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会報第152号(2.10.1)掲載の主要記事

自衛隊最高指揮官内閣総理大臣交代

 退陣を表明する安倍首相(当時)(出典:首相官邸HP)
  総理大臣の指名を受ける菅議員(出典:首相官邸HP)
      内閣総理大臣旗
安倍晋三首相無念の病気退陣
新首相は『菅 義偉』官房長官
 8月28日、安倍首相は持病の潰瘍性大腸炎の再発・悪化を理由に退陣を表明。通算在職日数【3188日】に加えて、連続在職日数【2822日】でも憲政史上最長記録を更新した安倍政権は、9月16日に幕を下ろした。
 安倍首相は、潰瘍性大腸炎という国指定の難病を持病として抱えながら、激務の国政を内閣総理大臣として牽引し、長期安定政権を樹立した。
 この間、強力なリーダーシップを発揮して政治を安定させた安倍首相は、「アベノミクス」を掲げて経済再生を図り、景気を回復軌道に乗せた。
 外交面では地球儀を俯瞰する視点で、積極的に首脳外交を展開。日米首脳の蜜月関係をはじめとして、各国首脳と良好な関係を築き、自由世界の指導者としての役割も果たした。
 日本が提唱し、推進している「自由で開かれたインド太平洋(FOIP:Free and Open Indo-Pacific)」構想は、米国が自国の安全保障戦略に取り入れるなど、国際政治にインパクトを与えている安倍外交の、特筆すべき成果の一つと言えよう。
 また、平和安全法制を成立させ、集団的自衛権の限定行使を可能とするなど、日米同盟を基軸とした安全保障政策を、より実効性のあるものに深化させた。
 安倍首相のツイッターには、退陣表明直後から世界中の数多くの国と地域、国際機関のトップから惜別のメッセージが続々と寄せられている。さらに、アメリカ・ロシア・国連事務総長など、複数の首脳とは、電話で直接お別れの挨拶を交わしている。
 まさに顔の見える日本の政治リーダーとして、国内外に示してきた存在感は、過去に例を見ないスケールの大きさである。
 与党自民党総裁としての安倍内閣の任期が、残りちょうど1年となり、総仕上げの段階に入ろうとしていたところで無念の退陣。国難ともいえる新型コロナウイルス感染症対策、1年延期になった東京オリンピック・パラリンピックの行く末、緊迫する安全保障環境、領土問題、拉致問題及び憲法改正問題等、山積となっている課題の解決は次期政権に託された。
 次期首相には、第2次安倍内閣発足以来、共に歩んできた菅義偉官房長官が、9月14日に第26代自民党総裁に選出された後、9月16日の衆参本会議の首班指名選挙で、第99代内閣総理大臣に指名された。
 この後、直ちに組閣を行い、皇居における首相親任式と閣僚認証式を経て、自民、公明両党連立による菅内閣が発足した。
 菅新首相が就任記者会見で述べた政権運営の基本方針のうち、安全保障関連については、次のとおり。
◇機能する日米同盟を基軸に外交・安保政策を展開
◇「自由で開かれたインド太平洋」を戦略的に推進
◇中国・ロシアを含めた近隣諸国との安定的な関係を構築
プロフィール/菅 義偉(すが よしひで)
1948年12月6日秋田県生まれ。高校卒業後上京。1973年法政大学法学部卒業。衆議院議員秘書、横浜市議2期を経て、1996年衆院選神奈川2区で初当選(以来8期連続当選)。2006年総務大臣に就任し、「ふるさと納税」を創設。その後、自民党選挙対策総局長、自民党組織運動本部長、自民党幹事長代行等を経て、2012年12月、第2次安倍内閣の内閣官房長官に就任し、現在に至る。他に国家安全保障強化担当大臣や沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣を務める。2019年4月1日に新元号「令和」を発表。

安倍内閣時代に整備された防衛・安全保障関連法等

内 閣
在職期間
在職日数
整備された主な防衛・安全保障関連法等
第1次
平成18年9月26日
平成19年9月26日
366日
平成19年1月9日 防衛庁が防衛省に昇格
第2次
平成24年12月26日
~平成26年12月24日
729日
平成25年12月4日 「国家安全保障会議」発足
        (政府の外交・安全保障政策の司令塔)
平成25年12月6日 「特定防衛秘密保護法」成立
        (安全保障関連情報漏洩の罰則強化)
平成26年4月1日 「防衛装備移転3原則」を閣議決定
        (従来の武器輸出3原則に代わるもの)
第3次
平成26年12月24日
~平成29年11月1日
1,044日
平成27年9月19日 「平和安全法制関連2法」成立
        (集団的自衛権の限定行使可能)
第4次
平成29年11月1日
~令和2年9月16日
1,051日
平成30年12月18日 新「防衛大綱」・「中期防」策定
         (「いずも」型護衛艦の空母化)
通算在職日数:3,188日   連続在職日数:2,822日
(1次~4次)           (2次~4次)
      岸信夫防衛大臣
     岸信夫防衛大臣就任
 
 菅新内閣の防衛大臣には、岸信夫元外務副大臣が初入閣した。
 また、河野太郎前防衛大臣は、行政改革・規制改革等の担当大臣に横滑りで起用された。
 岸防衛大臣は、就任記者会見で、防衛大臣就任に当たり、菅総理大臣から7項目の指示があったことを紹介。その中で、第1項目に指示された「抑止力強化のため、ミサイル阻止に関する新たな方針について、今年末までにあるべき方策を示し、速やかに実行に移すこと」については、期限までに成果を出すべき喫緊の課題となっている。
プロフィール/岸信夫(きしのぶお)1959年4月1日生まれ。慶応大学経済学部卒業。21年年間商社マンとして住友商事で勤務後、2004年に国政転出。参院山口選挙区で2期、衆院山口2区で3期連続当選。福田・麻生内閣で防衛大臣政務官、第2次安倍内閣で外務副大臣、衆院外務委員長、第3次安倍第2次改造内閣で外務副大臣、衆院安全保障委員長等を歴任。安倍晋三前首相は実兄。

戦後初めて自衛官出身者を特命全権大使に任命

    大塚海夫駐ジブチ大使
~戦後初めての人事~
自衛官出身者を駐ジブチ特命全権大使に任命
 
前防衛省情報本部長 大塚海夫元海将
 
 政府は9月11日の閣議において、海上自衛官出身で、前防衛省情報本部長の大塚海夫元海将の「駐ジブチ大使」への起用を決定。9月16日付で発令された。
 自衛官出身者が大使に任命されるのは戦後初めてとなる。
 河野太郎防衛相(当時)は閣議後の記者会見で「ジブチには海賊対処・情報収集のために自衛隊の拠点を置かせていただいているので、任務を理解している大使が赴任するのは、連携という意味で非常に重要。大塚情報本部長と一緒に仕事をし、その仕事ぶり、人間性を大変好ましく思っている。日本の顔としてジブチで活躍されることを期待したい」とエールを送った。
 さらに、自衛官が大使になることについては、「防衛駐在官の数を増やしているところであり、『自由で開かれたインド太平洋』の構想を日本一丸となって進めていこうとしているところなので、様々なバックグラウンドの方が適材適所で大使に任命されるのは好ましい」とコメントした。
 2009年(平成21年)7月から海賊対処法に基づき、ソマリア沖・アデン湾において、海賊行為に対処するために派遣された行動部隊(護衛艦2隻【当初・現在は1隻】とP―3C×2機)が、アデン湾に面するジブチを拠点に、護衛活動及び警戒監視活動を行っている。
2011年(平成23年)6月からは、派遣海賊対処行動航空隊を効率的かつ効果的に運用するため、ジブチ国際空港北西地区に、自衛隊唯一となる海外拠点を整備し、運用している。
 ジブチを拠点とした自衛隊の活動拡大と相呼応して、2009年3月外務省ジブチ連絡所を設置。2012年(平成24年)1月大使館に昇格、特命全権大使派遣となったものである。
 今回、自衛隊の任務を熟知した自衛官出身者を大使にあてることで、国際協力の推進と、現場との連携の強化や隊員の士気高揚につながることが期待されている
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