過去の各協会活動記事等
令和4年会報紙掲載
沖縄県防衛協会 防衛協会会報第159号(4.7.1)掲載
民航機内で減圧症に罹った日本人男性乗客を救護
令和3年9月10日、第18医療搬送中隊のメンバー5人が、偶然乗り合わせた民航機(那覇発東京行き)内で、スキューバダイビングによる潜水減圧症で苦しむ日本人男性乗客に対する救助要請に応じ、日頃使用している医療器材や通訳がいない等の厳しい状況下、適切に応急救護処置を行いました。さらに、減圧症の処置が可能な医療機関に最も近い空港(関西国際空港)へ航空機を迂回、ダイバート(緊急着陸)するよう調整し、地域の医療機関へ緊急搬送して日本人乗客の命を救いました。
救護にあたったのは、米空軍第18航空医療搬送中隊所属のアンドリュー・ヒメネス大尉、ゲリン・リーパギアオ大尉、ジョシュア・エグラー3曹、エリオット・ソトネック3曹、デイアンナ・アドキンズ上等兵の5名でした。
炎上する車から老夫婦を救助
令和4年1月22日、沖縄県読谷村において、畑仕事を終えて帰宅途中の老農夫の運転する小型トラック
が、後部から突然黒煙を吐きながら炎上。これを発見したギャレット軍曹と妻のアシュリー夫人は、炎上するトラックを徒歩で追跡、赤信号で止まった車両の前面に立って片言の日本語と手信号で車を止めさせ農夫を救助しました。農夫は自分の車が火災を起こしていることに全く気づかず、同軍曹夫妻が農夫の車に急いで近づきながら何かを必死に語りかけるので大変びっくりしたそうです。また、通りがかりの日本人からも、消火器による消火活動の加勢を得ることができ、車両火災の早期発見、早期消火等の適切な処置により、幸いにも怪我人は皆無でした。
感謝状贈呈式
贈呈式は、4月11日米空軍嘉手納基地内で行われ、米空軍側からは第18航空団司令官エグリン准将をはじめ、多くの上司・同僚が出席しました。沖縄県防衛協会側からは國場幸一会長、島袋良和副会長をはじめ、青年部会会員を含む有志が参加し、米空軍将兵の適切な人命救助・救護活動を称賛しました。
宮崎県防衛協会 防衛協会会報第158号(4.4.1)掲載
チャイルドラインは、毎日、午後4時から9時まで電話やチャットで、18歳までの子どもの声を聴く活動をしています。電話だけでも1年間に約18万件の着信があり、「子どもの心の居場所」となっています。
チャイルドラインでは、子どもの話を否定せず、お説教や指示・命令、大人の意見の押し付けはしません。子どもの気持ちを受け止め、共感し、寄り添いながら聴い て い ます。
子どもと「①秘密は守る②名前は言わなくていい③どんなことも一緒に考える④切りたい時は電話を切ってい
い」という約束をしています。
ログラム」の取り組みを、県内の小中学校や児童クラブなどで実施しています。
この取り組みでは、スタッフが小学校などに出向き、寸劇や、一対一で「話す、聴く」ワークなどを行い、子どもたちに、自分の考えや気持ちを話したり、誰かにSOSを出したりすることの大切さを伝え、一緒に考える授業をしています。
宮崎県防衛協会は、豊富な実績とノウハウを持って活動しているチャイルドラインみやざきの全面的な協力を得て 「次世代を担う青少年健全育成支援」事業にアウトリーチプログラム活動を取り入れました。活動の流れとしては、まず、県内26市町村の各支部長に、支部内にある訪問可能な児童クラブ等と調整してもらいます。訪問場所・時期等の決定後、当協会会長から当該支部長に実施依頼を発出し、チャイルドラインみやざきに委託してアウトリーチプログラムの実施となります。実施後、チャイルドラインみやざきから報告書をいただいています。
子どもたちからは「困ったときは誰かに相談したい」「自分の考えや気持ちを言うことの大切さがわかったし、友だちの話もちゃんとききたい」という感想もいただき、チャイルドラインみやざきとの地道な活動の連携
埼玉県防衛協会 防衛協会会報第157号(4.1.1)掲載
宮崎県防衛協会 防衛協会会報第157号(4.1.1)掲載
宮崎県防衛協会
令和3年会報紙掲載
千葉県自衛隊協力会連合会 防衛協会会報第156号(3.10.1)掲載
千葉県自衛隊協力会連合会
7月9日、千葉県自衛隊協力会連合会(会長熊谷俊人千葉県知事)は、㈱サンミュージックプロダクション(以下「サンミュージック」という)本社(東京都新宿区)において、前会長森田健作氏(前千葉県知事、現サンミュージック最高顧問)に対し、全国防衛協会連合会佃和夫会長からの感謝状贈呈式を行いました。
これは、新型コロナ禍により、6月の全国防衛協会連合会総会が書面決議となったため、佃会長から総会席上での直接贈呈が叶わず、千葉県自衛隊協力会連合会が代行で贈呈式を行ったものです。
森田氏はかねてより我が国の安全保障と自衛隊の任務の重要性を良く認識され、平成21年4月5日の千葉県知事就任以来3期12年に及ぶ知事在任中、千葉県自衛隊協力会連合会会長を務めてこられました。この間、県民と自衛隊の架け橋となって県民の防衛意識の高揚、ひいては防衛基盤の充実に大きく寄与されました。これまでの長年にわたる千葉県自衛隊協力会連合会会長としての功労が認められ、今回感謝状を贈呈されたものです。
当日は、自衛隊千葉地方協力本部長 大山康倫1等海佐、臼井久美子女性部会長、浜田智一青年部会長及び池田由紀子理事兼事務局長の4人が、会場を快く提供して下さったサンミュージック本社に赴き贈呈式を行いました。 サンミュージック側からは、相澤正久代表取締役社長をはじめ、岡博之副社長(森田氏の元付き人)、石本耕三取締役及び明石雅博取締役が参列してくださいました。
贈呈式は、開式の辞で司会進行の池田理事が「全国防衛協会連合会の概要と会長感謝状贈呈の趣旨」を説明し、サンミュージックに対し会場提供への感謝の言葉を述べた後、大山地本長から祝辞を頂戴し、プレゼンターの臼井女性部会長から感謝状、副賞(マグカップ)及び花束贈呈が行われました。続いて、森田氏の活力溢れる謝辞があり、相澤社長からは心温まるご挨拶を頂戴し、浜田青年部会長による閉式の辞により贈呈式は滞りなく終了しました。
森田氏が一層若返っていらっしゃったことと、さすがに軍事ジャーナリスト井上和彦氏・桜林美佐氏や、防衛大臣感謝状受賞者カズレーザー氏を擁するサンミュージックの社長だけあって、相澤氏の自衛隊愛に満ちたお話に一同大いに感銘を受けました。
心に残る素晴らしい贈呈式を実施することができ、橋渡し役を務めた千葉県自衛隊協力会連合会として、改めてサンミュージックに心より感謝を申し上げます。
千葉県自衛隊協力会連合会
理事兼事務局長
栃木県防衛協会 防衛協会会報第156号(3.10.1)掲載
日本の防衛の一翼を担う
山縣農場内の建築物が
国の登録有形文化財に!
栃木県防衛協会
「山縣有朋記念館別館」を国の登録有形文化財に答申
7月16日、国の文化審議会において、栃木県矢板市の山縣農場に所在の「山縣有朋記念館別館」を登録有形文化財にするよう文部科学大臣に答申されました。
この「山縣有朋記念館別館」というのは、明治時代の数少ない洋風木造建築物の一つとして、栃木県指定文化財に登録されている「山縣有朋記念館(旧山縣有朋別邸)」に隣接して昭和2年頃に建築されたものです。
山縣農場の由来
山縣農場は、明治時代の135年前に、山縣有朋が栃木県伊佐野(現栃木県矢板市伊佐野)の官有地の払い下げで得た、天然林約150町歩、草山600余町歩の山野を、移住者を受け入れて開墾と植林をしたことから始まりました。有朋が考えた『農は国家経済の基本』の理念のもと、自作農を育てる方針は有朋亡き後も生き続け、田畑の多くを小作人に譲渡済で山林主体の経営となっていた山縣農場は、第二次世界大戦後の農地改革の影響をほとんど受けることなく、森林を整備しながら継続しています。その中心的存在であった山縣有朋記念館別館を、山縣有朋氏から5代目にあたる山縣有德氏が引き継ぎ現在に至っています。
山縣有德氏は、現在、栃木県防衛協会の会計幹事としてご活躍されています。
MIG―25事件の教訓から山縣農場に防衛マイクロ回線の「八方無線中継所」を設置することに
有德氏が栃木県防衛協会にかかわるようになったのは、昭和51年(1976年)9月6日、ソビエト連邦(当時)のMIG―25戦闘機が、日本の防空網をかいくぐって領空を侵犯し、函館空港に強行着陸したことが端緒となっています。
このMIG―25事件発生時、新幹線車中の防衛庁長官(当時)への報告まで約1時間半を要したこと等、事件発生当初における庁内の連絡体制の不備が表面化しました。当時は、自衛隊の大部分の通信回線は電電公社(現NTT)の通信回線に依存しており、通信回線の所要が急増する緊急時において所要量の迅速な確保が困難であり、柔軟な運用ができず、また、抗たん性に欠ける面がありました。
この事件を契機に、防衛庁(当時)は、防衛の中枢的機能ともいうべき指揮通信の充実のため、昭和52年度以来、自衛隊の自前の統合骨幹通信網である防衛マイクロ回線の整備に努めてきました。これの一環として、昭和53年防衛庁(当時)から依頼を受け、「八方無線中継所」を山縣農場内の最高標高点の山林内に設置し、現在に至っております。
このように、防衛省に「八方無線中継所」用の土地を貸している繋がりが、山縣有德氏の栃木県防衛協会入会に結びついたものです。
(資料提供:公益財団法人山縣有朋記念館)