方では国防は成り立たない。これからの戦争というものは経済力が軍備より、もっとも重要である。国防はもともと国家のためにあるのであって、軍人のためのものではない。国が大きいからといって戦いを好む時は必ず滅びる。天下泰しと雖も、戦いを忘れる時は必ず危し」と言っているように、そのような謙虚さを喪失した軍人に国防政策を委ね、独断専行を許したところにあろう。

 福沢諭吉先生が「独立の気概なき者は、国を思うこと深切ならず」と言われている。日本国民が旺盛な独立心を持てば、これに勝る日本の防衛力はない。いくら自衛隊が強化されようと、国民に国を守るという意識がないと駄目であると同時に、そういう国を守るという意識を持った国民に支えられた自衛隊は、極めて強固な存在であると思う。私は日本の国が本当に責任を持って国民の安全、生命、財産を守るには軍隊も必要であり、軍隊というものは、きちんとした存在価値があると思っている。それには国民の支持を得ることが重要なのである。

 最近の様に、北東アジアの我が国近海を巡る諸々の事件、首相の靖国神社参拝を巡る中・韓両国の干渉等により、漸く胎動し始めたナショナリズム、自衛隊の災害出動への地道な活動や諸外国への人道派遣等により高まってきた自衛隊に対する国民の理解と支持が、戦前までには達しないまでも、戦前に近い状態になった暁には、軍隊(自衛隊)が我が侭になり、また、倣慢になってはいけない。軍隊(戦力)は戦いを避けるためにこそ持つことが必要で、使わずに済むことが最も望ましい。なお、文民統制をしているから大丈夫、ということではなく、自衛隊員一人一人が、国民のための軍隊である、という謙虚な思いのもとに、国民の支持を失わないように願いたいものである。

 中国の古語に「其の民族を滅ぼさんとせば、その史を断て」とある。曩の                                                                                                             大戦

終結後の占領軍による我が国の占領政策は、当に之である。然し、仮令、戦いに敗れたとはいえ、その民族が民族精神を失わない限り、その民族は滅びることはない。もし民族が民族精神を失えば、その民族は再び国家を形成することができない。

それ故に、国民もまた一人一人がその国の正しい歴史を学び、その国に生れ、その国の文化、伝統の中に育ち、日本人であるという意識がアイデンティティの柱となって、我が郷土、国を愛する気持ちから発する『国を守る』という気概を持し、民族意識を奮い起こして自衛隊を支持したいものである。

 いずれにしても、力を保持するもの(軍隊)は謙虚になることが求められる。元々「ヒューマン」の語源は「ヒューミリティ」で「謙虚」とうい意味を持つ。もう一つ前の語源の「フムス」は「限界を知る」という意味で「謙虚」であり「限界を知る」ことができるなら、日本はどう変わっていただろうと思うことしきりである。我々は「学ぶ」ということを通じて、知っていることがいかに少ないかに気付き、「我以外皆我が師」となり、「謙虚」になり、「限界を知る」ことができる。トルコ大学の校門に「人生における導きの星は唯学問あるのみ」と刻まれているといわれる。(山口銀行相談役)

水木 儀三(愛媛県防衛協会会長) 

防衛協会会報第90号(H17.4.23)掲載


             「温故知新~輝ける明治期に思いを馳す~」

 

昨年1月、陸上自衛隊の第一次イラク派遣の群長であった番匠幸一1佐が、テレビのインタビューで「派遣命令が出た時、北清事変のことを早速に勉強した」とさりげなく語っていたことが耳朶に残っている。私はこの短い言葉に、どれほどの日本人が、派遣と事変の関連を理解できたであろうかと考えた。

北清事変とは、清朝末期の明治33年(1900年)欧米の帝国主義打倒を叫んで山東省で蜂起し民衆が、首都・北京に攻め入って、外国公使館を包囲し、外国人迫害などを行った「義和団の乱」のことで、清朝がこれを支持し対外宣戦を布告したため、日本を含む8ケ国の多国籍軍が出兵し、これを鎮圧した事変である。この時、日本は広島の第5師団を派遣したが、「武士道の国」の将兵にふさわしく、軍紀を厳守して整然と北京の治安にあたった。これが欧米列強から高い評価を受け、国威の宣揚となって、2年後の日英同盟の締結となり、日本海海戦の勝利へと繋がったと言われている。

イラクへの自衛隊派遣は、同盟国・米国との絆を強め、友誼を尽くすことにとどまらず、大きな意味をもっていると思う。中東は加工貿易で生きる海洋国家日本の原油輸入量の90%近くを含める、死活的に依存度の高い地域であり、この地域の安定は日本の国益に合致すること、更に、イラクは有史以来はじめて自由選挙によって自国の運命を定める機会を得たのであり、民主国家として誕生する道程を容易にするため、文明の衝突を避け、同じアジア人として人道復興支援にあたる平和の使徒としての役割である。派遣された隊員は、この理念のもと人々へのやさしさを忘れず、北清事変の先例に倣い、立派な任務を全うしていただきたいと念願している。

ところで、昨年はペリー艦隊が浦賀沖に来航した日本開国から150年、そして今年は背水の陣で大国ロシアの南下政策を阻止し、日露戦争に勝利、アジアに覚醒を促してから100年である。

ペリー来航の19世紀は、欧米列強が極東にまで植民地収奪の矛先を向けていた時代で、アジアは「豊かさ」とも「強さ」とも無縁の存在であった。インドをはじめアジアの多くは列強と戦い植民地化されたが、極東の島国日本は、民族と国家の誇りを保持して独立を守った。そして西洋文明の優位を認めてこれを真剣に学び、優れた制度や技術を日本固有の文化や日本人の気質に融合させて自己変革を遂げ、日清・日露の戦いに勝って「日本の奇跡」を実現した。その奇跡の秘密は、江戸時代に鎖国政策をとりながらも200余りの藩校や1万を超える寺子屋がハイレベルの学習社会を形成して、読み・書き・算盤は勿論、儒教に基づく五輪十義の道を教え、道義・礼節を重んずる人財を地域が競って育んだことにあると思う。

旧五千円札の肖像となった新渡戸稲造博士が明治32年、米国滞在中に英文で著述した「武士道」の本を金子堅太郎から贈られた当時のセオドア・ルーズベルト大統領が、日本の精神文明の高さに感銘し、日本の良き理解者となって、ポーツマスでの日露講和会議の斡旋者となったことはよく知られているが、この著によっても、明治人の道徳や正邪善悪の観念が江戸時代からの伝統的な武士道によって培われたことが判る。

司馬遼太郎氏も「明治という国家」の中で、「明治期の近代国家の形成は、合理主義精神と公(おおやけ)の思想に富み、清廉にして自己に誇りと志をもった人たちによって支えられた」と述べているが、日露戦争から40年後の大東亜戦争で敗戦となり、そして連合軍による占領統治を契機に、日本人が受け継いできた武士道的な清廉で剛毅な精神、高尚な倫理観、共同体的な美しい連帯感、日本人の心を一つにするため確固たる国家観といった精神文明が、世代交代につれて次第に失われてきたことは洵に心が痛む思いがする。

しかしながら、今年は戦後60年、人間に譬えれば国の還暦である。幸い原点に立ち戻って戦後を見直す歴史的転機にあたることを日本国民の大多数が自覚しているように思われる。なかでも重要なのは教育改革、外交、安全保障の見直しであり、行き着くところは占領下の現行憲法の改正に帰着する。

教育改革は教育基本法を改正して学力を養い、日本独自の宗教・歴史・文化の根底にある「日本人の心」を取り戻すことである。また、中国の台頭と朝鮮半島の動向は、海洋国家日本の外交と安全保障にとって常に古くて新しい問題であり、更に米軍のトランスフォーメーションに対し、どこまで同盟国間の統合に踏み込めるか、日米安保条約の改正、統合軍用を含む自衛隊の構造改革を視野に入れた戦略討議が求められよう。

私の郷里松山では、いま「坂の上の雲」を軸とした、まちづくりが進められており、日露戦争勝利の立役者、秋山好古・真之兄弟の遺徳を偲ぶ生家の復元も民間の力で完成した。

輝いた明治期を温(たず)ねながら、新しい日本の未来に思いを馳せること将に切である。(伊予銀行相談役)

菊池 武正(青森県自衛隊協力会連合会会長)

防衛協会会報第89号(H17.1.23)掲載 

 

   「テロの時代」

 

 一般に、テロとは、テロリズムの略で、暴力主義、恐怖政治のことを言うが、最近のアメリカ・イラク戦のように、主力戦で既に雌雄が決し、大勢が落着しても、部分的に合戦が収まらず、あちこちで戦闘が続く、そういうのもテロと呼んでいる。

 この頃は世界的に民衆の価値観が多様化し、国境を越えて、主義・主張がいりみだれている。

 殊に、三年前の米国同時テロ以来、この傾向がひろがっているように思われる。

 つまり、自己の主義主張実現のみを目指す各種団体及びグループが地球表面の軟弱な地点を突破して噴煙をあげる。これがテロか。

 思うに、この様な傾向が世界的に広がっていると言うことは、夫々の国家にこれを制御する力が失われつつあるからに他ならない。

 また、一方、無政府主義的風潮が世界を風靡しているのも、テロの助長に役立っている。いうまでもなく、国家には、国土の保全、国民生活の安寧を司る義務がある筈である。それが相叶わぬとなれば、国家の機能が失われることになる。

 然るに、今やテロは国境を越えて、世界の人々の生命・財産を脅かしている。かといって無力な国際連合などに頼るすべもない。各々夫々の独立国家が自国の運命をかけてテロと対決するほかない。つまるところ、自分の国は自分で護るしかないことを悟らねばならない。このままでいくとテロは世界を滅ぼすことになりかねない。

 ところで、わが国のテロ対策はどうなっているのだろうか。愛国心が薄く、国防意識が低く、お人よしで、よくいえば、天衣無縫の現代日本人。前大戦の敗戦意識、負け犬根性から抜け切れず、今尚、独立心が育たず、アメリカの庇護のもと、ぬるま湯につかってわが世の春を謳歌しているが如きは、洵に憂慮に耐えない。

 さて、テロ対策でも最も重視されるべきは、いうまでもなく、情報機関。先ず国家機密がきちんと護られているだろうか。世界の情報が巧みに集められているか。遺憾乍ら否である。スパイ防止法さえ無い国・日本。スパイ天国といわれるゆえんである。国防は大丈夫だろうか。

 警察と自衛隊の戦力は、期待出来るのか。不十分と言うほかない。之を要するに日本人の愛国心と独立心は失われつつあり、アメリカの属国に甘んじているとしか言い様がない。

 これで良い筈が無い。テロは戦争への導入路であることは歴史が示している。ゆめゆめテロを軽んじる勿れ。(株式会社弘南バス 相談役)

安藤 昭三(大分県防衛協会会長) 

防衛協会会報第88号(H16.10.23)掲載

 

           「21世紀の軍事革命(R・M・A)に対処せよ」

 

 イラク問題は、今後どのように治安情勢が安定するか、あるいは政治的に国民議会の選挙が予定通り行われ、効果的・平和的にイラクを統治し得る政府が樹立されるか等に焦点が移りつつある。しかし、イラク戦争を通して我々は、防衛・安全保障問題を新しい視点から見て、再思三思し、今後の日本の防衛力の充実を考慮しなければならないのではないか。

 我々は、軍事技術の細部については素人であるが、イラク戦争における米・英軍を中心とする連合軍の迅速かつ圧倒的な強さには全く目を見張るものがあった。これは、過去10年ばかりの間に唱えられてきた軍事革命R・M・A(Revolution in Military Affairs)が現実の戦場で実施され、驚くほどの効果をあげたことであろう。RMAは現在広汎に進行している軍事社会現象と見られるが(ラムズフェルド国防長官はこれを変革・・TransFormationと言っている模様)、まさに21世紀に入って戦いの性格は大きく変わりつつあるようだ。一口で言えば、20世紀の工業化の時代は戦争は「消耗戦」で有形の戦闘力、つまり兵器や兵士という人的・物的戦力を破壊することが目標であったが、21世紀の情報化時代は緒戦において相手方の指揮統制、統率、心理、情報網等の機能を破壊し麻痺させ、敵の戦闘部隊の機能を失わせてしまう「ショック戦」の性格が出てきた。工業化の時代には戦力の中心は火力であったが、これからは諜報戦、心理宣伝戦、サイバー戦といった情報戦が勝敗を分けることがハッキリしてきた。このような軍事革命(RMA)の中心は言うまでも無く、軍事技術に大幅にIT技術を取り入れることであろう。つまり、軍隊における急速な情報通信革命の進展である。日本のテレビでも紹介されたが、精密に誘導された爆撃機からの空爆、巡航ミサイル(トマホーク)の発射など精密誘導兵器の攻撃で、イラク側の指揮中枢を迅速に機能を喪失させた反面、米軍は多数の衛星を上げてグローバル・ポジショニング・システムを作り、このシステム利用して爆撃やバンカーバスターを使用する。敵情も画像でリアルタイムで部隊長の手許に映るし、また、部隊の作戦会議も従来は現場の指揮官が集まって地図を拡げて行っていたものが、今回はネット上で作戦会議が出来るということが現実のものになった。

 このように戦場指揮のネット化・デジタル化が今急速に進行しているRMA(軍事革命)であると思われる。もちろん、IT技術の軍事面への応用は、湾岸戦争時にも、コソボ紛争にも、またアフガンのタリバン攻撃でも行われてきたが、今回のイラク戦争では一層広汎に応用され、米英軍の迅速な勝利とイラク正規軍の一方的な壊滅を促したことは明らかである。

 さて問題は日本の21世紀の防衛力である。歴史を繙けば国の防衛は民族の生命の安全に係ることだけに、常に技術の最先端を指向し利用するべきものであり、これを怠れば、数の上で兵力を揃えても、その国の運命は結局は惨めな結果に至っている。騎馬軍団を最高と考えていた武田武士は、織田信長の鉄砲隊の前に亡び、同じく騎兵を尊重しつづけたポーランド軍はドイツ戦車隊の一撃で壊滅している。38式歩兵銃の突撃効果を誇示し、満足な戦車やレーダーすら造らなかった旧日本陸軍は、結局は無条件降伏して軍隊そのものを丸裸にされる悲劇に陥った。

 新しい時代の防衛力は最先端の軍事技術を利用し、仮に少数精鋭であっても日本を侵す不法者の戦力を上回って、相手を圧倒し得るものでなければならない。

 イラク問題や北朝鮮問題は、昨今、しばしばマスコミでは論ぜられるが、21世紀の軍事革命に対処して周辺有事の際に有効な防衛力をいかに構築するかということは、国会でもマスコミでもほとんど論議されることがない。いかなる民主国家においても国会において、安全保障委員会、あるいは国防部会があり自国の置かれた地理的・政治的・経済的環境下で、どのように戦略と防衛力を備えるかを真剣に検討している。しかるに、日本では占領下で強制された現行憲法のために防衛を論ずることは、憲法違反ではないかとでもいうような風潮が戦後60年を経た現在でもマスコミや国会の中に残っている。そして、国民の生命・財産の安全を守るべき自衛力についてすら満足に討議はほとんど見られない。(筆者は残念ながらRMAについての報道特集は目にしたことがない)。

 長引く経済不況や少子高齢化の進展もあって、人々の関心は経済問題に集中しがちである。経済の回復はもちろん大切なことであり、防衛力の充実も大きく経済力や財政事情に依存していることは言うまでもない。

 しかし、現在のように21世紀の日本や世界を語る場合に、今世紀に入って急速に進行している軍事革命(RMA)を無視し回避しては、つまるところ国の存立そのものが危うくなるのではないかと憂慮される。テポドンに脅え、不審船や拉致問題に騒ぐだけでなく、国の基盤的防衛力を最先端の技術と装備で充実させるように堂々と議論し実行することこそ肝要である。                                                               (大分銀行取締役会長)

小林 公平(大阪防衛協会会長)

防衛協会会報第87号(H16.7.23)掲載 


    「海鳴りの彼方から」


「峠の我が家」

なつかしや峠の家

 木々の緑深く

 ほがらかに人は語り

 青き空を仰ぐ

ああ我が家

かえり行く日あらば

谷水に咽喉うるほし

獣追いて暮さん

この歌詞は昭和20年7月30日に、特別攻撃隊の一員として出撃、本邦南方海上で戦死された故毎熊真喜雄海軍少尉(戦死後二階級特進)が出撃に当たって、ハンカチに書き遺されたものである。私は、この歌詞を、私ども海軍兵学校第75期の機関紙「古鷹」に、期友竹下計治氏が書かれ、同名のタイトルがついている一文の中で初めて知った。毎熊少尉と同氏とは長崎県・諫早中学の同級生であったが、少尉は同氏より一足早く、昭和18年4月に甲種飛行予科練12期として海軍に身を投じられた。

さて、私はこの歌詞を読んで、おおいに感動した。少尉が、何時頃からこの歌詞を書かれていたのか、それは不明であるが、二番から成る歌詞には、そのまま曲がつけられるほど完成度の高いものであったこと、また、そうした状況下にもかかわらず、“尽忠”“報国”“大和魂”“若桜”というような言葉は一つとして無く、平和な故郷を想う心が滲み出るようなものであったからだ。そこで早速、作曲を依頼し、去る3月に、大阪新阪急ホテルで行われた海上自衛隊練習艦隊歓送迎会の席上でご披露したころ、多くの方々からテープまたはCDが無いのか、尋ねられたので、CD製作を決心して、あらためて作曲者の入江薫氏に編曲していただき、出雲綾(宝塚歌劇団宙組組長)ほかの歌で録音をしてもらった。なお、他の三曲は“峠の我が家”のカラオケ曲、“軍艦行進曲”(阪急百貨店吹奏楽団)“群青”(歌・霧矢大夢・宝塚歌劇団月組)となっている。

この歌によって、毎熊少尉始め、多くの特攻隊員の御霊を少しでもお慰めすることが出来たら、まことに本望と私は思っている。

なお、このCDは遅くとも8月上旬に宝塚クリエーティブアーツ(電話0797-85-6810)から発売予定となっていることを申し添えておきたい。

本稿校正後、この詞(一番)が佐伯孝夫氏の作詞と判明した。

しかし、毎熊少尉の志は少しも変わらないものとして、関係先と所定の手続きの上、発売する予定である。                           (阪急電鉄㈱相談役) 

近藤 英一郎(群馬県自衛隊協力会会長)

防衛協会会報第86号(H16.4.23)掲

「日本の安保政策 新局面に」

 

日本の安全保障政策が大きな変化を迎えている。すなわち、有事関連7法案が3月9日閣議決定され、今国会に提出され、小泉政権はその成立を目指している。

 提案は、「国民保護法案」「米軍行動円滑化法案」「外国軍用品等海上輸送規制法案」「自衛隊法改正案」「交通・通信利用行為法案」「捕虜取扱い法案」「非人道的行動行為処罰法案」の7法案である。

 77年に当時の福田赳夫総理大臣が有事法制の検討を防衛庁に指示し、政府内での取り組みが始まったことが思い出される。

 だが、当時の保革勢力の対立した政治状況では議論は進まなかった。それから四半世紀を経て、大規模テロや大量破壊兵器の拡散という新たな脅威に対するブッシュ米政権の戦略が日本の安保政策に影響を与えていると言えよう。

 このほか、関連条約として「日米物品役務相互提供協定(通称ACSA)」の改定、「ジュネーブ条約第一、第二追加議定書」の二本がある。特に、ACSAの改定では、有事に米軍への必要な支援をより広く行えるようになる。

 有事関連7法案の体系は大きく3本の柱で構成されており、

  1. 武力攻撃排除のための柱である「米軍行動円滑化法案」では、物品・役務の提供で米軍の行動を円滑化すると共に、米軍の行動情報を国民に提供する。「自衛隊法改正案」では、米軍との物品・役務の相互提供の手続きを規定しており、「外国軍用品等海上輸送規制法案」は、敵国への武器などの海上輸送を阻止するため臨検を可能にする。

  2. 国民の保護のための柱として、「交通・通信利用法案」は、特定地域の港湾、空港等について自衛隊や米軍、避難民のどちらかが優先利用するかを調整できるようになっている。「国民保護法案」は、国民の非難、救援の手続きや、国民の協力のあり方が規定されている。さらに国の基本指針により、都道府県、市町村に国民保護協議会が設けられている。

    三本目の柱は、

  3. 国際人道法案関連の法案であり、「非人道的行為処罰法案」では国際人道法に規定する重大な違反行為を処罰する。また「捕虜等取り扱い法案」は、武力攻撃事態での捕虜の拘束や抑留などの取り扱いが規定されている。

    以上が三本柱の概要であり、これらの法案が成立すれば有事における国民

 保護のための法体系が整うこととなる。

わが国は、これまで国連平和維持活動(PKO)や、人道的な国際救援活動に関わってきたが、今次の法案では他国から武力攻撃を受けた有事のほか、緊急対処事態が野党の大きな争点となろう。

 また、憲法改正問題にも関わる面もあるが、この問題はしばらく時間を要する。

 近時、あらゆるテロが想定される中で国民の権利制限につながる面もあり、国会での議論が国民に理解できる内容となることを切に望むものである。

長沼 富士男(佐賀県防衛協会会長) 

防衛協会会報第84号(H15.11.26)掲載 

     「白鳥入蘆花」

 

 標題の言葉はご存知下村湖人の「次郎物語」第三部に出てくるもので、私の座右銘の一つ。私が愛読したのは若い学生時代のことである。

 自然児としての次郎の少年時代が描かれている第一部は、湖人の生地佐賀が舞台であり、教育者であった作者はそこに「愛」・「運命」・「永遠」を語っているが、取り分け“母と子の愛情”問題については、ナーバスに惨状が多発している現代では、大いに教えられるものがある。

 さて本題の「白鳥入蘆花」は熊本に端を発し、大分・福岡を潤し、佐賀に恵を与え、有明海に灌ぐ九州一の大河“筑紫次郎・筑後川”の河口佐賀県千代田町が湖人の故郷で、この川辺には蘆が生い茂り、其処には、いつも鷲が舞い降りている。よく見ると鷺の姿は見えないが蘆の揺らぎが大きく広がっているのが伺えることを謳ったもので、湖人は少年時代よく眼にした此の光景に、「善行無轍跡」を同義語として演繹している。

 また西田哲学に共鳴した湖人は、その実践を、日本の青少年教育に傾注していた。私も同郷人の誼みで同感するところ多く、ふるさとを愛する者の一人として大いに感激し、爾来敬愛し一つの活動指針とし、高く目標に掲げて来た次第である。

 今、私も幾つかのボランティア活動に携わらせて頂いているが、それも一に、其処で学んだ此の精神に基づくもので、その発露に他ならない。

 皆さんご承知の通り、世界は日々が一触即発の現況であり、変化する国際政治構造の中で、「自国の平和と安全を守ること」を最優先させねばならぬことは、自明の理である。世界の中での日本の立場、その使命感に燃えて日夜分かたず活躍いただいている自衛隊の皆さには敬服の至りである。それだけに一層、私共防衛協会としても、地域に密着して、国民の一人ひとりの防衛意識の高揚に徹するよう、行動せねばと惟うものである。

 追ってながら、幾つかのボランティア活動実践中と表現したのも、単に経済面でのみに留まらず、文化面、芸術面、教育面で人的貢献することにより、世界から認められる「日本」で在りたいとの願いを持ち、行動している所以である。(佐賀共栄銀行 相談役)

中野 誠之助(自衛隊協力会岩手県連合会会長)

防衛協会会報第83号(H15.7.23)掲載 

    「靖国神社について」

明治天皇御製

明治7年1月27日 招魂社にいたりて

我が国のためにつくせる

ひとびとの

名も武蔵野に

とむる玉垣

 靖国神社というと、戦死した軍人ばかりを祀っている神社のように思われがちですが、決してそうではなく、5万7千余柱の女性の御祭神も含まれ、これらの方々の中には、従軍看護婦をはじめ主婦、小・中学校の児童や生徒も含まれています。

 また、沖縄で戦没した「ひめゆり」「白梅」などの7女学校部隊の女生徒の方々、「対馬丸」で沖縄から鹿児島への学童疎開中に悲惨にも敵潜水艦によって撃沈され、幼い生命を断たれた小学校女子児童たち、大東亜戦争終結直後の昭和20年8月20日、ソ連の不法侵攻を最後の最後まで内部に通話し続けて、ついに自決殉職された樺太(現在のサハリン)真岡の女子電話交換の方々らも皆、昭和30年代から40年代にかけて合祀された女性御祭神の方たちです。

 さらにまた、大東亜戦争終結時に責任を負って自決された方々、いわゆる戦争犯罪人として連合国側によって一方的に処刑された千余名の方々は「昭和殉難者」として又、民間防空組織の責任者として敵機の空襲下に活躍中爆死された方々、学徒動員中に軍需工場で爆死された学徒らも皆、御祭神としてお祀り申し上げております。

 明治天皇の思召を体して国家が祭祀を執り行い、国民が真心を捧げ護持されて来たのが靖国神社であります。昭和20年12月15日、占領軍の神道指令により国との関係を絶たれてしまったことは誠に残念でなりません。

 国の良き伝統文化を破壊する方向に諸政策は進んでいるように思えてなりません。また、一部に唱えられている国立追悼施設の建設計画は、戦歿者慰霊の中心施設である靖国神社の存在を否定し、国防の根底を覆す重大な問題を孕んでいます。今まさに我が国は、国家の存立を問う大きな岐路に差しかかっているといっても過言ではないと思います。国立追悼施設建設には断固反対であります。

 今日の我が国の安泰と繁栄が靖国神社の御祭神となられた246万余柱の方々の献身奉公によってもたらされたものであることに思いをいたし、子々孫々に至るまで神社の維持に努めなければならないと思います。

 他国に屈することなく総理や各大臣・政治家には、8月15日の公式参拝をお願い申し上げます。(岩手魚類㈱代表取締役会長)

中野 誠之助(自衛隊協力会岩手県連合会会長) 

防衛協会会報第82号(H15.5.23)掲載 


            「愛国心と教育勅語」

 

伯爵陸軍大将・乃木希典(1849~1913)は、明治の軍人、日露戦争には第3軍司令官となり旅順の要塞を攻撃した後、奉天会戦に参加、明治天皇のご信任殊の外渥く、思召により明治40年1月、学習院院長として学習院生徒の教育に当られた人であります。我が国のみならず外国の人々にも尊敬された武人であり、学習院院長として次のような逸話があります。

 或る日生徒たちに「日本は何処にあるか」と問うたのであります。生徒たちは「ハイッ」と手を挙げ「日本はアジア(亜細亜)州にあります」と答えると、否。ある者は「東洋にあります」と答えたのですが、否。「日本は此処にある」と大将自身の胸に手を当てられたのであります。

 日本の国は、将来の日本を背負って立つみんなの胸の中にあるのだと教えられたのであります。生徒たちは暫し院長閣下の顔を見つめ「判りました」と大きな声で答えたとの事であります。昭和天皇はこの時、皇太孫殿下として学習院御在学中であられました。

 今、戦後の教育に思いをいたす時、日本人たる抒持は何処へ行ったのでありましょうか。日本人としての誇りと自覚と責任を、どの様に教育の成果と成し得たでありましょうか。之は世界に誇れる国体を否定し、愛国心を卑しめる教育を施し、日本人としての矜持も自覚も責任もなく、他国に追従するが如き戦後教育、誠に遺憾の極みであると思います。

 日本国民の大多数の人々は皆、その様に考えているのではないでしょうか。今にして之を改めなければ日本民族の将来を考えますの時、百年の悔を遺す事になることは明らかであり、政治家も教育に携わる者も国民も共に考えなければならないのであります。

 我が国の戦後教育は、教育基本法(昭和22年3月閣議決定第92帝国議会で可決・同年3月31日発布)の施行と、教育勅語(明治23年10月30日発布)の12の徳目は従来のまま併用しつつ行われる筈でありましたが、昭和23年6月、GHQ(連合軍司令部)の圧力により衆議院は教育勅語の排除決議を為し、参議院が同失効確認決議をなしたのであります。

 教育勅語と戦後の教育基本法の両立により新しい教育理念の達成を考えていたものが、占領軍により、教育勅語に示された愛国心・忠誠心などが放棄される教育になったのです。その後、教育勅語に代わるべき教育方針がなく、歴史認識や国体観念の欠如など現在の国情に至った事は誠に慨嘆に堪えないところであります。

 教育勅語は明治天皇の思召により発布されたものであり、明治以来の教育の根幹を為すもので、「克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々厥の美を為せるは此れ我が国体の精華にして教育の渕元亦実に此に存す」にあるが如く、12の徳目は天地の常道、人倫の常経であり、日本国民永遠不変の教育の基礎であります。

 父子・兄弟・夫婦・友人間の人倫、謙遜、博愛、知徳の習得、道義的人格の完成、社会的義務の履行等、勅語にお示しになった大御心は、「之を古今に通じて謬らず之を中外に施して悖らず」と、いかに時代が変わっても、本質的にはいささかの変わりもない訳です。私たちが歩まねばならない道しるべとして常にその徳目を実践して立派な人となり、平和な家庭をもち、道徳的な良い社会づくりに努力して欲しいものです。

 我が国は、皇室のご先祖である天照大御神に初まり初代神武天皇即位を皇紀元年とし、本年は2663年、人皇第125代今上殿下に至っておりますことは、世界にも類を見ない美しい国であります。天皇を上に戴き悠久3千年の歴史を閲している国は日本だけであり、古来よりの民族の知恵であり日本人の誇りであります。

佐藤 忠義(香川県防衛協会会長) 

防衛協会会報第81号(H15.3)掲載 


                 「戦後史の検証」

 

 私のいう戦後史とは、被占領期間を指している。昭和20年8月15日から昭和27年4月28日までのことである。その間に我国は多くのものを失った。昭和26年9月8日、占領国との間で講和条約が締結され、その効力が発生したのが翌年4月28日、約7年間の占領から解放され、我国に国家主権が回復された記念すべき日であった。殆どの人が何の日なのか知らないのではないか。一部で国家主権回復を記念すべきとの主張もあるが、その声はいまだに採りあげられていない。

 我国は主権回復以来、一般世論として国家主権のなんたるかを顧みることが少なかった。総理の靖国神社参拝、歴史教科書問題についてその都度、近隣国からクレームがあったが、専ら謝罪外交を重ねてきた。この度の拉致問題に対して初めて国内世論が統一された。そして、国家主権のあるべき姿について考える気運が醸成されようとしている。なぜ今頃になってとの疑問が湧くが、その病根は根深いところにある。私は、それは戦後史を正しく検証することによって解明されるのではないかと考える。

 まず、憲法問題がある。国会に憲法調査会が発足して今年で4年目を迎える。この50年間に内外ともに時代は大きく変わった。我国はこの時代変化に十分機能する憲法をもつべきである。憲法を考える場合、その制定過程をまず検証すべきである。特に第9条戦争放棄の条項は、集団的自衛権問題を含め我国が独立国として、国際社会の中で十分にその責めを果たせる体制にすべきことは勿論である。

 次に教育基本法改訂がある。昨年中間報告として「国を愛するこころ」「家庭の教育」「伝統や文化を尊重する態度」など現行法に不足している分野を採り入れる旨報告された。現行法は、個人の権利、人格の完成などに力点がおかれ、「公」に関するところが欠落している。問題は、昭和23年、教育勅語の排除と失効確認の国会決議が強いられたことにある。教育勅語にあるべき日本人像が記され、進むべき方向が明確に示されていたが、その後、その精神は教育の場から姿を消して今日に及んでいる。この度、新教育基本法制定の中間報告を経て、いよいよ最終段階を迎えようとしている。

 最後に極東軍事裁判についてふれたい。我国は世界史に例を見ない軍事裁判を経験し、巣鴨、マニラ、シンガポール、ラバウルなど各地で1,068柱の尊い命を戦争の犠牲として捧げた唯一の国であるからである。本来、戦勝国が敗戦国を裁くこと自体国際法にはないことである。

 巣鴨でのA級戦犯は事後法によって裁かれた。「平和に対する罪」「人道に反する罪」を理由に。裁判は厳しい検閲制度のもと、当時国民の多くはその真相を知る由もなかったが、講和条約発効後、その実情を知ることが可能になった。11人の判事のうち、唯一被告全員無罪を主張したのは印度のパール判事であった。パール判事によれば、この裁判は戦勝国の敗戦国に対する報復行為、権力誇示および制裁であるといっている。蓋しことの真相を伝え得ているというべきであろう。

 正しい戦争史を検証することによって日本再建の方向を見出したく願うものである。(四国電力㈱相談役)

伊藤 義郎(北海道自衛隊協力会連合会会長) 

 防衛協会会報第79号(H14.11.26)掲載 


     「北海道の自衛隊と共に」

 

 北海道自衛隊協力会連合会は平成元年10年、全国防衛協会連合会に加盟以来、全国の皆さんと共に我が国の防衛と国際協力等に当たる自衛隊が、一層精強で充実されるよう協力をして参っております。

 北海道の道民は、自衛隊と日本の他の地域とは比べられない深いご縁というか、接点があります。道内の自治体も同様であります。北海道には現在、陸・海・空自衛隊の駐屯地基地と呼ばれるものが54あり、加えて別の呼称の演習場、弾薬庫、射爆場とか飛行場などの施設が大小23か所あります。大北海道ですので広域的に散在しております。

 一方、北海道には212の市町村があり、その大部分の地域にこれら自衛隊の施設などが所在します。自衛隊員は道民であり、市民、町民でもありますので部隊として地域の理解が必要であり、逆に市民にとっては防衛の重要性、自衛隊への理解も必要となります。

 このようなことから北海道の各地には自衛隊協力会が、民間ベース主体で、また自治体も加わって208団体あります。陸自の4個師団等の配置に対応して協力会も4つの連合会に組織され、さらに全道の連合会を組織しています。

 私共協力会は、自衛隊員とその家族を激励し感謝の意を表すものですが、加えて私共は我が国の防衛の責務をPRする目的もありますので、各種の機会を捉えて防衛思想の普及に努めているところです。最近では東チモールPKO派遣施設群の隊員を激励し、去る10月13日には陸自・北部方面隊の創隊50周年を共に祝いました。

終わりに、私共は全国防衛協会連合会の一員として、その目的・行動を共にして我が国の自衛と平和に少しでも協力が出来ますればと考えております。

                         (北海道商工会議所連合会 名誉会頭)  

田中 耕三(山口県防衛協会会長) 

防衛協会会報第78号(H14.9.24)掲載 


       「独立の気概」

 

 内外の環境変化が激しい。銀行業界においてもコンピュータを巡る技術的な革新をはじめ、企業会計制度、土地税制等銀行のあり方そのものを全く覆すかも知れないような変革が日夜進行している。我々にとって、たとえていうなれば、これは終戦直後、さらに遡って明治維新に匹敵する変化を迎えているといっても過言ではない。

 私の執務室から、西日本一の展望室を誇るタワーが一望できる。平成8年7月に完成した山口県国際総合センター(通称 海峡メッセ下関)のシンボルタワーでもある「海峡ゆめタワー」である。関門海峡の西側、JR下関駅近くに立地するこの海峡メッセ下関は、国際会議場を持ち、アジアを中心として広く国際社会を結ぶ国際交流拠点を目指す。それは、維新発祥の地である下関や山口県が変わりつつある象徴となっている。

 こうした地元の国際化、職務における環境変化を目の当たりにしながら、私は、明治6年、福沢先生がその著書「学問のすゝめ」の中で“独立心”と“個人と国家の関係”について、「一身独立して一国独立する」と記されていることを

忘れられない。先生はまた「独立に気力なき者は、国を思ふこと深切ならず」とも言われている。なぜ先生の至言が忘れられないのか。それは、この言葉が、明治黎明期において国を思う人々の感慨を表現したものにとどまらず、現代にも十分通用するものであり、そして私には先生の言われる「独立の気概」というものが、最近の我が国に欠けているかの如く感じられてならないからである。

 つい先達てまで新聞紙上を賑わした「有事法制問題」しかりであり、憲法論議にしてもしかりである。「自国を守る」という基本的な考え方について、国民一人一人が自分の問題としてとらえ、もっともっと自由な論議を真剣に戦わせるべきではないのか。真の国際化を目指すならば、まずこの日本という国を、自主独立の境地からしっかり考える土壌がなければならないと思う。

 翻って、足下、銀行業務についても同様である。ここ数年の混乱は、今後の業界について大きな示唆を与えてくれた。つまり、自己責任原則の重要性である。銀行の不倒神話は崩壊し、預金者も銀行もともに自己責任において行動することがあたりまえとなったわけで、ペイオフ解禁はまさに自己責任の到達点である。

 銀行経営における自己責任原則とは、それぞれの銀行が法に準じ、誰に頼ることなく「独立の気概」をもって経営に処していくことに他ならない。新しいサービスや商品をお客様に提供することも、金利を決定することも、店舗を建てることもリスクを取り、それを管理することも皆、自己責任において実施されるべきである。今後は、自らの行動を自らが責任を持つという一人一人の「独立の気概」こそが重要な根幹であり、それこそが諸事発展の基本であると考えている。

 今夏も関門海峡に絢爛たる花火が上がった。海峡メッセ越しに見たそれは新たな趣を加え、関門の夏の風物詩として美しい光の絵巻を描いた。目を移せば、海峡を見下ろす丘に高杉晋作像がたたずみ、悠々とその急潮を見据えている。変わりゆく時代と変えるべきでない気概。いずれにしても、「独立自尊」の精神でこの時代の変化を、維新の発祥地よろしく凛々と乗り切ること。それが我々の使命だと確信している。とともに、海峡メッセによる国際交流が、地元経済のますますの発展につながることを切に願っている。(㈱山口銀行 相談役)

宮田 保夫(埼玉県防衛協会会長) 

防衛協会会報第77号(H14.7.24)掲載 


   「人生の生き方を学ばせる」

 

 中国の古典の小学に「飽食、暖衣、逸居して教うることなければ、即ち离獣に近し」ということばがある。現代の若者のように、食べたいものを食べ、着たいものを着て、毎日を楽しく暮らすことだけが人生だとすれば、鳥や獣と何ら変わるところはない。

 人間として大切なことは、生き方を学ぶことだと思う。学ぶということは、ただ単に知識や技能を身につけることではない。人間としてどのような心掛けで生きていくべきか、どんな目標を持って生きていくべきかという、人間学を学ぶことではないだろうか。

 日本の教育は、小学校から大学に至るまで、あらゆる教科をそれぞれ独立した知識として詰め込むだけに終わっている。

 ソニーの井深名誉会長が「あと半分の教育」という著書の中で言われているように、現在の学校教育は、人間として最も大切な「徳育」が欠落していて、人間としての生き方を学ぶことができない。つまり、人間として必要な教育の半分しか学んでいない。家庭内教育に至ってはいうまでもない。

 学校教育で半分しか学んでいないのであれば、企業の中において、“あと半分”を学ばせる必要がある。

 家庭や学校で欠落している「徳育」を企業の中で学ばせなければならない。「現代の企業は「人間としての生き方を学ばせる機会と場」をつくる責任が生じているのである。

小林 公平(大阪防衛協会会長) 

防衛協会会報第76号(H14.5.23)掲載 


   「文化の確立」

 

 大阪市は、北区、阪急電鉄の梅田駅から北へ約500メートルほどのところに、「ちゃやまちアプローズ」という建物がある。「ちゃやまち」とは「茶屋町」という地名から来ているが、むかしこのあたりは菜の花畑であって、それが咲く頃はとてもみごとであり、見物人のために茶店がここにあったというところからその名があると聞いている。

 因みに、蕪村のかの有名な「菜の花や月は東に日は西に」という句は、このあたりを想って詠んだものと言われている。そう言えば、蕪村はこのほんの近くで生まれている。

 さて、その「ちゃやまちアプローズ」の中には一つのホテル、大・中二つの劇場のほかオフィス、店舗などが入っている。ホテルはアメリカのホテルガイド誌の評価で世界で100あまりしかない最高級の中の一つとされている。そして大・中二つの劇場のうち、大は以前に梅田駅南側にあったものが、この建物施工と共に移設されたものであるが、中はその時新たに開場したものである。

 それまで大阪のいわゆる「キタ」には多目的ホールはあっても演劇専門の中劇場がなかった。私はかねがね「演劇文化のない都市は都市ではない」と唱えているが、そうした観点から見ると「キタ」の状況は十分と言えるものでは無かった。そうしたこともあって、この地に客席数約900という劇場が誕生したのであった。

 その頃、私は新しい劇場が出来ると、その劇場のすわりがよくなるのには、少なくとも5年はかかると言っていた。すわりがよいというのは、何となくその劇場の風格ができてきて、また演じものが常にお客様の期待を裏切らぬようなものになり、そして、出演者の方々が「あの劇場なら出てみたい」と思われるようになる、などなどのことがすっかり落ち着くことを私はそう称している。

 先日も満足のこの劇場の中にあって、お客様方の反応も確かめながら熱演の続く舞台を見ていて「もし、この劇場が生れていなかったら、今、こうして楽しんでおられるお客様方は、そうした機会を持つことが出来なかったのだ」と思い、この劇場が地域の文化のために少なからずお役に立っていることを嬉しく思ったのであった。

 私は、このように文化を育て、あるいは文化を守るということが、国を守るということの中で大切な一つの要素であると思っている。

 一つの国があれば、その国に固有の文化がなければならない。言語、伝統などが他国と異なる以上、それは当然のことであろう。更に言うならば固有の文化が無くしてはもう一つの独立国ということは出来ないと思っている。

 然るに当節の世情を見るのにグローバリゼーションなどという言葉に操られて何か日本古来の文化が少しずつ蝕まれていくような気がしてならない。

 国の防衛について抑止力と武力の保持は当然であるが、一方では、確率した文化を持つことを等閑にしてはならない。それはあくまで車の両輪であると、私は思う。(阪急電鉄㈱取締役会長)

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